2019年09月22日

【勝手句帳】r025(01-9-20)静岡新聞掲載分から


↓ 13)1 向宜詠吟.2019/09/22(追稿.2019/09/23

|郭公鳴く森のしじまを存分に
沼津市・潮音ひこばえ句会(9-20)

|郭公の渡る響かす杜の風 止むな聴かせよどこか行き


*「な〜そ」に連用形をサンドイッチに挟むと、「〜しないでおくれ」「〜するな」の意になる

 「な」副詞: 副詞解釈の「な」の方が扱いやすい。
 動詞連用形: 例外的に、カ変は「な来(こ)そ」、サ変は「なせそ」
 「そ」終助詞: 禁止。「な」が禁止を表し、「そ」は添えられた語とする解釈もある。


> カッコウが杜に渡って来ている
> 耳を澄ましていると、時折静まってしまうのはなぜだろう
>(獲物でも見つけたらどこかへと去って行ってしまうのだろうか?)
> お願いだから、このままこの場所でどこにも行かずに、その声をじっくりと聴かせておくれよ




 ‥ネタの句の言わんとしている着目はわかります
 しかしそれぞれの言葉のニュアンスがどうにもぎこちないのです

 まず、「や」と盛らずに「鳴く」としてあるのは
 郭公が存分に味わっているようにも思え、気に入らなかったのでしょう
(味わっているのは、あくまで読み手の私だと、まるで断りを入れてあるかのようです)

 その結果

 「鳴く」と「しじま」がかち合うことになり
 後に続く「存分に」がどことなく
 「森にしじまなんか無いだろう、そこにあるのはお前さんの鑑賞の黙(しじま)だッ」
 ‥としたツッコミを入れて下さいと言わんばかりです

 このような場合は、「鳴く」→「の」と放り込むのが短歌の上の句としては繋げやすく思います

|郭公森のしじまを存分に

 ‥でも、「存分に」なんて盛り方は、大味すぎるのです
 それは、読む側、聞く側が期待するのは、詠み手が次に何をしたかにはなく
 「黙(しじま)」に着目したからには
 其に余韻を求めるべきが、短歌ともなれば、空気として外せない趣だからです

 (ネタは俳句ですから、そこまで求められていませんが、まぁ参考に)


↓ 13)2


|耳垢を取って五月の風を聞く
島田市・さんしょ俳句会(9-20)

|耳垢を取って五月の風を聞く 「令和」だそうです‥なんだそりゃ‥



↓ 13)3


|新品の長靴光る雨デビュー
焼津市・川柳わかくさ(9-20)

|雨デビュー‥ゆえに長靴泥まみれ やらかす新卒 傘を折る


 ‥新卒を預かることになった俺は営業の担当だった
 その日は、大事な取引先との詰めの打合わせだった
 ところが、ついてくることになった新卒が余計をぶちかましてくれたせいで

 ‥それのとばっちりで、大事な担当から外される始末になったった‥

 ‥どうしてくれるんだよこの長靴ッ
 ‥俺が傘役のところに、長靴顔で恐いもの無し発言しやがって
 ‥会社からすれば、俺まですっかりダメな傘扱いになっちまったんだぞ、ごらぁっ


↓ 13)4


|尖った心 丸くなってた雨後の空
島田市・さんしょ俳句会(9-20)

|梅雨尖り丸くなってた雨後の空 「久しぶりです」懐かしき声



↓ 13)5


|朝夕にどこかやさしき残暑かな
静岡市・羽衣俳句会(9-20)

|朝夕やどこかさわやか無事に居り お悔やみお見舞いしばし忘るる


 ‥夏の猛烈な暑さが退いたのか
 ここ最近の朝夕はなんとも爽やかに感じられるのが心地よい

 思えば昨今は、熱中症に怯え、台風に怯えねばならない
 そんな疲れてしまいがちな鬱な気持ちも、空気が秋になったと思えるだけで随分と助かるなあ

 ‥有り難くもあり、申し訳なくもあり
 無事にすごせている毎日に感謝だなあ




 ‥ネタの句の下五「残暑かな」は「涼新た」の方が適切に思いますが
 中七の「やさしき」のそもそもが「爽やか」ということで、悩ましい詩着でーす


> ということで、どこか炎上しそうな悩ましき短歌にできあがりましたとさ


 ‥さて問題です
 こげな詠みを政痴屋が唱えようなら、100%速攻炎上なら
 どこの誰ならセーフでしょうか?

