↓4)記稿.2018/12/15
‥デカルト哲学と云えば、「我思う、故に我在り」に尽きるだろう
この言葉の響きから得られる「私」たる何かをどう捉えるかという論点以外に
大して目立った示唆が無いのもデカルト哲学の特徴である
だから
この言葉に従って、「幸福とは何か?」を論ずるならば
「私」とは何かを理解し得ることにしか幸福の扉は用意されていない
‥と看破されそうだ
そうでしかないのだろう
‥だから
思いつきにも、浮ついた幸福願望を叶えたいと抱いている限り
デカルト哲学なんざただのアレルギーにしか見えやしないのも現代社会だ
> 私たちが思い描いている幸福とはどんなだろう?
デカルト哲学から問うなら、それらすべては
すり込み、洗脳、思い込みの類にしか無く
真っ先に疑うべき要素たりうる事柄ばかりとした解釈に据えおかれる
ゆえに「我思う、故に我在り」を問い返すことになるのも現代だ
今風に云えば「思考の断捨離」だ
‥デカルト哲学で幸福を語ろうとすると、その手の疑いをグルグルとせざるを得ない‥
1-4)1
> ではまずはそんなデカルト哲学でもって
> 私たちの幸福願望をパターン化してみよう
パターンA‥伸び伸びダラダラとあたりさわり無き、まったりリア充を費やせること。
パターンB‥他者を踏み台にしてでも自分のパターンAをGETできること。
パターンC‥「隣の芝は青い」を真に受けて不公平&不自由を圧してでも憧れ続けること。
パターンD‥手に入らないストレスから、日々愚痴愚痴と誰かをヤリ玉になじること。
パターンE‥自分らしく生きられること。
‥デカルトの人生は貴族身分だったことから始めからパターンEだった
彼が神を信仰していたにせよ、その神が必ずしも当時のキリスト教だったかというと
哲学者らしく決してそうでは無い信仰対象不明の持ち主だった
始めからパターンEだったことから
それ以外の幸福観について考えるに乏しかったのかも知れない
(他者の幸福観なんざ疑って断捨離すべき対象ぐらいにしか思っていなかったかも‥)
(「幸福とは何か?」の多様性に興味が疎かったと言えばそれまでの話だ‥)
‥幸福の入り口を考える上でも、文学的題材としても、パターンEは人気だが
具体的なことになるとかなり曖昧で、どちらかというとパターンAに呑み込まれる
そして人生にはパターンB存在が立ちはだかる事の方がなぜか多く
大抵の多くは、パターンCないしパターンDの日々に甘んじている
私たちの思考やら感情の日々を人格に見立ててみれば、そんなだろう
つまり私たちは、「幸福」を考えだすと
それ以外に感情の方向性を持ち合わせていないも同然になるらしい
「私たちの思っていることだけが、私たちである」なら、そうになぞらえできるだろう
1-4)2
> 「私の思っていることが私自身であり、それ以外に世界観は存在し得ない」
> という論法で、デカルト哲学は論を導くことを敢えてしていないが同じことだ
‥色々と自身の好き嫌いを疑ってみると、すり込み、洗脳、思い込みがこびり付いている
それが先天的な要素なのか後天的な要素(幼少期の懐古感)なのかは不明だが
感情の基点になっている大抵の多くは、過去の記憶絡みの要素が多い
とくに異性の好き嫌いで言えば、誰かに似ているという思い込みの部分から始まるらしい
言葉でどういうタイプが好きかを表現する段階で、すでに自分に刷り込んでいる
‥それが見た目の全体にしろ、フェチにも部分にしろ、性格のそれぞれにしろ
相手の意識の中を四十六時中観察できた訳でも無いのに、したわけでもないのに
当人に確認して自分の見方との意見交換をしたわけでも無いのに
何の脈絡も無く、ただ特定のパターンがお気に入りとした日常に入れ込むことになる
「なぜ、その手の平凡な好き嫌いは、私の日常を支配するのだろうか?」
自分自身が自由で創造的なら、そんな意図不明で平凡なこだわりに囚われる意味は無い
‥しかし、無駄に興味本位に情報を蓄積せざる得ない現代において
脳の側が、そのような記憶を元に脳内物質の出し具合を勝手に見繕うようにもなるらしい
当然、精神の方で警戒を怠っていると、興味本位に垂れ流される情報に
本来の自分の有り様と思っていた様相から次第に踏み外れもするらしい
それは恋愛においてさえ、相手を見ているのでは無く
自分の妄想の起爆点となる接点を、単に脳が結びつけたに過ぎないかも知れないのだ
そして、未練たらしくも愛着を保とうとしているのかも知れないが
大抵の多くは、お気に入りはお気に入りだったりする傾向が大と言える
‥嫌いになる理由を探す必要なんて無いにしても
飽きるポイントを自覚しておく必要は多少ある
なぜなら、大抵の大好きは押し入れの中で眠るのだから‥
1-4)3
> 自分が何をどう思おうが、それより先に、自分としてのお決まりの反応があるらしい
> それはどうにも、他人と共通している部分としていない部分とがあり
> 一つ一つの異なりは多岐に及んでいる
‥このような要素を科学することは困難なのに
困難という意味では、一つの集合として括れてしまうのだから怪しい話だ
すべてが一致していないとフィーリングが合わないという事でも無い
一致していないからと云って、協力し合えない訳でも、譲り合えない訳でも無い
ただそこに感情としての隔たりが湧くるだけだ
ところが幸福観という偏見沙汰を持ち込んでくると、途端に相容れない攻撃が始まろう
‥そこには明らかに
私たちは幸福観を問い、思い抱けば抱くほど
無駄に排他的な方向に自身の好奇心を向け始める愚かをやらかす特徴を持っているのだ
‥その様なときこそ
リセットに導く論法こそ「我思う、故に我在り」である
されど、大抵は、「私のこの湧き上がる思いにウソは無いのだから」と
前向きにしか見ようとしないのも、私たちの感情に対する意識の傾向だ
つまりは、欲求を満たせることが幸福だとして反応を見せているだけである
1-4)4
> どうして私たちは、欲求を満たしたいと思うように出来ているのだろうか?
> 又、どうして一度に、横並びにも熱いうちに為したがるのだろうか?
‥大抵の多くは、時過ぎて冷めたれば、忘れている程度だよ
‥語り継がなければ、同じことを繰り返すのも特徴だ
‥そんなことでは、地球がいくつあっても足りないのは誰の目にも明らかなのに
‥誰も、理性や知性の論を優先させてまで請け負おうとはしないのだ(少数派だ)
‥その手の理性や知性の使い方が優先されるのは
いたって敵対的相手に「勝つ為」に使われるばかりにある
(まぁそうなっているのも資本主義かぶれの世界の特徴だよ)
資本主義世界における幸福の追求なんざその程度だよ!諸君ッ
そして
誰がどう見たってそのような人類のザマを「おろか」「あわれ」とは申すも
「しあわせそう」などとは言わないのだよ、諸君ッ
> その程度の私たちの幸福観は、どう見ても「お馬鹿」としか表現のしようがない
(その鏡似性として、デカルトの口調が偉そうに思う向きもあるのだろうよ)
(そこが無駄に気になるようなら、キミの幸福観はどちらかといえばミーハーかもね)
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