向宜詠吟.2020/12/12
宇宙に「私」たる概念はあるだろうか?
仮にあるとして、どこまで重要視しているだろうか?
多く見積もっても、半々‥
そのぐらいだとすると、私たち人間の悩みの種のそもそもにも理解が見えてくる
宇宙は、私たち人間の普通にありたいと願う幸福感覚に必ずしも興味を有するわけでは無い
ならば、自由自在などという感覚はすでにブレている
ずばり、至遊至在(じゆうじざい)だったのだ
具体的に述べれば
宇宙は、詰まらなさにも飢えている
宇宙は、泪にも飢えている
宇宙は、支離滅裂にも飢えている
宇宙は、何かをしたいとか‥その手の要求をとくに自らに仕向けたりしていない
宇宙は、必ずしもポジティブだけを重視しているわけでは無い
宇宙だって睡眠が大好きだ
泣きべそだって、ぶさいくだって、ドジっこだって、やらかしだって、全部好物に違いない
‥唯物論者が大好きな
宇宙は無機物で不思議な熱量の塊のようだと思うほど
生きる事に無関心な態度も持ち合わせているに違いない
そうでなければ、私たちのそもそもが存在できているわけがない
「さぁどうですか?」
希望も絶望も宇宙にはきっと等しく見えている
そしてそんな宇宙は
夢オチだって容赦なくやらかすに違いない
マンネリだって容赦なくやらかすに違いない
下ネタ堕ちだって容赦なくやらかすに違いない
いやはや‥何かこう言い並べているだけでゴミ屋敷っぽく見えてくる
でも宇宙は、それでも整然と輝いているんだから
どこかに気持ちの整理が付いて在るのだろう
ならば、私たち人間の悩みの種の多くは、整理を付けるのが下手くそだってことに尽きる
それこそが、自分はこうでありたいとした欲求だ
自分のその願望を軸に「自由自在」を目論んでいるというわけだ‥だからダメ‥
「至遊至在」に自分の定義などきっと無い
在るのはきっと一体としての可能性の発掘ということなのだろう
一体こそが私だとの自覚が強くなればなるほど、一体のひろがりこそを望むに違いない
そしてその手の方法論ともなると‥そりゃキチガイだってやらかすに違いない
ならば宇宙は、畜生にだって飢えている‥ということかもね(まさに不可解)
ならば宇宙は、悩み垂れても居たいのだろう(それが私たち人間のマンネリ症=幸福願望に違いない)
> うた詠み終わります、ありがとうございました。
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