 1.ダメでしょ
 2.炎上させたいならOK‥(一吟で国民の不満のガス抜きになるなら造作もない)
 3.物事に目星が付いた頃合い
 4.死人に口なし(故人の当時嘆ならOK)


↓ 13)6


秋は名のみ鳩の声聞く肘枕
静岡市・羽衣俳句会(9-20)

|風だけの名ばかり告ぐる秋の声 安倍の紅葉よ早う散らなむ


 ‥最近の秋は、風ばっかりが憂う秋模様で、陽射しと空はまだまだ夏である
 それに鏡似しているのが、アベノミクスならぬ安倍晋三のおともだち内閣だ
 そんな紅葉なんか見たかねぇからよ、早う散って貰えないかと
 つくづく日々にそう思うよ(ほんと、厚苦しい限りだよ)




*終助詞【なむ】‥「なも」の転。「な」に伴う響きの派生型にあろう。
 禁止の終助詞「な」よりも意味が婉曲である。その後に意志・適当の「む(ん)」が強めに被った形。
 動詞などの未然形に接続。話しかける相手に、動作・作用の実現を誂え(あつらえ)望む意を表す。


↓ 13)7


まだ飲めよと左手伸びて酒が誘う
島田市・さんしょ俳句会(9-20)

|飲まなもや自死勢いの秋深し ろれつ低迷 景気も低迷(うヒっく)


 ‥それにしてもこのストロングゼロは有り難いよな
 でも秋だからもう一本、違った
 頭に来てる増税で乾杯、違った、ヤケ酒でぃ

 テヤンデェ、もう一本いっちゃおうかな(うヒっく)
 お財布さびじぐなっちゃうからやめとこうかな(うヒっく)
 それにしても今日は(うヒっく)酔い足りないかも(うヒっく)
 なにしろ10%ですよ、10%‥(うヒっく)
 ‥ヤケ酒ついでに10本とか
 お酒飲む前からくらくらしちゃうもん‥(っっすーう゛ーすー、ーすーっっすーう゛)




*終助詞【なも】‥誂え(願望・切望)の「な」に感動の「も」が付いたもの。
 「なむ」の古形の説とあるが
 「なむ」の「な」とはニュアンスの方向が異なる風合いに思われる。(著生の感覚)

 ‥例えば
 「咲かなも」‥自慢したいぐらいに綺麗に咲いてるんだけど。
 「飲まなも」‥これはうめえ、誰が飲んでもハマっちまうに違いない。乾杯。
 「食わなも」‥これは絶品、誰だってほっぺをおとすz。ソウルフード。本日のオススメ。


> ‥単純に「未然形動詞+なも」→「これはもう〜せなあかんでしょ」と軽く誘う趣である。
> てな具合に、感動を叫びたい→オススメしたい場合の表現に使えそう‥(これは好い)


 ‥だだし、平仮名やカタカナに置き換えると見映えが思わしくない
 このカップラーメンは我が家の「食わなも/くわなも/クワナモ」です(定番の意)
 この酒は俺の「飲まなも/のまなも/ノマナモ」だから(定番のオススメ)
 この子は我が家の「咲かなも/さかなも/サカナモ」です(アイドルの意)

(どうにも方言で、何言ってるかわからなくなる感覚‥あくまで感嘆が使用の範囲‥)
(でもまぁ、会社名だったら横文字っぽいから、ひら・カナでイケそう)


