2019年12月13日

【勝手句帳】r063(01-12-7,10)其の2静岡新聞掲載分から


↓ 3)1 向宜詠吟.2019/12/13

なつかしき友と語らふひとときの登呂の稲田に秋風わたる
焼津市・さつき短歌会(12-7)

 ‥ネタの首の「なつかしき友」、これが個人的には引っ掛かりました
 「懐かしさ」というやつは、半分は忘れていたとする意味があるわけです

 忘れていたほどになると、顔を見てもすぐに判るわけがないっ


 ‥そのような場合
 話が合わないのは、失礼にも恥にもなるので、避けて逃げるのが通常です


 まぁすぐに思い出せたなら話は別ですが
 どちらにしても、その辺のニュアンスは端折ってしまっているほどなので
 「久しぶり」とした空気に思われます


久しかる友と語らふ稲田風 苦笑ひさへ晴々として


 ‥あはは‥「あれからどうしてる?」かなんて、訊かんで欲しいんだけど
 まぁそんなの顔を合わせたからには無理な話と言う奴で
 ぽつりぽつりと苦笑いを浮かべながら、その後の人生を語らうのも田舎の秋だよなあ


↓ 3)2


|遠き日吾子追ひかけ秋夕焼
焼津市・梶の葉句会(12-10)

 ‥ネタの句の中七と下五の関連だけで読み上げたなら
 わが子を追いかけていたのは夕焼けの方である‥ということになります

 どうしたって逆でしょう

 上五が「遠き日」とあるから、どうにか
 詠み手が吾子を追いかけているらしいとした助詞の不適切な盛りなんだなあとわかりますが
 この辺が季語を引っ付ければ同じだろうと思っている程度だって語っている段階です

 そりゃまぁ季語を引っ付ければ、なんとなく俳句に見えちゃうんですが
 基本としての文章でもあることを忘れていては、日本語も糞もありません

 どうしてその辺で、敢えて外人レベルに成り果てるのかが謎なんですが
 その辺は、もっと日本語の感覚に添って助詞を選びましょう(訂正2019/12/15)


|遠き日吾子追ひかけ秋夕焼 さざれ思いの置き去りぬらめ


 ‥なんでだろうな、老いて尚、未だにわが子の小さい頃を思い出している
 今に思えば、いろんな気持ちを置いてきちゃったかなあと思うところもあるけど
 当時はあれで精一杯だったんだし、今更どうしたかったなんて、どうでもいいはずなのに
 なぜか思い出しては、あれこれとした選択肢を彷徨っていたりする

 それとも‥私自身があの頃に帰りたいと言うのだろうか‥

(ヒトって、どうにも無理な願望を持っちゃってるよなあって自分も含めて思わざるを得ない)


↓ 3)3


陽を浴びてダイヤの粒の輝ける物干竿に並ぶ雨粒
裾野市・鈴木図書館短歌会(12-7)

 ‥ネタの首の上の句だけで捉えると
 ダイヤモンドが陽を浴びているように映ります

 極端に解釈すれば、ダイヤモンドが日光浴している風にも映るわけです

 少なくともそこは、「ライト」「光」のニュアンスにとどめたいところです
 でも、言いたいことは下の句にあるようですので
 もう少し、状況のわかりやすい語句を選びましょう


> 仮にそれに適切な言葉が見つからないとしても
> 言いたいことは下の句にこそあるわけですから、そこは脚色もありということです


|夕立の後の輝きダイヤかな 物干竿に並ぶ雨粒


 ‥夕立の後のピカピカとした空気感
 物干し竿に並ぶ雨粒の残りなんか、ダイヤモンドにすら見えてくる
 まぁそれは言いすぎかも知れないけれど
 そんな雨上がりの後の澄んだ空気が好きなんだよなあ



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



posted by 木田舎滝ゆる里 at 12:13 | Comment(0) | 名句にポン/2019中途から | 更新情報をチェックする
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