2020年12月25日

【ツッコミ隊】富裕層頼み商売VS大衆人気頼み商売

↓3)記稿.2020/12/25

> 富裕層頼み商売とは、消費対象が富裕層前提ということであり
> 大衆人気頼み商売とは、大衆に受けるかどうか頼み前提ということである


 ‥人類最大にして慢性的な偏見こそ職業選択の自由である
 まずおおむね、苦手or嫌いな要素を排除してから選ぼうとするのが心理である
 苦手はともかく、嫌いな要素には大した理由なんてなかったりする
 つまり偏見だ
 ‥そもそも、暮らしに求められた要素に好きも嫌いも無い
 あるとしたら偏見だ(誰かがやれば良いと思ってさえいる)
 それを担う人への誹謗中傷にすぎない
 どうしてこの大問題が取り上げられずにジェンダー程度を持ち上げているのかが謎である

 ‥儲からない仕事には就きたくない
 ‥異性が振り向かない仕事には就きたくない
 ‥黒い仕事には就きたくない
 ‥地味な仕事には就きたくない
 ‥拘束の多い仕事には就きたくない

 これら無駄に思い込んでしまう要素を改善せずに
 勉学に励んで頑張れば、良いところに就職できるとした動機的構造を
 保守してしまってるのは、他ならぬ政治である

 (其を改善せず怠慢なら、どんな社会だろうとほぼ100%行き詰まるのが流れだ)

 政治が怠慢でなんにもして来てないのに
 不公平ありきの能力主義を翳しているのは、明らかに不可解しい
 だが競争大好きにも同意しまくって来たのも、机上の勉強が得意な連中の成果でもある
 なにが成果主義だろうや

 (行き詰まりを加速させてくれちゃっただけなんだよ、糞野郎ッ)


> 私たちの暮らしは「職の偏見」に育てられながら、改善を果たさなければならない
> それがどうしてジェンダーとか女性の進出とかそういう回りくどい改善目なわけ???
> (そんなのは本質から目を遠ざけておく振りでしかない)


 ‥そこはともかく、商売とした視野だけで見るなら
 支持なり人気を得られなければ儲からない‥それだけの中身だ‥
(てめえの不人気ぶりを仕組みのせいにするなってのが基本的な偏見として根付いている)

 その中身を単純化すると

 富裕層頼み商売VS大衆人気頼み商売として表現できる
 貴方はどちらよりからの攻めを好むタイプだろうか?
 商売が嫌いで公務員になったとて、どちらよりの対応をしてるかの課題色は大いに付きまとおう



1-3)1

> ワインにコーヒーを例に挙げてみよう


 ワインで勝負しようとした場合、当然、葡萄栽培に使用できる土地面積に縛られる
 葡萄、コーヒーともに、気候要素が微妙な味の決め手となる作物だ
 理想の土地を手に入れようとするだけでハードルが高い

 集荷量に制限があればあるほど、質での勝負が流れになる
 質で単価を得ようとした場合、消費対象は富裕層ということになり
 富裕層の舌に適うかどうかになってくる

 (多くの場合、富裕層の舌を知る上でその実態を得るには、その手の環境に身を置く必要がある)

 つまり、いきなりにワインやらコーヒーだけをやれれば良いという構えでは到底無理である

 (何が無理なのかというと、モチベーションからして筋違いになりがちという事である)
 (単純に、地場の特産品で認めて貰いたいやら、地場を元気にしたいと口にしていても)
 (その手の流れを鑑みれば、自分の頑張りを富裕層に認めて貰いたいですと語ってるようなモノ)
 (富裕層の好みも知らずに何言ってんだよお前?‥ってのが直感的な感想になる)


> 自分らしく始めたいのが就農を考える側の心理として日常的なのに
> 収益を上げようと狙っていくなら、自分の知らない世界観に触れる必要に駆られるのだ
> (最もそんなことは、全てに共通して言えることである)


 ‥ところがどうだろう、知れば知るほど、悩ましい壁にぶち当たる
 例えば、「もやし」がそうだ
 今や10円前後の価格が付くような「もやし」を、富裕層が手に取って買うのだろうか?