↓ 13)8


|防空壕へ背負はれて入りし草いきれ
静岡市・羽衣俳句会(9-20)

|防空壕へ背負はれて御座の香 幼き頃のおぼろな闇間


 ‥静岡への空襲は昭和19年の暮れ頃から被害を受け
 昭和20年の6月19日深夜から20日未明にかけて大空襲されている
 (終戦迄に、大小合計26回に及んだ)

 つまり、「草いきれ」と夏の季語を放るのは記憶違いである可能性が高い


 ‥度々の空襲に業を煮やして、御座を敷いたのだろう
 農家とか農家集まりの私有防空壕だとそのぐらいやっただろう

(冬場なら地面が尚更に冷たかっただろうし、稲藁の残りで編んだそれの香に思われる)
(当時の戦時下流通を思えば、思いっきりそのまんま藁だったかもしれない)
(だからここでは、御座と書いて「わら」と読ませてもありに思う)


 ‥そしてそんな藁のまんまに、大きな風呂敷でも敷けば、ハイジのベッドになる
 (あのシーンは、そんな空襲体験からの応用発想だった‥かもしれない)


↓ 13)9


|長生きし不安をあおる生活費
焼津市・川柳わかくさ(9-20)

|長寿へ不安を煽る二千万 税制正義と未だ封建


 ‥民主化とは、基本的人権に則った改善を自由な発想にて求めるべき視界である
 なのに、未だにマンネリに封建時代からの搾取システムを正義として、やらかすばかりだ

 ‥さらに言えば、従来方式のありとあらゆる仕組みが
 人権思想の理想より、高貴で気高いとして見積もられている有り様にあるのは
 21世紀としては、もはや自由好奇に見えるだけで、どうにもイタい

 ‥馬鹿なの?キチガイなの?
 そんな化石な昔ながらの腹黒ルールの有り様に、かしずくことが民主化なのかよ?
 (ふざけるな、いい加減にしろッ)


↓ 13)10


立ったまま靴下履けると意地っ張り
焼津市・川柳わかくさ(9-20)

|片立ちを拒む同盟ありき論 貢いでポチい指示してポチい


 ‥日本のすべき憲法改正は、なにも自衛権の有り様ばかりでは無い
 それなのに、自衛隊の文字さえ刻めば問題が解決するだろうの裏には
 日本国憲法より日米同盟の中身の方が格上だと見下した思惑が隠れている

 どうして国家の憲法が同盟の中身より劣るというのだろうか?
 (そこには、集団的自衛権の論理に埋もれてしまう謀着がもたげるのだ)


 ‥日本の自衛権の在り方を真面目に問うなら、在日米軍抜きを前提にしなければならない
 若しくは、世界平和を前提とした地球全体での不戦を問うべきである
 その上で、自衛権の意味を失うと嘆くばかりなら、それは政のなんたるかを知らぬ者の戯言である

 自衛の自衛こそは、自営からで有り
 その足腰の強さから成る平和への眺望こそを第一とせねばならない

 並びに、目指すべき地球平和同盟の仮想敵として挙げるとすれば
 そりゃ隕石の襲来とするのが当面の中身だろう(それとも何か居るのかね?諸君ッ)




 ‥例えば、地球公転軌道上に一万個の隕石群がやってきます
 さて、備えとして必要とするべき第一優先は、まずは何?

 前提が「1個程度」の思考でしかないと、地球平和同盟としての意義に欠いてしまいますが
 一万個ともなると、そりゃ、チームプレイありきです
 一万個ですからね、そりゃチームプレイです


> その為にもまずは何が必要か?


