2020年08月16日

【盲点】政党名をなじって比較してみる自由と平等と民主

記稿.2020/08/16

> 「小沢一郎と帰ってきた民主党」
> 実にわかりやすいという事で、自民党と共産党にもイタズラな改名案が湧いてきた


 ・自由民主党 → 忖度大会党
 ・日本共産党 → 平等民主党


 ‥日本に自由はあるのか?
 ‥日本に平等はあるのか?
 まぁそういった疑問を胸ぐらに叩き付ける比較ッスね

 日本には、自由も平等も
 あるようでいて無い、ないようでいて有る‥

 なぜなら、それの言葉の上になぜか君臨しているのが
 日本文化独特たる風習にある「忖度(そんたく)」だからでーす

 しかもこの言葉は、立場の上の者が下の者に対して使用する前提にありません
 つまりアンフェアーの象徴でーす
 (※反対語として求められる感覚は「根回し」でーす)


> 「忖度」のそもそもは天皇文化に起因します


 それほどに天皇はアンフェアな存在
 天皇はイレギュラーな立ち位置
 天皇は不可解な領域

 それのほとんど親類遠縁から総理大臣が輩出されてしまうとした忖度大会にしかなっていないのが
 日本でのまつりごとの空気でーす

 それでいて、忖度の下に派閥が存在し
 それの派閥が政党を形成し
 それの政党が政治を牛耳り合うだけにしかみえないダブル空気でーす

 つまり、政党制度そのものがアンフェアーに転ばざるを得ない博打に見えるのです


> だからこそ「自由」の響きに
> 過剰に反応してしまう脳に仕上がっていたのが日本民族の空気でした


 では、「平等」を政党名に掲げればどうでしょう?
 さらに「平等民主党」と掲げればどうでしょう?

 ‥申し上げるまでもなく
 「小沢一郎と帰ってきた民主党」には似合わないのが直感で伝わります
 言葉の印象としては、どちらかというと「日本共産党」でしょう

 されど

 「平等民主党」から伝わっていくるイメージは複雑です
 今や亡霊たる民主党勢が「民主党」の響きにこだわっている中身が透けて見えてしまいそうです
 忖度ありきの文化の下に位置したままの「民主党の語る民主化」には中身が無い
 だってそれって大嘘そのものってイメージにしか変換できませんから

 (欧米文化からの民主化印象を引っ張るにしても無理)
 (実際の欧米にしたって、絶対王政に毛が生えたような民主化っすから)
 (まぁだからといって共産党を翳しても、胡散臭さを引きずっちまっています)


> ところが


 ‥「平等」を強調して敢えて掲げ
 さらに「平等民主党」と付け加えただけで
 なぜか不思議と、「忖度では無い」と断っているイメージに置き換わるのです

 だがしかし

 忖度の無い文化色を想像できかねるのが日本人の脳でーす
 だからといって天皇制回帰とした逆も、今や宙ぶらりんなのが本音でしょう


> ぶっちゃけた解釈をやらかしちまうと
> 天皇の下の平等って話にしておくと丸く収まりそうなんだろうけど
> それはそれで、そんな主張ともなると、忖度ありきって話になってグダグダでーす
> まぁそれが日本の政治文化だって空気として理解するなら
> あとは天皇の脳みその中身って事になるにしろ‥(隠し事がある段階で黒ッ腹っすから)


 ‥隠し事を忖度し続けるだなんて、歴史改ざんインチキそのものでーす
 今や日本国民の多くが、その手の忖度からの事実改ざんインチキから
 政党すべてを支持しかねているのでーす



posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:54 | Comment(0) | 日記/2020 | 更新情報をチェックする
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