2019年11月25日

【勝手句帳】r052(01-11-22)静岡新聞掲載分から


9)1 向宜詠吟.2019/11/25

|掃除した床にポタリと玉の
袋井市・ど真ん中川柳(11-22)

|書き換えたうそにポタリ 汗答弁 遂にあるわけありき「安倍の変」



9)2


|好き嫌い言わせぬ鍋が煮こぼれる
袋井市・ど真ん中川柳(11-22)

|うそほんともごもご総理 煮こぼるる 忖度外にて焦げており


 ‥ワタクシがうそなんて言うわけが無いじゃないですか
 と息巻いていた安倍総理が、遂に収拾のつかない矛盾をやらかしている

 「桜を見る会」は、官僚ノンタッチで、誰も身代わりに立てることができない

 自分で仕切るのが如何に権力者にとってリスクかって教訓にもなっちまっている


> (なるほどなるほど)だから「お仕事」=「命令」の仕組みにあるわけだ


 「主体性が大事」などと‥社会で言い合う割りには
 その実は、積極的に切腹できる姿勢を下に要求して説いていただけだった

 ‥成功も報酬も上司の手柄
 ‥失態&失敗への責任転嫁こそ部下への褒美

 それが日本流民主社会の本質だった(ただの封建制のまんまやん)
 それが政界のお約束だった(上がそうなら下もそうならざるを得ない)


> まさに油断大敵の傲慢さが招いた結果たるのだろう
> にしては、穴だらけすぎる「さすが安倍総理!」期待を裏切らないz


9)3


|一樹から一々落つる木の実かな
沼津市・潮音水曜句会(11-22)

|また一つまた一つ落つ還元の実 拾わずに居られぬポチり脳



9)4


抜け道木の実時雨やアンダンテ
沼津市・潮音水曜句会(11-22)

|抜け道に木の実時雨の格差あり 拾ってみれば違法三昧


 ‥ポイント還元は実によくわからない仕組みだが
 ザックリ言えば、マイナンバー制度を促す為のカラクリだ

 だから

 始めから不公平ありきな上に
 その予算にしたって、早い者勝ちの空気満載だ

 そのツケが、音も無く消えだしている好景気音頭なのだろう(そうとしか思えない)
 それこそ購入を急かすのが狙いであるかのような
 何がしたいのかわからない制度にある


 「それでもお得脳で参加しちゃうってんだから、愚民上等だよなあ」


 ‥まぁそういう事だから
 アベノミクス全体がそういう空気だったって事で
 いざなぎ超え好景気にしたって全体に万遍なく行き渡らせる気概なんて端から無かったのである

 そりゃそうだろうよ‥だからこそ「桜を見る会」に象徴されている
 そうだ‥「桜を見る会」こそが安倍政権の性質を物語るすべてだっ(他に何がある?)


9)5


目も耳も塞いで今日を円く生き
袋井市・ど真ん中川柳(11-22)

|目も耳も口も塞いで散る花に 良さをとんと知らぬ安倍総理


 ‥桜を見る会を主催しておいて
 潔く散りゆく姿を纏えないという何とも見苦しき有り様が、今の安倍総理その人である

 「いやぁまったく、引き際を知らぬ御仁に統帥権があるとかないとか、終わってるz」

 ‥斯様な御仁が、憲法九条を改憲したいとか
 おこがましいにも程があるというか、身の程知らずというか
 だからこそ潔さを見せつけるべき所のはずだが
 まったくそうでは無いのだから恥ずかしいというか、恥さらしというか、嘆かわしいというか
 無策・無能・無責任を撒き散らしている

(戦争沙汰になったら、「全部たいらげられるまで終われません」宣言に等しいばかりだろうよ)
(勝手に自分たちはまだやれるからと息巻いていた一兵卒と変わらない心理構造)
(それと似たようなおつむでは、どうみたって統帥権の器じゃない)


9)6


転がるる木の実の先は当てもなし
沼津市・潮音水曜句会(11-22)

|転がるる自民の先にあてどなし まどろむ相場 風凪がむかな

|木の実落つ自民の首のもげており 拾わずと厄 拾えば地獄


 ‥安倍総理がああなっては、相場が荒れる様相を誰もが抱くところだろう
 しかしどうだろうか?