 答え:それこそが資本同盟(予算ありき)としての中身でーす‥(理解してますう?)
 つまり、日米同盟の裏にも資本同盟の中身があるんですねッ


> 旧来に「予算」と呼んで来たのは、知られざる同盟ルールに則った私腹ありきの枠組みです


 まぁそんなの空気でわかってると思いますが、具体的には‥未だ誰も口に明かしてはおりません
 (おぼろには見えていても、具体的には思考停止しているのです)

 英国のEU離脱とかなんとかにしても
 裏には軍事的な同盟枠が隠れておるのです
 だから、引き剥がしたくない勢力も居るということになります

(英国の担う軍事要素の資本の旨味が大きいのかも知れません)

 それを、経済だけの同盟と、軍事だけの同盟とに区分した
 目くらましを上手にやらかしているのが本質です‥(なにが開かれた民主社会だよこの闇がッ)


↓ 13)11


羽ばたきの親を見ていた巣立ちの日
焼津市・川柳わかくさ(9-20)

|羽ばたきを親から学び今巣立ち 信じる風は親の愛情
|羽ばたきを親から学べぬ世の空気 職替え自由の困っちゃう
|羽ばたきを世間に学べネットの世 若さでチャンスも拾余年
|羽ばたきに陰謀混じる世の空気 腹を読ませど風掴ませじ



↓ 13)12


|お題:生身魂  *生身魂(いきみたま)で検索
沼津市・潮音ひこばえ句会(9-20)

|生身魂 馬鹿を誰に習いしや 片親育ちの羨望の澱


 ‥最近、「生身魂(いきみたま)」なるお盆用季語が妙に目に付くので詠んでみた
 簡単に述べれば、生前にある「親」をお題に句作するのである
 これこそが日本人の底知れない感性と言える(マジでおののくz)




 ‥著生のオヤジはどうみたってお馬鹿である
 それでも、オヤジのオヤジ(つまり爺ちゃん)は軍の獣医だった
 それで、どうして馬鹿になる???

 ‥爺ちゃんは、戦時中かの半島で軍の獣医をしていたそうだが(概ね軍馬が対象)
 病にかかり、本土に早々に引き揚げてくることになった
 それから、敗戦を迎えることなく病の悪化で亡くなったそうだ

(爺ちゃんの実家は、福島の山奥のそこそこ結構な農家)
(当時に大学にやれるんだ、しかも医系、説明不要)

 ‥軍獣医で稼いだカネはかなりあったらしいが、婆ちゃんが思考不足なお花畑だった口で
 爺ちゃんの残した通帳と印鑑を、爺ちゃんの実家の生身魂(家長)に預けたとかなんとか
 そのまま返して貰えないで、一気に、どん底貧まっしぐらを駆けることになった


(その生身魂の執着がすごい‥田分けで失うぐらいだったらお前らいとこ同士で結婚せいっ‥)
(結果、近親相姦の劣性遺伝で盲目なお方がおるとかなんとか)

(なんて残念で炎上な血を引いているんだよ、糞がっかりッ)

(どうにも系図を見ると福島の外からやって来た養子が交ざっている‥新潟からとかなんとか‥)
(子宝に恵まれず養子を入れた後に、男子を授かっているのだが‥まさかのNTR子とか???‥)
(そちらの方のその後の系図がないのは、戦争等で死んだか病死に思われるが‥まさかね‥)
(江戸期感覚の養子縁組だとすると、夫婦の年齢はまだまだそれなりの早い段階だったかも‥)
(なにしろ豪農だし、機械化してねぇ時代だし、跡目の確保は早いに越したことはない)
(知れば知るほどに、怪しすぎる維新の頃の前後期に現れた曾曾爺ちゃんの存在なのだった)
(長子の扱いなのに、名のあたまに「七」をかざしているので誰が見たって養子だと判別できる)




