2020年03月06日

【哲学】引き寄せの現実(ソウナンですか?)

↓5)向宜弁論.2020/03/06

 人生には諸々のトラブルが多い
 其を遭難になぞらえたなら、不運な人生観を思い描くばかりだろう

 ‥しかしどうか

 あなたが諸処のトラブルに対処できる人生のエクスパートだったなら、そうとばかりには思うまい
 そしてそれが皆に知れ渡ろうなら、あなたの所に相談が山ほどやって来ることになる
 そうだ、あなたは動かざるしてトラブルを引き寄せてしまうのだ

 ‥そのようなエクスパートが旅先に出ようなら、どうにも大厄に導かれるに違いない
 ‥なんと冒険と遭難と脱出の引き寄せ劇場の主人公だろうか‥

 だが、これを冷静に考えれば
 ただのトラブルメーカーと変わらぬ運勢の「強運×狂運」の持ち主と言うことになる
 これを訝しげに捉えれば、はた迷惑な存在に映りだすばかりだろう



1-5)1

> さて、諸君
> 諸君は、有能で有ればあるほど、頑張れば頑張るほど
> トラブルを引き寄せてしまう現実をどう理解しただろうか?


 ‥うんざりかね?、ハッピーかね?
 それとも、誰かの不幸を目の前にして、そんなことを考える事も無く
 ただただヒーロー商売が続けられそうな事象観としての安堵を得ただろうか?

 諸処の問題の起因(原動力)が能力主義なら

 優秀であればあるほど、実は不幸を創造しているに等しい現実を引き寄せていることになる
 克服できるとした能力が売り物になればなるほど、それに等しくなる
 あなた方が、如何に残酷で無慈悲な能力の発揮に、喜び勇んで勤しんでいるかを疑うことなく
 邁進すればするほどに、社会問題は肥大化して行く
 まさにそのような現実こそ、グローバリズムの壁と堀なのだ


> 資本主義‥それは、油断を進められて傲慢を信じ込む(そんな心構え)
>(環境保全はあなたが稼いでからはじめても遅くは無い‥結果、誰もやらないパターン落ち)


 ‥不幸を創造していながら、そのようなはずがあるわけがないと
 ふてぶてしくも言い張り、幸福の創造に向かって頑張っているなどとうそぶく

 自由、自由などと調子に乗って真に受け
 ただの自分勝手に成り下がっていることすら理解できていない

 自分勝手では心細いから派閥を組んでいるだけの性根のくせに
 寄り集まることでのモチベーションから平道を得ることもなく
 ひたすらのシェア争い、イス取りゲームに勤しんでいる
 挙げ句の果てには、自らの責を誰かに押し付ける権限上等とばかりの剣幕で見下している

 (資本主義に侵されてしまえば、誰だってそうなる‥そうならざるを得まい)
 (まさに不幸のスパイラルの筆頭である)


 ‥そんなにも活躍しないと生きていけない社会に共感して、叫喚しか生み出せていない
 だから、胸間が苦しくなるのも無理も無きこと



1-5)2

> 間違っているのに、間違っていると主張することができない
> 誰もそこには共感しえない、まこと不可解なる世界‥それぞ絶対資本体制‥


 ‥それが、奪っても構わないと理解してから一歩も譲り合わぬ人類の性根の積み重ねだ
 ‥されど奪わざるを得ないと生きられないのもサバイバル
 ‥文化を失えば尚更だ


 もとい、凡人一人一人の能力なんてその程度、桁違いの科学者だけが魔法の道具を使いこなす


 ‥その手の科学にほだされて、勘違いをしてしまっているとした自覚が無い
 さらに言うなら、科学者ほど、自分の身の回りをきちんとできかねている嘘つきも居らんのだ
 その規模が大きくなればなるほど、「大丈夫」の言葉だけで片付けてきた(その一番は核利用)

 科学者がうそつきで狼少年であればあるほど
 もとい、資本家に絆されて便乗すればするほど
 もとい、そのようにしか科学を利用しない凡人(似非科学者)が増えるほど、どうしようもない


 ‥科学者が便利を創造して、お手上げを誕生させている(それが現実)
 ‥だが、誰も科学者を問い正すことができない
 ‥資本家&科学者らは常に、偉そうなことを言うなら代替案をもってこいの剣幕にある


> 客を選んで良い時代なら、科学者だって選べるようにきちんと報道し合うべきである


 ‥しかし、便利の果ての変動を誰も予想できない
 それは科学者だってほぼ同等だった、そこは凡人と同レベルでしかないままだった
 (20世紀の科学者は、その点に於いて全くの凡人だった‥そういう評価にならざるを得ない)

 ‥同レベルでしかないのに、能力主義とは是如何に?
 (現代社会はそういうテーマに突入しちまってるという事であーる)



1-5)3

> ならば、能力が高いから給料が高くあるべきと思う衝動は錯乱だ(ただの思い込み)


 ‥そもそも、その手の物差し自体が曖昧でどうしようもない(どんぶり勘定のままだ)
 結局は、人気が付かないと売れない(商売にならない)
 だから、宣伝するパワーの強さで差がついちゃう(その気にさせる話術ほど引っ張りだこ)

 知っているが知っていたになり、時間経過で好感にすり替わる(そのなれの果ての格差)

 ‥とした流れなのに、営業・案内よりデスクの方が優秀だと思い込んでいる馬鹿が多数派だ‥
 (デスクワークほど、実はAI向きでどうしようもなき流れ‥全く以て今や非生産レベルの評価)


