2019年11月01日

【勝手句帳】r040(01-10-29)其の2静岡新聞掲載分から


↓ 9)1 向宜詠吟.2019/11/01

|神さびの杉間に透けるの滝
沼津市・裸子駿河句会(10-29)

 ‥ネタの句の着目は、一見良さげだが

 「神さび」と名詞形にするよりは、動詞形で用いた方が躍動感を引き延ばせる
 「杉間」は「杉の間」に通じてしまい、部屋号みたいだ
 「秋」とするよりは、「夏」に置き換えて詠むべきである

 ‥読み手に秋のいつ頃かを想像させるよりは
 夏の暑さあってこそ、滝に近づきたくなるのが心理だろう
 木々の間から滝の音が聞こえてくるにしても
 そこに陰影のトーンの艶があるべきに思えば、「夏」で詠まざるは荒削りと言わざるを得ない


|神さぶる森に透けくる滝の轟 闇を抜ければ不動の窪み


https://www.city.kita.tokyo.jp/hakubutsukan/ukiyoe/fudounotaki.html

*神さぶ‥@神々(こうごう)しくなる。荘厳に見える。

 ‥聞こえてくる
 トトロの森のような鬱蒼を抜けたら、そこは神々しいほどの滝壺の前だった
 あまりの素晴らしさに立ち尽くすばかりだなあ


|神さぶる白樺カラマツ黄の山路 広がる秋に踏み入り清みぬ


*清む(すむ)‥澄む。

 ‥やって来ました晴れ渡る秋の浅間連峰
 白樺やらカラマツの黄葉たる山路を歩き出すと、身も心もすっかり清み渡る神の領域みたいだなあ


> 以前に信州路、信濃路、奥信濃の区別を綴ってみたのだが、ググり直したら
> ほとんど一緒の方位だった‥OTL
> 「奥」だけ多少地域差があって特定区をさすらしい
> あと信州路はどちらかというと上田より北部方向を指すようでもある
> ということは、浅間連峰周辺の道には古くからの呼び名が無い
> 修験道の管轄だったせいもあると思うが、そもそもの人口が少なかったせいもあるのだろう
> 名もなき細道にわざわざ名を付けるまでの好奇心は、江戸時代には無かったらしい


↓ 9)2


|秋口の風は優しく肌に触れ遠山の裾くっきり浮かぶ
島田市金谷清水(10-29)

 ‥ネタの首の上の句と下の句の絡みたる狙いがよくわからない
 対象を「風」にしているのがそもそもにして難しい
 このような場合は、遠山と曖昧にせずに、もっと具体的な名称を盛るべきである
 そうでもなければ、その土地ながらの季節感には繋がらず
 どうにも空想の域を出ずに、それこそ何でもあり感の駄文で済まされてしまうばかりだろう


|十五夜の風は優しく肌に触れ ときに叢雲ときに明瞭


> ‥もどかしくも字余りを減らせないのだが
> 「明瞭」意外に何か無いのか?‥どうにも日本語として他にしっくり来るものが無い
> だからといって無理やりに、四音熟語をこしらえてもしっくり来るわけが無い
> 月見を祝う文化が長いわりには、そっちは未開の地だった(痛ぁああ)


↓ 9)3


|赤とんぼ水車のしぶき躱しけり
沼津市・裸子駿河句会(10-29)  *躱す(かわす)

|赤とんぼ水車のしぶき躱しけり かやぶき屋根を幾重にそよぐ



↓ 9)4


|鳥海山のたをやかに稲稔る
沼津市・裸子駿河句会(10-29)

 ‥ネタの句の「風」が、字余り気味にどうかだろう

 見るに、鳥海山からの風が吹き下ろすのは、地元の風情として外せないらしく思われるが
 中七に「たおやかに」と置く以上、それ以上に風を強調させる意味合いは薄い

 ‥又、土地柄稲が風になびく日和を詠もうとしても、主体はやはり季語の「稲」である
 そこに「鳥海山」と盛っては、「風」までしゃしゃり出る出番は無いと言わざるを得ない


|稲稔る鳥海山へたおやかに こうべの垂るる「うふふあはは」


 ‥いやぁもう見事に実ってくれるとほんとうれしくて
 なんにでも感謝したくなっちゃうんだよなあ「うふふあはは」
 そう思うと稲も主に似て、こうべを振ってるんだろうな(靡いているだけだけど)
 まぁ一番に感謝すべき相手は、ふるさとの山(鳥海山)って事になるよ、うんだ


↓ 9)5


学童と稲刈る棚田山日和
沼津市・裸子駿河句会(10-29)
|稲刈りの後に広がる空青き
沼津市・裸子駿河句会(10-29)