 ‥曾婆ちゃんは(爺ちゃんの母)は
 そんな狡くて頑固な血筋の生身魂をよそに孫のために米をせっせと運ぶ役回りをしていたそうだが
 婆ちゃんにしても、事切れて実家の信州に戻る選択に至った
 だが、婆ちゃんは兄弟姉妹の中でも変わり者の口で、なにかと馬が合わない性格だったそうだ
 ‥そこにしかも
 戦後飢饉とかち合っちまったタイミングだった事情っぽいのがさらに痛い
 そんな婆ちゃんは、五人の子を抱えて、そりゃ地獄だったに違いない
 出来の良い長男長女がかわいく見え、できの悪い下に回す心の余裕なんてそりゃなかったろう

 下の頭のできの差がどうにも、父親の顔を覚えているかどうかの差にあるらしい(本人談)


(そんなに違うのか?‥追跡調査によると勉強は出来ても目標が無かったりのパターンが高くなる)
(必然的に、主張の場や体験の機会が減ることからの覇気に欠くのだろう)


 ‥そんなお馬鹿のままにあるオヤジを見て育った俺としては
 馬鹿に対する反応はそれほど否定的では無い、むしろそれぞれの状況に関心を抱く

 ‥観察していると、オヤジには、父親を亡くしたときの感情が絡んでいるとしか思えない
 当時に思い出すのがつらくてかなしくて嫌だったから、思うことを捨てたとかなんとか
 どうにも考えることそのものに反抗しているようでもあり、考えようとする向きがまるで無い

(でも、勉学優秀な兄貴に将棋では圧勝だったとかなんとか‥???)

(その長男は、中卒で地銀に期待されて就職‥でもその後逃げるようにキリスト教の牧師に‥)
(そりゃ、銀行業に気持ちが付いてかなかっただろう事は想像に難くない)




 ‥親の思考の半分ずつは暮らしの中で遺伝するようなモノにあるが
 結局そこにはあったのは「羨望」だった、そこからの蓄積したドロドロとした「妬み」だった
 とりわけ、カネの掛かって手の届かないことに恨みがあるかのような顔をしている

 ‥その手の澱が、思考の妨げになっていた次第に気が付いたのは
 その気も無いのに宅浪していた時だった
 アニメで若草物語をやってて、興味に誘われて小説の方に齧り付いたところ
 そこには「祈り」という奴がやたらと出てきたわけだが、じつに「?」だったのである
 その「?」を追求していたら、「祈り」のなんたるかが見えたというかなんというか

 ‥蓋が開いたというかなんというか
 開いてからは、なんとなく世の中の空気が判るようになった
 しかし時、既に遅し
 所詮‥育ちからの中身が空っぽだった事もあり、そこの空っぽの埋め方への関心までには及ばず
 「妬み」のかさぶたは解かれたにせよ、「羨望」のかさぶたはなかなかに解かれず
 その手のお馬鹿さを思い知るには、まだまだ時間を要することになった

(時代の風は、昭和のバブル絶頂期に達しようとしていた時分だった)
(誰だろうと馬鹿半分ぐらいが適度に適った時代の空気だった)

 ‥その一方で
 モノを知らない、持っていないことによる羨望とは裏腹に
 無くてもかまわないとする、気にしないでいられるという誇りのような澱が
 馬鹿に鈍感を注ぎ込んでいた

 (所謂、貧困に染まった所の我慢できてしまうせざるを得ない其は当然だ心理パターン)
 (オヤジはもっと酷い、オフクロにも有るし‥)


 「貧」なのに有っても無くても良いと思っているそれは
 「富」の傲慢さとさして変わらない偏った態度に置かれてあった

 ‥貧のくせに、断捨離できることに誇りを持つことに意味なんて無いが
 誰からと教わることもなくガキの頃から其を平然とやらかしていたのは不思議だが
 今にして思えば、モノの活かし方のコツを知らなさすぎていただけだった

 つまりまぁ自分の裏付けなき澱に忠実で、自分のことしか見えていない馬鹿だった

 モノに溢れていても無いと困る諸々を自覚するのは、概ね中流の思考と言える
 (そこに付きまう‥無いことで発生する一種の孤独色に気が付くのはもう少し後だった)


