↓ 13 )1 向宜詠吟.2019/07/30
|武士道は死に際にあり抜かりなく「うそも方便」負けず嫌いなり
‥散り際の美学、死に際の美学
それらを即決に申せば、「往生際の姿勢」という事になる。
往生際でのヒトのやらかす嘘には
まったく筋違いな言い逃れから、生き延びる為の信念への「嘘」まで様々とある。
どっちゃにせよ、死ぬことへの道など誰も見出しちゃ居らぬ
負けたからには、信念を折ろうとも、負けたなりの切り替えが求められて次もあろう。
どんなに落ちぶれようと、生き延びて繋げようとする心得も又武士道なり。
‥それのできない不器用のくそったれが放つのだろう
「武士道とは死ぬことと見つけたり」‥皆死んでしまったらそれこそ負け犬だよ。
↓ 13 )2
|二言などあるわけもなく抱えられ 敗れてわかる恩義と忠義
‥将棋の駒のように、取り上げて再活用するゲームは複雑さを帯びる。
それの「生殺し」に違和感を募らせようと、生かした側に文句を垂れても失礼なだけだろう。
ゆえに、以前の主君への忠義よりは、生かされある今の恩義とならざるを得ぬ。
‥と言っても、将棋同様に捨て駒の扱いが前提だ。
護りに使われる程なら、それこそ恩義の側の劣勢だ。
以前の敵として、恩義の味方から見下され、捨て駒扱いにある内が「華」にあろうな。
↓ 13 )3
|武士道は綺麗事になく「恩義」から 尽くせぬ忠義ぞ下克上
‥恩義と言っても、日々の見返りがなしのつぶてでは
折角の拾った命とて仇になりかねぬ。
そりゃもう、見繕うべき土地が無いとも成れば、戦をしでかさざるも容赦ないのだ。
(不平を溜め込んでからなら、そりゃ裏切りも増しちゃうだろうしな)
(あちらから出向いてきてくれるなら助かると思っても、それだって優劣は判らぬ)
かといって理由も無く戦を仕掛けて、民から恨みを買うようでもお粗末だ。
できれば、主君としての器・面目を保ちたいのがお互い様としてある。
そこを科学で禄高を倍増しちゃったら、戦そのものが要らなくなっちまった‥それが現代だろう。
‥しかし
国土の広い狭いよりも、只の欲しいに成り下がって仕掛けるのもまた近代以降の戦争だ。
それも、兵器商売からの算盤勘定がお目当てと来ている。
それらすべてが生きる為の必然からでなく、ヤクザ同様の言い掛りにあるのは明白だ。
現代戦の士気にしたって、恩義とすべき何があるというのだろうか?
‥それこそ只の洗脳だよ
だが、生活地盤DQNになりさがっていては、判断の付かぬのはどうしようもあるまい。
戦場に借り出された後で、洗脳からの洗浄をようやくにして受けるのだ。
‥そもそも戦争などという奴は、貧している側の最後手段だよ
それを外交無視して、平然と知らんぷりをやらかしているからお互いに戦上等になる
では、豊かさにある側から仕掛けたい理由もしくは先制防衛とは何だろうか?
だから‥より儲けたい&票を集めたいとするメタボ思考でしかない
貧の側から、戦争気運を担いでくれれば、戦争行為を仕掛けてくれればそりゃ助かるって話さ
(‥お互いに、体制維持に困ったときの奥の手って事だからさ)
(そんな弱い者イジメありきを競争原理として本気で思い込んでいるのも又洗脳だからねぇ)
(国内で弱い者イジメやハラスメントが横行しているようなら国家国論として危うい限りさ)
↓ 13 )4
|主君とは背負う士道の誠かな 信に無くば主君に非ず
‥主君には、戦を仕掛ける権限と、対抗する上での城としてのお役目がある。
民にしてみたところで、守るべき土地を守る上でも年貢を納めざるを得ない。
そりゃ収めた年貢を有効活用して貰えれば、結構なことだろう。
‥しかしまぁ、大抵は集まった年貢を前に誰しもは色めき始めよう
それを自由にできる権限を筋違いにも、主君自ら勘違いしてしまえば
誰だってやってられなくなるのである。
‥敵方に討ってもらっても構わない事情にあれば、民からして城には助けを求めないだろう
その時点で危ういと思えば、配下の武将にだって討たれかねないのだ。
しかしどうだ、その手の演出をドラマでさえ見た例しが無いのは
現代人の歴史美化にかぶれた筋違いにあると言わざるを得ない。
もとい‥城に立て籠もった味方が色めき派閥のお仲間同士ってなら‥当然あるわけねぇ。
↓ 13 )5