 ‥まずは解散、そして選挙の様子見と続く(実に読みづらい)
 ところがどうだ、どちらが勝っても、裏では買いの空気っぽさがある

 それは今や「御門資金」がどう動くのか?‥に尽きる話でもあるからだ

 ‥にしても、自民が勝ってもお金が無い話だそうだから
 自民が勝って相場が上昇するとしたら、旧体制の裏ルールの継続って事だよ(中央銀行体制)
 法律が変わらないからそのままを続けざるを得ないというだけの話

 戦後100年間に条件付けられた植民地化を破棄したところで何も変わらない

 (それはそれでなんちゃって皇位継承くさっ)


9)7


|即吟を促す木の実時雨かな
沼津市・潮音水曜句会(11-22)

|魔が降りる木の実時雨の為替荒れ 「おはぎゃー」地獄の借金苦

|ご光臨 木の実時雨や神為替 ふるえる満貫「Oh!Happy(オッパッピー!)」


 ‥小島よしおの元祖「オッパッピー!」の意味とは違うわけだが
 英語の発音の想定とも異なるわけだが
 強引に当てはめると「Oh!Happy」化しても好いような気がした

(日本人は無理に「Oh!myGOD」を使うことも無いのだからそういう表現にもなるのだろう)

 ‥それにしても
 政権云々の動きに関係なく
 年末年始辺りになると為替相場の想定を越えたブレがやって来るのはなぜだろう?
 聞くだけの側にしてみれば、あれこそが

 天の恵み、もとい相場の木の実時雨って奴なんだろうなあと思う

 つまり、木の実時雨を拾いたければ、年一度の機会を待てとした空気でも有る
 しかしまあ、いつかなんてわからんからなあ(痛い目を見る奴も居るわけである)


9)8


|笑ひこけころころ木の実坂ころげ
沼津市・潮音水曜句会(11-22)

|坂ころげ木の実ころころ笑ひこけ へこたれる様子に無かりけり
 
|もう一度くだるたのしさ天下無双 肌で味わうすべり台たれ


 ‥すべり台は不思議な遊具である
 楽しむ為には、上って下る必要がある

 「なぜ下ることが楽しいのだろう?」

 市場主義競争社会の世の中は、頂点を極めて、その頂きを維持することに懸命だ
 でも、「本質」は下ると楽しいのだ、否、上るだけのすべり台などただの登山だ
 同じのぼるにしても登山の目的は山頂からの景色だ
 それは競争社会の印象そのものでもある

 でも、すべり台は違うのだ、明らかに始めからすべり下りることを趣旨にする
 そういう人生観ということでもあるのだろう

 でも、私たちの多くは、大人に成るとそのような価値観を拒むのだ
 「なぜだろう?」

 滑り台の上で争いごとを始めると危ないのだ
 だから、順繰りにすべり下りることを、楽しむ方向に転化した形こそがすべり台である
 そして再び、お行儀良く順番を待ってすべり下りるのだ
 すべり台とはそのようにマナーを学ぶ上でも最適な遊具である


 なのにそのようには誰も学ばなかったと言うことだろう
 「なぜだろう?」


 すべり台の上で料金を徴収することに夢中の輩が後を絶たない
 それはいつの間にか
 他人を頑張らせてのぼってこさせ、滑るより統べる為の料金を要求している(其が楽しいのだろう)
 そしてそれは、他者を貶める快感を味わうかのように在り続ける(其が楽しいのだろう)
 時折、料金を徴収する利権争いが見受けられる(其が楽しいのだろう)

