2020年03月14日

【謎】デスノートの所有権理解

記稿.2020/03/14

> 夜神月はデスノートを切り取って、それに名前を相手に書き込ませたりしていた


 ‥ここが問題だ
 デスノートの所有権を放棄すると、デスノートに関する記憶が消される
 そういう内容だったと思うが

 この相手に名前を書かせるとした手法は、デスノートの所有権放棄に相当するのでは?

 所有権があるから意図して使えるとした見方も成立するにしても
 基本的に、名前を書き込むのは権利者のみに断定されるはず

 (所有権理解?‥もとい、所有権発動とはそういうもの)


 死に神同士で自分らのノートをたらい回しにして使うことは無いだろう
 つまり、夜神月のデスノートの使用法は、死に神の使い勝手を凌駕していたと言える

 ‥だが一方で
 死に神は自分のノートに関して所有権を自覚している
 地上に落ちたら、地上界で拾った奴の者
 その所有権とはなんだろう?

 つまり

 ‥俺は名前を書き込まない‥それは主義
 ‥俺は名前を書き込めない‥それは掟


> デスノートにでてくる死に神は、デスノートを用いてでしか人を殺めない
> そういう内容だとして自分のノートの所有権を論ずると


 ‥死に神のノート所有は、死に神としての権限なりプライドと言うことになる
 否むしろ、命に等しき能力そのもの(源)として解釈できる

 ならば、地上にノートを落とした場合、その死に神はどうなるのだろうか?
 どうにもなっていないなら、死に神にとってデスノートはただの道具でしかない
 もしくは、スタイルだ


 ならば、デスノートの所有権云々は、死に神の個性として
 それを使用する人間にカマを掛けただけになる(より面白さを得る為に)




> 悪人は上等になればなるほど
> 不思議と日常的にカマを掛けていたりする(より面白さを得る為だけに)


 正直者は、それを「嘘」と見下し
 大悪党は、それを「戦略」として日常的に使いこなす

(カマを掛けないと成り立たない恋愛なんざその時点ですでにピュアじゃない)
(カマを掛けないと成り立たない就職採用なんざ‥その時点でブラック上等だ)
(されど、悪の心理を頭から否定した無警戒なおつむでは、平和も幸せも長続きしない)

 ならば、競争を絶賛する世界では、嘘は正当化され
 戦略の秘密を明かさない権利を行使できる世界は、不誠実も又正義と宣言しているに等しい


> ‥普通に生きていたいだけなのに
> 正直者はそれだけで馬鹿にされる‥成果主義とはそういう見下しの推奨世界
> 大悪党の戦略にまんまと填まっているだけの無能な社会


 ‥そもそもの「普通」に誰も疑問を抱いていない時点でアウト

 それはつまり自分なりのペースとした解釈に過ぎない
 だが、心の中では、過激になっていく競争社会を誰しもが否定している
 なのに、生きて行かざるを得ないとした心理が、益々の画策ありきを受け入れている

 それらの多くは、「恐怖」に屈しているだけの自分を無意識的に受け入れただけのスタンスだ

 もとい、お得やサービスからこぼれるとした恐怖だろう
 今やそれが「普通」にあるのが、現代社会の普通にある


> 私たちの「普通」は、こうしてすり替わる


 ‥競争が過激になった結果、お得にありつけるか否かが生活の中心になっている
 ‥それのそもそもは、一人一人が無力であるとの思い込みを真に受けた積み重ねである

 (「無力」=「無価値」を無意識で了承していては、パワーなんて湧くわけねぇ)
 (それを又、見下すようになっても同じこと‥着目がブレるから‥)

 ‥無力からのスタートは、赤ん坊のまんまの思考というだけの話(性善説段階)
 ‥そこから少し棘がでているのが悪党の思考(悪ガキ、悪たれ、性悪説段階)
 それらを脱ぎ捨てたのが、ようやくにして人間らしく見え始める思考の段階


 ‥私たちの多くは、未だその先の世界を知らないままだ‥



posted by 木田舎滝ゆる里 at 05:22 | Comment(0) | 日記/2020 | 更新情報をチェックする
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