 ‥今時は、機械化だから減反くずれだから、空の青い内に稲刈りを終えるのだろう
 教育授業の一環なら尚更か
 どちらも昼の内に終えてるような詠みである

 それが実際だとしても、それはそれで何の風情も無い

 一方で、そこを脚色したところで何の違和感も生ずるまい
 そもそも、開始時刻が示されていないし、規模も示されていないのだ


|学童と稲刈る棚田空青き ほっとする頃赤き夕暮れ


 ‥今日は学習用の棚田を児童らと稲刈りするに良き秋晴れだな
 すべての作業を終えてほっとしていると、すっかり夕焼けである
 昼間は青、夕暮れは赤、見事にすがすがしいほどの秋の空だったなあ


↓ 9)6


|さわやかな秋の陽を浴び老妻と今が高値の早生みかん採る
沼津市下河原町(10-29)  *早生(わせ)‥旬より早く出荷する栽培収穫法

 ‥ネタの首の「老妻」がどうにも引っ掛かってしょうがない
 早生みかんを一般向けに解放したみかん狩り参加というわけでもなかろうに
 そこはそれほどに強調すべきことなのか?


|さわやかや今が高値の早生みかん 秋の陽を浴び妻と収穫


 ‥ふふふ、今年の早生みかん順調のようである
 今が高値と思うと益々以て、辺り一面のみかんの香り共にさわやかだなあ
 なんてよくばり気分にニヤついているのは私だけでは無い
 妻と二人して、字余り勢いの張り切りで収穫しましたよ


↓ 9)7


|田植ゑて米寿達者に暮しけり
藤枝市築地(10-29)

 ‥ネタの句の上五の中に区切れがある
 「田、植ゑて」
 「田植えして」では積み重ねてきた時間経過を表せていないと言うことらしい
 (又、字余りの度合い調整も兼ねている)

 ‥だが、だから「達者」です風だけではわかりにくい
 もう少し、生活感が見えるように工夫すべきだろう


|田植えつつ齢米寿の祝い酒 このまま遂げたき紀寿の酒


 ‥儂の誕生日は田植えの時期と重なっており、田植えついでに祝うのが通例だ
 だからだろう田植えを止めたいと思ったことが無い
 息災にも齢88である、ここまで来ると田植えつつ100歳の祝い酒をしたいものだなあ


↓ 9)8


|試歩の身に即かず離れず赤とんぼ
静岡市葵区川合(10-29)

|ヒーローに即かず離れず赤とんぼ ファンサービスやふるさとの香


 ‥今やヒーロー・ヒロインと云ったら、芸能・スポーツの有名人だ
 それにあやかろうとする勢いはどうにも半端ない

 ‥自由主義の世界ならそれをどう解釈しようと自由様のはずなのに
 勝手に好きになる分には、ほんとどうでもと思う他人の恋愛と同じだよ(生理反応みたいなものだ)
 だがしかし、そんな取り巻きらからすると、かわいがって貰えないのは面白くないのだ
 どちらともに人情と言うことで解釈自由が許されて当然と思うも
 ヒーロー・ヒロインに向けられる視線はそうではない

 もはや、ふるさとの顔に相応しいか否かの瀬戸際合戦に置かれるのである
 「人気」=「実力」とは即ちそういう事なのだから、たまったものではない

(しかも、どんな形なら受けるかも、キャラが違えばまた違ってくるのだからうんざりだろうよ)


 ‥そこに自覚の無いままに実力主義・能力主義を唱えてみたところで
 自分に向けられる期待が増えないなら、ミラクルから遠ざけられるとした構図にも置かれるのだ
 これはエネルギーの過多そのものなので、馬鹿にならないところがある
 (これは多ければ良いというわけでもなく、過多に耐えられないなら、ただのストレスなだけだ)


 ‥そんなこんなで
 大衆もマスコミも、都合勝手に持ち上げているだけの所もある

 ヒーロー・ヒロインへの期待とは即ち自由に非ず、象徴だったりしている

 その象徴の器たるに期待されちゃうのってのは、名誉というよりはどう考えたって迷惑だ屈辱だ
 そもそも社会の土台が使い捨て上等前提ありきなんだからな


 ‥お前らもそこんところ、いい加減に目からうろこ落として考えろや
 そんなお粗末社会象徴のヒーロー・ヒロインなんかになりたかねぇやろうがッ
 そんなの、ただの人たらし歓迎社会にしかないままだ

 (だから枕営業やらハラスメントやらと、はびこったままだ)

 それは実力主義ちゃう、もてなされたい主導なだけや
 台風の目に成れないお粗末平均値側の脅迫観念すさまじいだけや
 そんなんで自由主義とか言ってんなや

 「はじめから公正・公平・平道を基本に掲げろや、不可解しいだろうがッ!!!」


↓ 9)9


あたたかくやさしく届くありがとうこの一言に一日まるく
牧之原市地頭方(10-29)

|あたたかくやさしく届く「ありがとう」この一言は天然布団



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:27 | Comment(0) | 名句にポン/2019中途から | 更新情報をチェックする
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