2020年10月02日

【アニメ】製作委員会のどうしようもなさ

記稿.2020/10/02

> 2000年以降のアニメ業界では「制作」と「製作」を、それぞれ違う意味として区別する
> 制作:作品(主に映像の部分)を実際に作ること(制作会社)
> 製作:そのアニメを作るために制作費を出資し、コントロールし、管理する(スポンサー)
> 製作委員会は、出資者の集合体を指すが、広く理解されて用いられているとは限らない


 ‥ググって出てきた話では
 今どきの馬鹿本数の資本の裏側に中国資本が10億20億をポンと出してくる事情があるらしく
 それを電通辺りが、従来の予算枠で割り振る事で成り立っているらしい
 当然、資本の不足は十分に想定される事から
 そこからさらに出資を求めているだろう事情に思われる


> 基本的に、製作委員会方式での著作権管理は複雑になりがちだ
> (これは日本の慣習という事でどうしようもない)
> (でもまぁ海外展開を想起できるほどの人気が伴うかなど誰にもわからないから概ね問題なし)


 ‥基本的な出資構造が、虫プロ発祥を踏襲しているだけなので
 アニメーターに還元される要素の拡大色は、未だに一切ないと考えられる
 その代わり、原作者や声優においては本数の多い方がチャンスが拡大するので
 それはそれで中国資本様様という事になるだろう

 アニメーターにしてもその点においては参加機会の拡大だけは望めるものの
 原作者や声優ほどに、名も顔も前面に出る事は無い為
 アニメ大手に就職できるかどうかが、参加機会の拡大に繋がる程度だろう‥


> その手の学校を卒業する者が後を絶たないのだから
> 視聴しかねる程の本数生産が行われる現実は、或る意味で救いなわけだが、戦場の量産でもある
> (ぶっちゃけ‥アニメーターは、その手の物語同様に傭兵稼業の裏方と同質だ)


 ‥だがしかし、中国資本は方便に思うべきだろう
 なんにしろ、一つ目キャラが無駄に目立つようになった昨今だ
 一つ目キャラの支持母体がまんま電通であることに誰も異を唱える事が無い程なら
 それを中国資本側がわざわざ平然と了承しているとは思えない
 つまり、資本の根っこは全部一緒だろう(そうとしか思えない)


> 歌って弾けて踊れる声優が増えた一方で
> 経営と商法に強いアニメ監督はほぼ発生しない


 ‥環境を変えたいなら、まず、経営を学ぶ為に大学を卒業し
 その後でアニメの専門校に入り直すなどを検討するのが筋である
 もしくは、美術系大学でも普通に経営を選択科目に加えるべきである(実情など知らん)

 このステップを踏まないアニメーター志望は、それこそ使い捨ての傭兵に填まるだけである


 ‥でもまぁ監督になれるかどうかすら定かに無いのだから、無理な注文だろう
 ‥さらに言えば、電通が巨大すぎるので、コネを作った方が手っ取り早く痛すぎる
 ‥コネが無いと、監督候補に上がらない事情もありそうである
 ‥でもまぁ経営に強いと助監督に名ばかり重宝されるかも知れない(繰り返せばなんとやら)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 03:10 | Comment(0) | アニメ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。