↓2)向宜詠吟.2019/05/20
テレビの中の人たちは常に笑っている
テレビの向こう側には、常にわくわくした世界が有るものとして誘われる
「でもそれは本当だろうか?」
世界はいつもドロドロの小競り合いだし
経済はいつだって不景気におびえているし
政治からして格差の保障しか創造できちゃいないし
そもそものテレビの画面の世界からして、出演できるかできないかの下克上である
そうだ‥自由×正義とは、暮らしの成り行きを賭けた抗争である
それの割合の多い日常を
さも問題なさげに覆い隠さんばかりの笑顔は、本当に素敵と言えるのだろうか?
どうにも怪しいじゃないか
‥前向きかも知れない
‥でも勝ち嗤っているだけかも知れない
玉石混交にキャラクターが居て自由とばかりに誇らしげでも
中にはとても筋違いな‥「失言」なり「炎上」という魔物が雑ざっていたりする
どうしてそんなにも雑ざってるんだよ
そもそもの自由の方向性をその程度にしか解釈していないからだろう‥
別に「完璧にあれ」とは誰も思っちゃいやしない
わざわざ「余計なことを言うな」とした空気に酔いたいだけのところがある
それはそれで、無知なままに自惚れていたいだけにあるのだろう‥
‥だが、それら魔物を否定する感覚こそは
自由の前に「尊重」があるべきであり、自由が一番には成り得ないとした「同意」ゆえなのだっ
そもそもは、笑顔がないのでは始まらない
笑顔がない事で、息が詰まるし、何事にもモチベーションが上がらないわけだけれども
テレビの向こうの世界とこちらの世界には
テレビを遠ざけたくなるきっかけとしては、十分すぎるほどの隔たりが有る
‥そうだ、この世の‥もといテレビの笑顔ほど曲者もない‥
でも誰しもは笑顔に飢えている
テレビの受け売りだろうと、手にしてみたい欲求に誘われる
だからこその主張が、テレビに見られる象徴としての華やかさと云うことなのだろう
そして、それが象徴であればあるほどに真に受ける人も多い
(もとい、魔に魅入られるばかりだろう)
だからだろう‥誰しもは、世の中が素敵になることよりも自分が素敵になることを優先する
それが自由だと云わんばかりにである
それはそう
この世は人気取りゲームだから頑張らないと生きていけないと云わんばかりだ
1-2)1
‥頑張るから応援する
‥頑張っているから、頑張る人を応援する
これの循環を植え付けているのもテレビである
テレビは其を必要以上に主張する
そしてそこは、まごうなき笑顔下克上たる戦国屏風の世だ
そして若者は、笑顔下克上の戦国の世に首ったけのはずなのに
実際の常在戦場たるビジネス現場に放り出されると口々にこう訴えるのだ
「お家に帰って笑顔下克上でほっこりしたいと」
自分たる現場の下克上屏風より、テレビの中の下克上屏風を見ている方が圧倒的に大好きらしい
それは必ずしもテレビに限らないにせよ
どうにもテレビ慣れしてしまった時代の困った脳反応(癖)なのだろう
自分が頑張るよりも、頑張る人を応援する方に萌えちゃうらしい
しかもその頑張る人は、現実世界よりも、仮想世界である方がどうにも萌えちゃうらしい
ゲームなら、自分の操作しているキャラクターと言うことになるのだろう
それは、自分が頑張ってるはずのつもりが
脳からしたら、影を応援しているという構図になっているのだろう
そんなだから
そこに、自分の現実に対して、現実感が湧かないことへの違和感が絡むのだろう
なにしろ、テレビ脳に変換された現実感という奴は
自分を応援するためにも
自分の分身を応援するためにも
お家に帰って、ぼっちにリラックスして、ぼっちに集中して
ただひたすらに自分のお気に入りとする世界画面を眺めながら
一生懸命に悪戦苦闘している自分の影を応援したくなるとした脳回路に出来上がってしまってるのだ
‥結果
手に汗している人に成るよりは
手に汗している人に指示をする人になる事こそを、お仕事だと思い込んでいる
指先だけでできる範囲を、お仕事としての当然か理想に思い込んでいる
皆でそう思うほか無い訳だから
誰がどう不可解に思おうと‥圧倒的多数の支持で
上から目線の格差社会が投資され続ける流れになる
「誰のために?」
「笑顔の為に」
そして、毎日が人手不足だ(指示されたい奴なんて多くないテレビ脳だから)
1-2)2
誰も彼もテレビ脳のお陰で
諸々とした気持ちのこまごまなど、淘汰にも捨て置くのが立派だと思い込んでいる
笑顔さえ有れば好いなどとの思い込みが漂うのもテレビだろう
それはそう、笑顔の私こそが本物だとしか考えていない
成功した時の実力こそが「私だ」としか見ようとしていない
お互いにそうなのだから、何を以ての成果主義かを問うなら
それは、一番に有益な笑顔にマネーを授けようと言わんばかりのシステムだ
最近目立つようになってきた言葉に「頑張らなくても好い」がある
頑張らなくて好いの都合とは、「笑顔に無くても好い」と言うことである
笑顔で無くても好いなら、特に諸々の諸事情を問題視する必要は無い
だから、「頑張らなくても好い」は実に怪しい言葉の綾にある
頑張ろうと頑張らなかろうと、体力に見合った事以上は成り立たないのだ
まして笑顔の椅子取り社会なら、人気に適った以上の事は無理っ
「君の人気の程度に適った笑顔で頑張ろう」
‥というのが、今時代の翻訳ということになる
しかし、そんなのは自分にしかわからない
誰かと共有するなんてできやしない
それもそうだろう‥‥誰しもはいつだって
上から目線にて、自分の欲する笑顔を、過剰に要求しているのが日常だ
そうでなければ、そうであるからこそ
競争格差は、意味ありげに肯定された雲行きにあり続けるのだろう
「‥誰のために?」
‥建前レベルの笑顔の為に
‥愛想レベルの笑顔の為に
‥うわべレベルの笑顔の為に
詩人曰く「其は、溜息の為であろう」
> うた詠み終わります、ありがとうございました。
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