↓ 6)1 向宜詠吟.2019/10/03
|木洩れ陽が川底までも照り透す昼高瀬川の水の明けし
焼津市・高草短歌会(9-28)
*高瀬川(京都府) wiki‥京の鴨川の中途の隣に沿うように設けられた極浅の運河。
(高瀬川の地名は色々とあるが、ネタの首の該当はこれだろう)
‥まずは、詠み手の現地感でもある極浅の印象に適った「照り透す」を活かしてアレンジ
著生は現地を知らないから、ネットから閲覧できる範囲での句作である
(どうしたって歴史観を外しては意味が無い‥というか腰が無くなってしまうのだ)
|高瀬川 歩度の渡りを照り透す *歩度(ほど)
↓
|高瀬川 歩度の渡りを照り透す 散り染むる花の堰ぞ満覧
*満覧(まんらん)‥辺り一面が同じ趣で満ち渡っている様子。(著生造語)
参照:鉄道で行く旅・管理人のブログ
鴨川と高瀬川のサクラ記事から抜粋:カット
‥ここではまだ
先に用意したアレンジ句に、ブログで見た画像を参考に、下の句を後から取って付けただけの状態
流れとして、上の句に花の景が無いので、下の句での唐突感が不満
↓
|高瀬川 散る花をそへ照り透かせ 歩度の渡りの堰ぞ満覧
> ‥高瀬川の歴史をふり返るイベントの中でも春は外せない
> 高瀬舟を人手で曳くので、水量をかさ増しするための簡素な堰を設けるのだが
> ‥それが塩梅丁度良く
> 散る花を乗せて照り返す様は、透けた水と光と影のバランスが心地よい
> そしてその春のクライマックスとなる堰の様子がまた一面とした花いかだで華やぐのだ
> (今年もまた宜しく頼みますよ)
‥即興にて一発で詠めれば、それにこしたことはないが
これではまるでAIの思考手順をなぞらえたかのような作りである
これもまぁ時代の流れなのだろう(まだまだ人様の作り込みだから気にしなくて好い)
↓ 6)2
|紫陽花の瓶に挿したる毬ひとつ雨降りそめし夕のつれづれ
焼津市・高草短歌会(9-28)
|徒然の雨と紫陽花 ひと毬を 挿したコップが家ならなんぞ
‥徒然の雨と紫陽花があまりにも綺麗だったので、一毬頂いてきた
衝動的とも思えるその行動には備えというものが無く
とりあえずは、間に合わせにも、その紫陽花をコップに挿して置くことにした
でも、後で花瓶を買おうと思ったもののすっかり忘れ、気が付けば散り始めていた
‥せっかくの休日なのに、今日もまた雨
杜撰ながらに、そんななれの果てのコップに挿したままの紫陽花を
一日中眺める羽目になってしまったのだから詩人にならざるを得ない
‥そこで‥
杜撰にもコップに挿しっぱの紫陽花のざまが、今の私にそっくりであることを思い知った
‥すべてが間に合わせの毎日で忙しく
そんな日々をただなんとなく一人の部屋に帰宅する繰り返しの私
私をその一毬の紫陽花にたとえたなら
どのような「花瓶」だったなら、日々が明るくなると言うのだろうか?
どう考えたって、一毬ではさびしいのに、なぜか‥一毬で良かったのだ
(それは、どうしてだろう?)
‥花瓶を「家」に見立てて、豪華に想像すればするほどに、一毬で良いなどとはとても思えない
なのに、一毬でも満足できると思っていたのだ
(なぜだろう?)
