2020年12月23日

【ツッコミ隊】偏見とは、自分を見直す上での蠢く谷底である

記稿.2020/12/23

力こそ正義は、孤独癖な御仁の妄想
攻めることこそ最大の防御は、短期決戦特化発想(暮らしに常用してはマヌケ)
資本主義とは、カネ絡みの繋がりを至福とした片寄った世界観
能力主義とは、才能のない子供に即刻勘当を言い渡すような教育者正当化論
資本競争にガチ勝負を挑んで、どや顔勝利を望む輩は、上の四要素を平然とやらかす人格所有堕ち

(今どき社会の空気は多くでそんなだから‥疲れるよ‥)

ジェンダー論の多くは、自分の偏見に縛られている事の方が実は多い
それの裏返しで、何やら政治周りに騒ぎ立て、全体を巻き込む排他主義に拡大している
謂わば何かのせいに仕立てて、自分の横柄さや、面倒くささを世間的に認めて貰いたい開き直り発想
代替となる魅力が無ければ、無難に男らしさやら女らしさを頼みに挑戦したって問題ない

(悩んでいる奴らの多くに代替的魅力や解釈があるとでも思っているのか?)
(引っ越しすりゃ変われる程度の発想ではどっちもどっちだ)
(そもそもの論者が生粋の日本人でないパターン大を否定できないんだけど‥)

そこを消し飛ばしてしまう勢いにあるのは、論の右から左に移動しただけで
解消できたように思い込もうとしているだけの‥どっちにしたって思い込みたい症候群‥


‥まぁ自分の生きたい空気ってのがあるわけだが
それについてどれだけ思い悩んだかはそれぞれで、それぞれのことなんか誰も理解できん

(概ねジェンダーで悩んでるって程だったら、それ以外の視野なんて考える余裕何てねぇのがオチ)

着たい服が無かったら、自分で作るしか無いわけで
単に誰かが作ってくれると思っていた節クサいだけにしか思えない
自分の作りたい世界観の入り口で、ジェンダーが壁と堀として立ちはだかっていただけのことだ
それ以上を不用意に排他的に攻撃し出すと、収拾がつかない墓穴にハマっていくだけである

(強制観が嫌だっただけなのに、ミイラ取りがミイラになりやすいのもこの手の論法である)

(悩んだ当人以外が壇上で語るようなら、そりゃもう画策ありきだろう)
(そもそもは教育側の価値観に問題があるのに、その手の対談番組を見た例しがない)


> 力こそ正義賛成派反対派討論会とか‥見たことねぇ‥


 信長の野望が流行っている時点で、賛成派の方が多そうだけどな
 だがしかし、信長の本当の評価は、弱小国家を守り抜いた器量にこそある

 どちらかというとそれは、反対派立場からのスタートだった(ここを理解している奴は多くない)

 同じ志だった仲間(次男とか三男とか)は、多くが今川戦で討たれて
 残ったお家な奴ら(長男風情)を率いて国を建てなければならない
 その上、頼みの綱だった道三も逝っちまうし‥(いやまぁそれってマジ人格変わるから)

 だって死んじまった戦友と比べたら、それこそ捨て石同然の長男風情なやつらじゃん
 (そりゃ、それなりにやらかすでしょ‥始めチョロチョロ中パッパと‥)


> それでも、劇的に変貌することになったのは、地球儀を見てからだろうけど



posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:21 | Comment(0) | 日記/2020 | 更新情報をチェックする
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