2019年10月31日

【勝手句帳】r039(01-10-29)其の1静岡新聞掲載分から


↓ 5)1 向宜詠吟.2019/10/31

|秋夕焼八坂の塔を浮きぼりに
沼津市・裸子駿河句会(10-29)

|秋夕焼八坂の塔を浮きぼりに 祈り貫く影濃き相輪


 *八坂の塔で画像検索
 *八坂の塔 夕焼けで画像検索
 *相輪(そうりん)で検索‥(五重塔の先っちょのとんがり部分)


 ‥京都の秋はスゲーなあ
 とくに八坂の塔は定番だよね、マジうらやましいっす
 違った、実に歴史を感じさせる味わいを醸し出す
 あの相輪にさぞや平和への願いがこもっているんだろうなあ


 ‥沼津の秋の夕焼けは、多くが雲掛かっている
 京都や奈良の晴々とした秋の夕日が実にうらやましい
 ‥どうにも、お前らは毎日富士山拝めているから
 秋の夕日は置いとくぐらいが公平だよね‥なんて雲行きなんすよ(チッ)


↓ 5)2


秋の虹歩道の側の供へ花
静岡市葵区古庄(10-29)

誰か忌や歩道の角に献花あり 絶えぬ不幸を弔う祈り


 ‥ネタの句の「秋の虹」ってそりゃ変だろう(どう考えたって不釣り合いだし、炎上するぞ)
 ということで、枕詞みたいな言い回しを考えたのが「誰か忌(だれかき)」っす
 生身霊(いきみたま)なんて季語があるんだから、有りだろう

 そもそも○○忌とつけりゃ季語みたいなお馬鹿にしか思えないノリがある
 (誰もそれぞれの命日なんか正確には覚えちゃいないのだ)

 ‥尤も「誰か忌」の場合は、見かけた時節の季語ということで、特定感は無い
 (読み手としては、読んだ時節の季語解釈でとりあえずOKみたいな)


↓ 5)3


|秋彼岸新たな人に思ひ寄せ
沼津市・裸子駿河句会(10-29)

 ‥ネタの句の中七「新たな人」ってのが怪しすぎる
 新しく亡くなったとかなんとかのニュアンスなんだろうけど、エグい
 世間で亡くなる度にそれって基本的に無理だから、嘘っぽくも思える
 どうせ身内・知り合いの範疇でしかないんだから具体的に述べよ
 後から読み返して「この時誰だっけ?」とか、それって墨塗失敗作って事だから


|雁やこたび弔い列に寄せ 遠く旅立つ祈りを渡せ


 ‥渡り鳥がV字列で飛んでいくのは
 単にそちらの方が旅の疲労を下げる上で合理的だから

 ‥でも、地上の私たちからすると
 夕日に照らされて飛んでいくそれは
 どうしたって、哀愁を誘うようで仕方がない

 お願いだから雁よ亡き人の魂を迷わぬように案内しておくれ


(アレンジの場合の「こたび」は、誰でも良い、その時その時でOK違和感なし)


↓ 5)4


ひとつ燃ゆるなり曼珠沙華
沼津市沼北町(10-29)

ひとつ燃ゆるなり曼珠沙華 時折見せる情熱か愛か


 ‥曼珠沙華の花の色は、まぁ赤で十分だろうと、人の側で思っているからだろうか
 突如として、白と姿を変えて現れる
 遺伝子がどうのこうのもあるだろうけれど
 曼珠沙華の側に、どの色で咲こうとしているのかにこだわりが有るようにも見える
 まぁ概ね赤なんだろうけど、他にも色に込めてみたいこだわりがあるのだろうなあ


↓ 5)5


|大空に雲一つなき曼珠沙華
沼津市・裸子駿河句会(10-29)

|大空に雲一つなき曼珠沙華 胸を張って揃い立つ


 ‥曼珠沙華の花は一輪よりは沢山の方が良い
 それは、彼岸への祈りにも通ずること
 だからこそ、青空がより清々しく似合うのだろう

 ‥ならば、私たちの日々日常にもそのような清々しさを手にしたかったら
 胸を張って手を取り合う向きが必要なんだよなあ



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:49 | Comment(0) | 名句にポン/2019中途から | 更新情報をチェックする
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