一毬で良いなら、このままでも良いとどこかで思っていたのかも知れない
そんなことは無いにしても、どのような花瓶に挿すべきだったかを今更ながらに問う始末にある‥
‥それはそのままに
「私は普段、何を目指して頑張ってきたというのだろう?」
という自身への問い掛けに他ならない
それの現実こそが、目の前の一毬の紫陽花の散りゆく姿ということになるのだ
そのように曖昧だったからこそ、一毬でも良かったのだと言わざるを得ない
↓ 6)3
|必勝の鉢巻しめて乙女われら軍需工場の旋盤工となる
静岡市・しおん短歌会(9-28)
|必勝の旋盤工の乙女から 今に思えば乳房を捨つな
‥女学生が大人の男手に変わって、旋盤工を期待されるようになった
そりゃ心のどこかには、「この戦争には勝てないのでは無いのか?」
とした気持ちはどこかにあったろう
あったにはあっただろうけど、誰もそれを口にはしなかった
そして気が付けば、やはり日本は戦争に負けたのだった
そして気が付けば、女性も社会に出て活躍する道筋がそこには大きく広がっていた
旋盤工をするのと比べれば、ずっと自由で華やかに見えた
そして気が付けば、女性の時代のラッパが鳴り始めていた
それが何を意味しているかなど誰も答えられないのに、それをなぜか信じだしていた
ただ何となしに、欧米ゆずりの「レディーファースト」であるべきだからという
なんとも戦時下の頃とは打って変わった文化色に、女子の誰もがほろ酔いだった
そして気が付けば、男子に乳房を貢ぎ物にしているだけだった
おしゃれは誰のためにするのだろう?
素敵な服はなぜ欲しくなるのだろう?
豪華な家になぜ住んでみたいのだろう?
ゴージャスな車をなぜ豊かさのシンボルに思うのだろう?
笑顔であるべきとしている日々は、なぜ二人だけの世界で静止するのだろう?
そして気が付けば、子供を産み育てるのがしんどい社会になっていた
もはやタバコを吹かした男に用は無い
こどもの笑顔の方がずっと気持ちが晴れる
そして、ようやくに気が付いた
この乳房こそは、子を育てる笑顔のために有った(男に貢ぐためでは無い)
男が争うと女は不幸を見る
男が争わなくなったからと女がしゃしゃり出ていけば、男と争うことになるのだ
男に任せておけない社会も勿論あるにせよ、そこに争う世界があれば、女は女では無くなってしまう
‥ところがどうだろう‥
女の時代などとした音頭にしたって、男は育児のそもそもを知らんのだ
そんなことでは、詐欺と同じでは無いのか?
それでいて、女を捨てることを社会が強要してくるのが実際にあろう
子を産み、育て、若さを世に吹き込んでいくお役目こそが女性の本懐のはずなのに
その象徴こそが乳房にあるというのに、男どもの眼と来たら色好きなだけでしかない
どうみたって、女の時代などとは詐欺にあろう
女を丸め込んで、何もかも奪わんとしている不届きな輩は、戦後の方であろう
‥確かに私たちは、負けたくなかったからこそ、旋盤工にまでなったのだと胸を張らざるを得ない‥
ならば、男と女の間に在るべきが、「恩」にあるだけでも十分に機能しよう
「愛」などと無駄に欲張って、頑なになったところで
自由勝手で受け継がれることも無く、ただただ‥
女としては、乳房を捨てるようなものなのだから‥もとい母性じゃ‥
どうして、未成熟にも大きな赤ん坊を隣に添えただけのような性の有り様に満足なんぞできようか‥
そのようでは、こちらまで同じように未成熟のままに老いろと縛られているかのようだよ‥
男には無理でも、女にはそこに若さを産み出す力が在るのだから
↓ 6)4
|まっすぐな稜線に咲く星月夜
静岡市・あけぼの句会(10-1)
‥ネタの句の中七「稜線に咲く」の「咲く」は、どうにも勝負手に見える
しかしまぁ痛烈なインパクトでありながら、どこか腑に落ちない趣を拭えない
なにしろ、咲いているのは星月夜の方ではなく
あくまで見上げている詠み手の気持ちの方だからだ
どうしたって、区切らない見方も残るので
そちらの解釈のされようが付きまといすっきりとせず、どうにもジレンマを抱えたままにある
だが、短歌に引っ張るなら「咲く」を伏線にした詠み方もありなのだ
|まっすぐな稜線に咲く星月夜 その時からの宙見草かも
*宙見草(そらみぐさ)
> ‥私が、本格的な宙観察馬鹿の宙見草になったのは
> きっとあの時に稜線の上で見た星月夜の光景からに思われる(そりゃもうパラダイスに見えた)
> その時から、真に夜空の輝く様に魅了されてしまったのだ(すっかりそうなのだ)