 ‥一方で、知らぬことには、誰も反応を示せぬが日常
 主張が下手ならそこに引け目はあるにせよ
 それだけで不幸を請け負わざるを得ない構造は「狂怪」である

 否、むしろ意図的に宣伝格差を発生させている輩がいるなら、人権なんか只の言葉だ
 それは、どう考えたって犯罪行為・犯罪組織‥同然だ(電通リクルートの社是はまさにそれ)


 ‥この世の法の精神とは、自由の為にあるのでは無い、公正を図る為にあるのだ
 ならばどうだ、拒否権を発動したままの隠し事のある段階で公正も糞もあるまい
 そのような輩ほど、常識を逸脱しているのに解釈のすり替えでふんぞり返っている
 (安倍政権の法解釈はまさにそれ)


> 競争せざるを得ないにしても、そこの思い違いは、益々、甚だしく、不幸を引き寄せるのみ


 ‥ただし、思考の逆論として
 「不幸を引き寄せることは悪いことなのか?」‥としたジレンマもある

 ‥「死ぬほどでもないなら、チャレンジ精神の乏しい奴らの事なんか知ったことではない」
 そういう考え方もできる
 なにはともあれ、エクスパート層からしてみれば、チャレンジこそ報酬に相当しよう

 然れど‥困難に打ち勝つ為にもわざわざ困難を引き寄せている
 そのような段取りが発動してしまうのが事象と言うことである
 そこを理解したなら、むやみやたらにチャレンジすれば良いという事にはなるまい


 ‥まぁ尤も、ここで重要なのはその規模
 人類全体でやらかすととんでもないレベルになりかねない視点は、避けて通れない

 だから、競争一本に特化する方向性は確実に誤りだ
 ソーシャルにある方向は怪しいと思い込んでいる方が、実はとても怪しい(そういう見方)

(米ソ冷戦時代由来の刷り込みが抜けきらないマインドでは、どうしようもない)
(そのまんまでは、共に手を取り合わぬ宣言まっしぐらなだけである)
(まぁそれこそ、競争主義の根っこにあるわけで、だからこそ世の中は分離こそ正義のままだ)



1-5)4

> そもそもの人類が実験ありきの産物だそうだから
> 宇宙的に見ても実験とは何かを突き詰めると、失敗例上等の世界観と言うことになっている


 つまり、地上に生まれ落ちてまず求められるのは失敗例であって、合格点では無い
 それこそが本当の科学者視点であーる(もとい神視点)

 ‥「完成」を目指して問題点を確かめる(科学者視点)
 ‥「完璧」を理想に抱いて課題点を共有せずに蓋をする(似非科学者視点)
 挙げ句の果てに失敗に見舞われれば、誰かのせいにする&揚げ足を取る(政痴屋的慣習)


 まず欲しいのは失敗からの学び、それこそが科学的姿勢
 ドラえもんのノリで‥便利こそ科学に期待しすぎるのは、凡人姿勢ということであーる

 そして、失敗から克己しないのも失敗例とされている
 されど 成功より克己が目的化すると波乱含みを引き寄せることになる
 其もまた失敗モデルということである


> ‥では、成功とは何だろうか?‥もとい、完成とはなんだろうか?


 科学的に、「成功」とはまだまだの段階にすぎず‥
 「完成」こそが、本当の意味で求められる技術の実用応用段階としての表現であーる

 では、私たち人類における「完成」と呼べる段階とは‥
 どのような文化・生態の獲得にあると言えるのだろうか?


 ‥私たち人類は、私たちの存在意義としての「完成」を未だに経験し得ていない‥


 実験だから、小規模でのそれの発動的文化は、過去において作動し得たかも知れない
 しかしそれは成功の規模でしかない、完成としての評価には遠い
 地球規模でのそれは、未だ「識らぬ」ままだ

 少なくとも「完成」のレベルが、野性動物から学ぶ弱肉強食止まりの精神性なわけが無い


> 実験側の人類定義はこうだ‥「人間の感情は発電機である」


 ‥確かに、人間ほどモチベーションが高いと何でもしでかす生物も無い
 自らでモチベーションを維持調整することがとても重要だと言うことである

 だから、そこが他力では、どうしたって失敗作のレッテルをぶら下げることになる
(ゆえに、失敗から学ばずに、餌付け的目的化しているだけの労働の日々は論外なのだろう)
(そのような社会では、天上界の指導層が好奇を示して‥神懸かるなどのモチベーションに乏しい)


 ‥そもそも人類創造の計画には、自由ありきで派閥絡みだった
 ということから、労働使役の目的で造られた種族も存在する
 だからそのような方向に適性を見出してしまう空気は否めない

 だが、それの脱出をどうこなすかも含まれた次第に変わりは無い
 (基本ベースは同じと言うことである)



1-5)5

> 成功ではなく完成を求められているのだから‥


 ‥途中で放り出す奴は論外
 ‥注意深くない奴は論外
 ‥性急で現世利益に奔るようなブレがちな輩は論外
 あと、コミュニケーションの滞った状況は、骨折り損のくたびれもうけに填まりやすいので論外

 ‥という教えもとい覚えは、誰だろうと暗黙の了解だ
 神だから、天使だから‥そこを端折っても抄くって頂けるなどとした道理は存在しない
 あったとしたら、そのような弱さに付け込んで有効活用する存在による使い捨てなだけである



> 修弁終わります、ありがとうございました。



posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:47 | Comment(0) | 哲学/一般 | 更新情報をチェックする
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