(持っていないと横並びできないとか、そんなこたぁ気にする意味が無いのが「貧」だからね)
(それこそ思いやりなんかあるようでいて空っぽだったのだ‥其を表現する価値段取りが判らない‥)
(まぁ、曾曾爺ちゃんの血が影響していたようにも思われる‥その方が都合が良かったのだろう‥)
(所詮は、孤高の詩人の魂とやらだったわけで、そりゃ問題ない‥世の中面倒くさいことばかりだ‥)
(しかしである、実的経験値の少なさと付き合いの無さは、後々的に困っちゃうのだった)
(そこの所の好奇心は、壊れているぐらいに発動しないままだった‥カネねぇからよ‥)
(結果、基本的な方針は、未だ無気力・無関心・無感動に変わり映えが無い‥エンジンは遅い‥)




 ‥そもそも、なぜ馬鹿はこびり付く必要があるのだろう?
 そこの回答こそが、世の中の流れを織り込んだ調整弁役とした因果である

 競争の世の中だから、全員が同じように強かに賢いと収拾がつかないことになる
 収拾がつかないと言うよりは、天上界の好みに沿わない事情も絡むだろう

 だから、調整弁としての役回りを求められる節となる

 ‥始めから優秀なら、そりゃ上を目指すだろう
 すると、誰しものパターンは、願いが叶わなければ、ふて腐れて腐るばかりだ
 ならば、始めから程度馬鹿なら観念して、どのような下仕事にあろうと細々とやらざるを得ない

(どちらにせよ、そこに付きまとう心のかさぶたは同じと言うことだ)


 それの入れ子式に置かれたような最たる選択がダウン症とも言えるだろう
 でも当人たちの実際は、馬鹿という表現には値しない様々な個性を持っている

 其者らは、ただ、有るべき普通を敢えて捨てたポジションに立っていることに変わりは無い

(親からすれば、驚天動地で暮らし向きのすべてを変えざるを得ない‥変えさせられているのだ‥)
(概ねは「食」に原因があるのだろうが、宿る方はそれをも織り込んで宿るのだ)
(嫌なら、足元から問いただすべきである、そもそもは原因があるから現象に見舞われるのだ)
(宿る方としては、概ねどちらでも有りの好奇心を潜めている‥そうにしか見えんだろうに‥)


 ‥これは我が子が馬鹿だったとしたら残念とかそういう中身にはなく
 そこの差が著しく思えたなら、親の側の人生に浮き沈みありきとした次第を織り込むのだ

(方針を変えるべき未来への道案内、動機付けとしての沙汰かも知れない)
(単に夫婦の計画に反して、子宝に恵まれ過ぎる場合も当てはまる)
(均一に教育を良くしようとしても、カネが続かないのが予定外の子宝でも有る)
(だが所詮、人生塞翁が馬にあるのだ)

 ‥反対に、なまじ勉強している様子もないのに成績だけは良かったりするパターンもそれである
 だが、貧富の差があるなら、彼の者の情報源は教科書と担当教師の枠を超えるよすがが無い
 中学まではそれで成績を保てたにせよ、成長期に絡むホルモンバランスは容赦なく襲うだろう
 心への負荷がとくに影響を及ぼすのも思春期での勉学だ
 脳がその時に、どちらに振れたかでも‥かなり違ってくる
 当人は気にしていないつもりでも、脳での反応はカルチャーショックレベルだったりするだろう
 つまり、日常への関心がガラリと変わったとしたきっかけに填まったのだ
 ホルモンのバランスの変化は容赦なくそっちに突き進む(誰も止められない)

 それこそが、すすむべき選択肢を揺らがしている集団ながらの都合因果である
 それは又、時々に置ける全体でのモチベーション都合にもなっている




 ‥馬鹿は悲観する中身にはなく
 自らを馬鹿に封印せざるを得ないでいる因果に気が付くことが肝である

(それは、川が堰き止められた先の農村のようなものだ)