|生かされて戦場駆ける鬨の声 御恩の令ぞされど「運否天賦」
*戦場(いくさば)、鬨の声(ときのこえ)、運否天賦(うんぷてんぷ)
‥「いざ御恩」と息巻いたって、そりゃ生き延びたいわけよ
生き延びないことには
お味方の鬨(かちどき)も、主君の晴れ姿も拝めないわけだからな
家族を不幸にだってしたくはない。
そこの本音が「運否天賦」というわけ、ご理解できてるかな?‥諸君っ
‥そこは武士道だからなんて関係ねぇ、まずは人間なのだよ
負けず嫌いだから「やっぱり生きてぇッ」とは口にしてこなかったというだけの流儀の話。
「ご武運を」を現代翻訳すりゃ「生きてくださいね」だよ。
(もう少しツッコんだ翻訳をすりゃ‥「再び戦う時にも五体満足なら良いですね」かもな)
されど、生き残るのに勝つことは前提では無い。そりゃもう「運」がすべて‥
(生き延びたにせよ、その後の身のなりふりに納得できる理由が欲しいとした我が儘でもある)
(折り合いが付かないなら、何かを時間稼ぎにするなり果てざるを得まい‥果てないかも知れない)
(‥特攻で戻ってきた馬鹿が居たなら、その後、その再搭乗分誰かが征かなくて済んだって事だろう)
(何度も戻ってきたなら、相当に‥誰かを征かせたくない念いが彼の者を以て作用したのだろう)
(それが誰だったかなど誰にも判らん‥そこまで含めて「運」である)
(そなたに、それの一時の「恥」「トラウマ化」を乗り越えられる度量が有るか無いかでもある)
↓ 13 )6
|「失う」を恐るる武士は武士に無し 「恐るる闇」を失うは人に非ず
‥失うことを恐れていては、人という奴は本領を発揮できかねる
命の駆け引きに置かれた武士ならば尚更だろう。
だからといって、さらにもっと強くなろうとばかりに
恐るるべき闇を見失うようでは、人として危うい限りだろう。
‥そこの勘違いをいつまでも強さゆえのテーマにやらかしているのは
「思考の惰性」としか言いようが無い。
そんなのは、負けることを以て恥としか思えないお馬鹿のなれの果てだろうよ。
(負けてみて学べることもある、学ぶ意欲の欲の差でもあろう)
(ただし、本物の戦なら、ろくでもねぇことにぶち込まれちまうのが関の山だからな)
(逃げるも逃げないも、その時の敵の素性と思惑次第にあることを学ぶのだ)
‥あと他には、不当な扱いの末‥己の精神がどちらに転がるかの試み含みもあるだろう
(こちら側からも、恐るるべき闇を見失わせる扉が、突如開いたりするからな)
(知らなくても良いと思ったら、無理する必要は無い)
↓ 13 )7
|和睦こそ人の心の寄りもどし 鬼人と化するに誉れなどあるまじ
‥そもそも戦そのものは本懐では無い
年貢を納めることがない武将都合の恩義の貸し借りありきだったかも知れまい。
それはそれで、配下の人間としての創造力がそれぐらいの時代だったのだろうけど
物資の程度がそれぐらいとした時代でもあった。
‥配下を納得させるだけの負け方なり、勝ち方というのもあった
ただ単に恩賞として相手の土地を分捕ればいいという訳でも無かった。
とは言え、鬼人に憧れを抱いていると戦ほどこじれるものは無い。
強さを傲り始めれば綻びとなる。(それが歴史の実際だ)
世界中で見られる戦への名残惜しさ症候群ほど、強さへの無味な憧れって事だから‥
‥それはそれで、和睦なんざ眼中に無きDQNの語り部に陥りかねないのだ
終わらせ方の是非を語り合わぬ者たちほど危うき姿もあるまい。
(TVゲームのシナリオ慣れにも、全滅戦を前提にされても困るのだ)
‥戦争の放棄か肯定か、撃てる撃てない以上の課題がそこにあるのに
誰も其を問おうとしないのは、そりゃ大東亜戦争の二の舞を危惧せざるを得ないのは当然だよ
(何なら、終わらせる権限と始める権限を分離してしまえば良い)
(同じにしてあったら、終わるべきに終わろうとしないのは長期政権の泥沼騒ぎを見れば明らかだ)
(大東亜戦争でさえ、終わらせる役は天皇の側だった。しかし現代の制度と解釈は異なる‥)
(泣きつくべきにあろうと、誰しも体制維持を決め込むだろう‥長期政権の傲りを見れば明らかだ)
(そこが面倒くさいとばかりに丸投げで「放棄」にしたのが民主化としての流れにあった)
(私たちが十分に民主化を学んであるなら改憲もありだろう。しかしそうでは無い‥)