 すべり台の上で喧嘩なんて危ないだけなのに、馬鹿な大人どもが平然と繰り広げるのだ
 なんて危険思想なだけだろうか‥

(人生だって同じく、仲良く解放してすべり合えば楽しくあるだろうに)


9)9


新しい元気を履かせてる
袋井市・ど真ん中川柳(11-22)

|新しき出会いに希望はずませど 空気違いの己にまず飽きつ


 ‥成功体験とは、宝くじで言うところの金額ではない
 何事にも成功には、人との付き合いが絡んでくる
 そこに興味が無いのだから、成功感覚なんかあるわけねえ

 成功とした感覚自体が不可解で蜃気楼のままだ
 あるとしたら、自分がやりたいことを為したと思うぐらいの達成感だけだ


 ‥そこに気が付いていると、成功などという代物を信じられるどころでは無い
 「それに何の意味があるのだろうか?」とした常に懐疑的にしか向きあえんのだよ

 そもそもが、奪い合ってのなれの果ての成功論でしかない
 信条に反していて、考えただけで居心地が悪い


 ‥この人たちは俺のことに興味があるんだとか(だからなんだよ)
 ‥この女は俺のことが好きなんだとか(だからなんだよ)

 そんなことは俺にとっては二の次だ
 俺がその気になるかならないかのルールでしか無い
 条件が悪すぎるんだから、その気になる機会も少ないとは思うも、まぁそれはそれだ
 その必要が無いと言うことでもあるのだろう

 (俺はいつだってそれで納得している)
 (生きてる価値にしたって公平なんだから、用が無ければ沙汰がおろされるだけだろう)


 ‥そんなだから、俺には、成功にあるべきお付き合いとしたイメージが空っぽだ
 (どちらかというと、関わりたくない傾向に置かれている)
 (どうしてわざわざ不公平で競争でストレスな世界を積極的に共有したいと思うだろうか?)

 ‥だから、物欲と性欲としたあんぽんたんな要求だけがもたげてくる
 そこが世間との繋がりみたいになっているのがよくわかる
 残念な事に、そこには、人としてあるべき中間の感情がまるでスルーなのだ

(そりゃそうだろう、多くは日々の消費の一部で終了する、他にどの見方が成り立つというのだ)
(愛が在るのでは無い、間があるだけだ)
(自由が在るのでは無い、勝手都合を認め合ったというオチなだけだ)
(そこでは、必要が無いから‥感情たる要素が起動しえないのだ‥)
(正確に述べれば、感情とは煩わしいモノであり、煩わせない何かを便利と言いやってるだけだ)
(結果が、今現代のストレス社会と言うことである)
(便利に惑わされているうちは、滅ぶだろう‥そもそもが便利の仕分けをしていない事に尽きる.‥)


 それにしたって、そもそもがささやかな程度だから
 それを維持する為の用までをイメージできない
 だってその程度の欲求しか持ち得ていないんだからな

 誰彼となく、それが人の許容というモノだろう
 そうに無いケースを獣と表現しているのかも知れないな


 たのしいのかと問われれば、間違いなく「つまらない」と答えるだろう


 ‥ならば多くの者たちが便利さとした欲にまみれてしまう惰性に陥りがちなのも仕方がない
 ‥だからだ、益々以てどちらにしたって、「つまらない」事に変わりは無い

 信条に嘘を付いて生きること自体が、自分にとっての恥さらしなんだからな
 恥は小さい方が好い、大きくしなければならない意味も用も無い
 俺にとっての一番のストレスは、自分が自分に恥を抱くって事だから

 (それを相殺してくれる何かなんざ識らん)
 (自惚れほどの恥もなかろう、君たちの恥じない基準とは一体何だね?)

 それの恥の感覚がそもそもからして、相容れない構造をしているんだからそうでしかないのだ



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



posted by 木田舎滝ゆる里 at 15:22 | Comment(0) | 名句にポン/2019中途から | 更新情報をチェックする
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