 まずは「心を重くしている何かを軽く出来るかどうか」である
 それを個人で解決できる範疇なら努力もありだろう
 しかし、そこには様々な都合が折り重なっても在るので
 なかなかどうして、他力願望に成らざるを得ない次第も見え隠れする


 ‥智慧としての賢さの前提とは
 話し合う力、何を見て何を公平と見定めるかの着眼力に他ならない
(自分側さえ勝てれば良いなどとした根性や強引さに、真に智慧など宿らぬ裏返しでもある)

(真に他力とは、そこの着眼力を頼るやり取りにあるのだ)
(だが、頼るからには、推してついて行かざるを得ないのも流れ‥半分はくそになりがちだ)


 ‥されど反対に
 重くすべき馬鹿を求めるのも、この世のバランス・辻褄としてある

 言わずともながら、それは、責任を担うべき立場とやらである
 なのに、競争も過酷になると、背負いきれずに負荷から逃げ出すのが日常と化する

 そこを封建時代とすり替えているのは、どうにも弱さである
(主だけは優先されて助かるべきなんて思考は、民主化の人権論理からは遠い)


 ‥いずれにせよ、短気は損気に変わりは無い
 其を学ぶ用ありきだからこそ、凡庸な賢さ程度を授かるに置かれているのかも知れん
 そこから先は、自分に納得できる‥生き様なり備えを重ね得たかどうかにも拠ろう


↓ 13)13


闇という壁に一はけの花火がドーン
浜松市・槇の会(9-20)

|テレビ画面 闇という壁 挑む黒 発する素子に暗黒の堀

全ての光を吸収する究極の暗黒シート



ベンタブラック」で検索


 ‥カーボンナノチューブを使った「暗黒反射」の応用研究が、旬の手前らしい
 「暗黒反射」と書いてみたが、まぁ実際は吸収ではなく反射の有り様の閉じ込め方にある
 ブラックホールとは違い、超地場ながらの重力が発生している訳では無い


 ‥でもまぁ光を外側に反射させずに内側に閉じ込める事で、熱変換が発生するそうだ
 (???)
(ということはブラックホールは熱くなるのが筋だけど)
(そう観察されないなら、穴が開いてるって話になるぞ‥だから黒い‥)
(若しくは、熱ですら吸収されて出てこない???‥まぁ爆発しそうではある‥)
(それの勘違いからの闇教義が「ブラック・サン」???)
(ブラックホールが許容を上回る光を吸い込むと爆発する???‥仮定として何か変‥)
(前提とする吸収されるべき光と、ブラックホールの闇はどこからやって来た???)
(難しく考えると怪しいので、穴が開いているケースも有るとすべきだろうな)
(宇宙の空間でさえ穴が開く代物と言うのが、よくわからない話になるわけだけど)
(それはそれで、ビッグバンでさえ小規模な爆発と定義付けないと宇宙が成立しない話にもなる)

(それでもって、ブラックホールの勢いにもゆらぎがあるとするとまさに細胞空間???)
(宇宙に流れている栄養に相当するそれってなんだろうか?‥になってくる‥)




 ‥そんなカーボンナノチューブをギザギザに尖らせた構造を
 テレビ画面に応用しようとすると
 発する素子の一つ一つの間の隙間を、掘るが如くコーティングしてみようなどと思いつく‥
 そうすれば、素子光の鮮やかさが増すだろうと予想が立つ
 素子の周りで暗黒反射が起きるのだから、通電オフらしき黒発色は、より黒く見えるだろう

 ‥なんて風になりそうだけど、気の遠くなりそうな話に変わりは無い
(なんせ反射むらの許容とやらがまるで未知である、ナノ面積単位レベルの測定技術力が欠かせない)



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:40 | Comment(0) | 名句にポン/2019中途から | 更新情報をチェックする
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