(未だに「力こそ正義」「カネこそ正義」の発想の最中だよ、その上、舶来ポチにあっては無理ッ)
↓ 13 )8
|絆されて飢えるが如く突き進む 闇の扉に踏み入るは「敵」
‥強さに憧れて突き進めるだけの「武」もしくは「武力差」に恵まれていれば
どうしたって踏み込んでみたくなるのだろう。
しかし、そこに踏み込めば、人類すべての敵として危惧されるのだ。
「ちょっとだけ齧ってみたかった」などという言い逃れを誰も聞こうとは思わない。
なぜなら、すでに「傲慢×自惚れ×キチガイ」への立候補である。
↓ 13 )9
|人の世に誠を示せ厭離穢土 為すも為さぬも汝らの念い
*厭離穢土(おんりえど、えんりえど)
‥日本の戦国時代より
仏教と武士道はより切り離せぬ性格を帯びだした。
それ以前よりも見られたそのような気色は、さらに根深く混ざり合った。
その色合いを一層に強めることになったのも織田信長の台頭があがるだろう。
反織田連合としての気色という事だったかも知れない‥
ところが、その織田信長と手を組んでいたのが厭離穢土を本懐にしていた徳川家康だった。
不思議なことである。
‥現代の民主選挙の気色でいえば、急に旗色を変えても信用を再び戻すには険しき流れだろう
例えば、目指している所は違えど「小沢一郎」の立ち位置はどうだろうか‥
隠居してから反原発を掲げた「小泉純一郎」はどうだろうか‥
(始めから真っ白のままを貫くのは難しく、そればかりを望む側も訝しいと言うことなのだろう)
‥あくまで喧嘩両成敗に仕向ける空気がこの日本の地にはあるとしか言いようが無い
大方、日本の和には、喧嘩両成敗を含んであるのだろう。
(「争わず」の運命論にだけには無さそうだ‥)
↓ 13 )10
|仇を討つ恩こそ正義の志 されど討たるる覚悟ぞ覇道なり
‥仇討ちの言い訳、正当化に
武士の務めたる行為としての見解がある。
しかしそれらにしたとて、人斬りだ‥
多くは、個人的な感情からの行為に当たろう
一方で、組織としてやらかしたなら、それはそれでその後の扱いが面倒くさい‥
大目に見て良い限度を越えていようがいまいが、追って沙汰を下さざるを得まい‥
そのような顛末はどうしたって覇道の如きだろうよ。
「ならば常に問え、正義とは何だろうかと?」
↓ 13 )11
|私恩ゆえ私怨に至る不誠実 武士道よりはまずは人の道
*私怨(しえん)
‥武士だろうとまず人なのだ
武士道に生きようが人の道の一つにすぎまい
そこに不誠実が絡んではどうしようもない
その私怨の対象たるくそったれがお役人の立場を構えていようと
そなたの側が殺気を放っているようでは、自らを外道に貶めるばかりだろう。
‥そのように殺気だってまで生きる意味とはなんだろうか?
仇討ちに用があるにせよ、いずれは用済みになるだろう
それでも尚、自らの手で殺めないと気が済まないというのなら
そなたはすでに不誠実そのものだ。
‥不誠実を以て不誠実を罰する為に遣わされたのであろう
ならば、破れるようであっては誠実を掴むことはできかねよう。
「そなたの精進は本物か?」
さて、その後をどうするつもりだろうか?
仇を討ち果たせたとしても、その後の切り替えが思うように成らないなら残念な事よ
勝ち逃げなどできるわけもなし
仇討ちを果たしたがゆえの仕返しやら、挑戦状やらその手の依頼は当然にあろう
ならばまずは、人の道の平凡を以て生きることから学ぶのも手順だろうさ
(其を侮っているから、仇討ち云々なんぞに絆されるのだ)
‥そのように風下の人らを侮る輩が、武士の風上に居る次第を怨んでいるのであろうに
‥そのようでは単に嫉妬だよ、なんとした勘違いだろうか‥恥ずかしいほどの鏡似性さね
(そこの所を‥能力だ成果だ競争だなどとすり替えてみたところで、根っこは変わらん)
↓ 13 )12
|良心を御旗にすれどごく平凡 士道を積んでも非凡のみ
‥良心を真に受けても、只それだけなら、本当にそれだけだ
良心の御旗には、どうにも何の貫禄も無い
そこで志を以て積み重ねる所作が求められるのだ。
それにしたとて、只の積み重ねでは非凡程度に仕上がるばかりだろう。
‥肝心なのは肝っ玉の度合いだよ
どのような時にも、良心を曲げずに生きられるだろうか?