|デッカい月まんま真横の尾根めぐり 搗きたくなるや播きたくなるや
‥「パール稜線」てな感じに盛りたかったのだが
今時はそれを表現するのに
「まんま真横」「真正面」と盛ったぐらいでは、山頂沿いにいるとは認識されることがない
なぜなら、望遠レンズでどこから覗いてたって同じだからだ
一方の「尾根巡り」にしたって同じで
尾根を歩いているのか、尾根を撮影しに移動しているのか‥
表現としては、ぼんやりしてしまうばかりにある(全く困ったものだ)
‥でもまぁさすがに、二重にして示せば、どう見たって尾根の上だろう
とは思うも、そこにも月の擬人化とした解釈の罠があって、どうにもしまらん
だからといって無難に「歩く」と示しては
立ち止まり月に注目している趣に欠いてしまうのだから悩ましい
> ‥来ました来ました「只今、パール稜線を尾根にて味わっております」
> その月が真ん前にあるという光景に、わたくしは今、俄然、餅つきがしたい心境です
> 「餅搗きてぇ!」
> ‥これこそが、ご先祖様らから受け継いできた餅つき遺伝子の正体だったように思われます
> その搗いた「餅をみんなに播いて歩きてぇ」
> これの衝動こそ、月の妖しさ、月の輝き、月のもたらす昂揚にあるのでしょう
> 日本は太陽信仰であると同時に、月信仰にもあったと言うことです
そりゃそうです
> いくら太陽好きでも、旭を見たって、夕日を見たって、餅を搗きたくはなりません
> スマホのゲーム画面ばかりを見る世の中なれば
> 改めて、夜空を見上げて月を見るべきなのでしょう
> 近年に見る「月」の百面相は、まさに其を語りかけているかのようです
↓ 6)5
|冷気より涼風好む昭和の子
藤枝市・川柳番茶会(10-1)
|ジワジワと冷気のぽちい初令和 増税オンで冷や汗陽気
‥今年の五月頃の予報では
例年より涼しくなるかもなんて言っていたように記憶するが
そんな予想は見事に外れ、ガンガンの日干しざれに気象庁の見方もはっきりとしなかった
梅雨の入りも明けもはっきりとせず
まるで、消費税をやるのかやらないのかの空気に似通ったざまは痛々しく
そこは皮肉にも、結局は糞暑かっただけかよと同じく
景気の下振れにもシンクロして来そうで
結局は、「増税して下振れしただけかよ」‥とした経過を心配せずにはいられない
↓ 6)6
|淋しいねさらさら流れ川がない
藤枝市・川柳番茶会(10-1)
‥ネタの句の「流れ」では
「川が氾濫するって淋しいね」の意味に見えてしまうわけだが
「さらさら」とあるので、明らかに「流るる」と盛るべきを
「流れ」と手を抜いて盛り合わせたところの勘違いに思われる
それとも
河川の氾濫で、モノが流されて行く様を「さらさら」と表現しているのだろうか?
「あ、家も車もさらさらに流れてく‥」
そんな声はどう考えたってDQNでしょう(どこの異邦人?)
‥まずは、字数を優先するのでは無く、文法を正しく使いましょう
|さらさらと流れぬ川や血栓症 安らぎ不足の暮らし向き
‥日本の地盤は、四方からプレートで圧されるので常に盛り上がってくる
山々の尾根の高さが一定なのは、雨が降るからだ
その削られた土砂が、砂防ダム等を覆い尽くすのに100年は掛からないのだろう
‥年間での土砂の量を同じに見立てても、押し流す勢いを小さくしたのがダムだから
河川は瀬切れを発生させ、砂浜は減り、養分が届かずに海が豊かになることも無い
それの統計は既に出ているのだから、ダムが環境を破壊して来たことに変わりは無い
> 河川氾濫を恐れるがゆえのダム建設にしても、やりすぎたと言わざるを得ない
‥私たちの暮らし向きとしても
さらさらとした河の流れが無くなっていることに注目がなさすぎている
其を血管にたとえれば、すでに凝血壊死した環境で暮らしているようなさまだった
田舎と都会の差を考えても
せせらぎには癒やし効果があるのだから、河の流れが地域に無いとした有り様は
そのままにストレス増幅装置と化してしまうだけなのだ
どうにも、そのような状況を「河川ゾンビ帯」と呼称せざるを得ない
また、放置させたままの政治を、「ゾンビ会議」と呼称せざるを得ない
> ‥誰がそんな環境を推し進めてきたのか?
> 明らかに「自民党」です
> これからは、自民党の背後も含めて「ゾンビ会議」と呼びませう
> うた詠み終わります、ありがとうございました。
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