良心を曲げないとは如何なる心得だろうか?
良心を以てしてもそこまでの答えを示すことはなかなかに難しい
それこそ、茨の道を彷徨ってこそだろう。
‥残念なことに、誰だろうと、無理にそのような茨の道への生き方を勧めることは無い
もし居たとしたら、キチガイ扱いにせずに‥聞き耳を持つのも徳ゆえの冥利だろう。
ただし、彼の者の論は至って彼の者に準じた経験からの話だ‥各人に沿うとは限るまい。
(そもそもからして、それ以外を知らんのだ。それ以外からの到達を保証できる訳が無い。)
(まずは精神状態を、彼の者に似かよらせる次第が欠かせまい。好かんと思えばすでに無理ッ)
↓ 13 )13
|その先に期待などあるまじ人の道 「仏士道」刻み 誠に一歩
*仏士道(ぶしどう)
‥「幸福の追求」などと言う「贅の追求」と勘違いしかねない権利にヒトは飛びつくものらしい
‥「自由権」と聞けば、「自分勝手が保障された」として常識外れをやらかすのもヒトらしい
(それもこれも多数決ゆえの趨勢を当てにした腰抜け共の都合づくりに他ならない)
その程度の世界に未来なんかあるわけねぇだろうがッ
戦争ありきの不法者の肯定時代に逆戻りの空気と解釈だろうがッ
(人口の大半が、平等権より自由権上等なんだからな)
‥皆がしあわせになれる追求だよ、平等権忘れてんじゃねぇよ
‥皆で自由になれる暮らし作りだよ、平等権忘れてんじゃねぇよ
‥プライベートに特化した言い分はすべて自己中だ
‥誰がいつ自己中までを基本的人権保障に含めたというのだろうか、脳内ですり替えてんじゃねぇッ
どうしてそんなDQNが許されよう、そのような錯誤もありきの学びの時代は終わったのだ。
‥ならば別に、平道たる解釈を己に課して生きるより他あるまい
だからこそ、武士道 改め 仏士道(ぶしどう)と呼ぶことにしよう
その昔から、武士道こそが「仏」に魅入られていたという事だろう
何はともあれ、護るに釣り合う気概が無いようでは、始まらないからのう
そして又、力を使うことのみが前提でも困るのだ
矛先を収めた後にどうするのか?
いつまでも年貢や祈りを取り立てるのかね?
矛が必要な用向きとも成れば、年貢も祈りも有りだろう
しかし、用が済めば不用となる。
そうに思えぬままなら武士道のままだ。どうしようもない。
備えが必要としての形を、どう切り替えて創造して行くのかに解は尽きるまい。
そこはもう「仏士道」と言う事になる。
‥善か悪かでは無い
まずはお互いに確認してからやってみるなり、是では無いと思えば取り下げれば良い。
(まぁ容易に取り下げられない事象もあるからな、意見は広く聞くものだ)
> うた詠み終わります、ありがとうございました。
【詩の最新記事】
- 【詩】故郷は旅
- 【詩】獣と屑の二択だけの脳
- 【詩】我を識る為に必要な心構え
- 【詩】宇宙はいつでも飢えている
- 【詩】運否天賦
- 【詩】天上天下唯我独尊
- 【詩】変身とお笑いは双子の関係?
- 【作詞作曲】それが、ぼくだから
- 【押忍】美しき明日への十ヶ条
- 【詩】僕と君、僕ら君らの間にある断層
- 【詩】不可解や意気投合を追いかけり
- 【詩】正しく絶望してこそ腑に落ちることも..
- 【詩】「人生来たー!」ってどんなだよォ!..
- 【詩】楽しいとは何だろうか?
- 【詩】人生それも所詮は、只今実験中ですか..
- 【詩】勝ち抜きたいのも守り抜きたいのも哲..
- 【詩】青春とは
- 【詩】ぼろ雑巾の心得
- 【詩】[破綻上等]以上[その恋愛、スルー..
- 【歌詞】君の名はプラスチック