 当然それは庶民価格であり続けるだろう
 庶民価格として定着したままだと、どうしたって値を上げにくい

 値を上げるには、同じ品物にブランド価値を付けて富裕層向けに仕立てる必要に迫られる

 だが、富裕層にしてみたところで、それを詐欺に近い感覚だとして一蹴してしまうに違いない
 (実際は自分たちだって似たようなやり口で儲けてる場合もあるはずなのに、いやぁ手厳しい)


> 富裕層の琴線に触れぬようでは成功は見込めない


 ‥富裕層向けを考えているのにその筋のコネづくりをしないのは明らかに努力の仕方の勘違い
 ‥だが富裕層とのコネを得ようとすると、当然、駆け引きに晒される(スピード感重視)
 ‥無駄にスピード感ばかりを要求されて、何ら調べていないとコロッと填められる流れに堕ちる
 (ノウハウさえ得られれば創業者は要らないとも思っているのが資本の狡いところである)
 ‥その点、無難なのがコンクールで賞を得ることだ
 だがその道のりが普通ではインパクトは小さい、富裕層の好むインパクトってのがある
 (まぁ云っちまえば偏見だ)

 ‥「敵も居れば味方も居る」それに動じないモチベーションと耐久持続が求められる
 何をしたいのかとした焦点は、常に自分と持つ側とを結ぶ上で欠かせない要素である



1-3)2

> 次に、大衆人気頼み商売を挙げてみよう


 大衆人気頼みのツボは、述べるまでもなく「言葉」だ
 言葉を発する上での蓄積されたエネルギーの質とやらに敏感なのが大衆である

 (阿吽の呼吸感に飢えてると云っても良い)
 (時代時代の酔いしれたい願望を射貫いてもらいたいかのようでもある)

 だがしかし、大衆は「言葉」にお金を落としやしない
 それに絡んだ活動に対してのみに、なんとなーくの暗示に掛かったノリで散財する程度だ


> 言ってしまえば


 大衆の感動持続効果はとてつもなく短い
 それは握り寿司を口に放り込むように、すぐに次のネタに手を出しているようなものだ

 だからこそ誰しもにチャンスが巡ってくるとも言えるわけだが
 富裕層に認められて得られる評価と比べたら、そりゃもう、大ざっぱすぎる

 そもそもからしてお金を落とすのは中間層以上だ
 それ以外となるともっぱらマニア&信者になる


> 大衆頼みと言ったって、その幅は富裕層よりもちびっと広がっていると言うだけの中身だ
> 居場所を探す程度のノリで挑戦するのが普通だとしても
> なんだかんだと、富裕層の望む儲けテンポを前提とするので、スピード要求に流れがちだ


 散財を楽しめない立場からすると、それの消費行為や日常はとても不思議に見える
 だから無理にでも散財をやらかしてみる時期を構えてみる必要がある
 だがしかし、それらすべては単に日常の提供にすぎない
 特別なことなど特に無い、それこそ普通の日常にくべる薪のようなモノだ

 薪をくべる価値があるかないかという偏見を期待しているにすぎない

 好きも偏見、嫌いも偏見から抽出される‥じつによくわからない願望なのだ
 だがしかし、儲かりたいと思うが余りに望んでいるだけの偏見からは
 ヒトを沸かせる阿吽は降りてこない



1-3)3

 ‥偏見は善でも悪でもどちらでもない
 ヒトの思考上、思考の基点に求められるきっかけの一つにすぎない

 だがしかし

 ヒトが偏見に価値を持たせた瞬間に差別が始まる
 そのような道具でもある


> その差別に支持が集まっているのが資本経済とした大道具になっている(富裕層が支持)


 そこでは、同種の差別観を抱いていないと生きていけない状況にもなりうる
 同じ偏見を抱けないままだと、多数決の結果、弾き出されてしまうのだ

 ‥職業の選び方からしてそうだ
 私たちの偏見や差別は、職の選び方に端を発している事の方が多い
 どんな仕事だろうと必要だからあるのに、その必要の着眼に石を投げているのだ
 誰しもたいていはそんな選択眼になっている

 資本主義を続ける限りこの手の偏見や差別は無くならない

 お陰で、富裕層前提とした構造におかれたままになる


> 富裕層は正義であるとした思い込みが浸透するほどに納税額からのツッコミが多い


 納めてる額が多いのだからと資本主義発想で、富裕層贔屓に税予算を組んでいては
 富裕層に寄り添うだけの政治がもたらされるだけだ
 基本的人権解釈など無いも同然だ
 このような空気が湧く段階で、すでに富裕層正義などと言う中身にはありえない

 つまり、富裕層の担いでいる能力主義は、必ずしも正義を演出するわけではない

 多数的統計上、商売の都合に合致している解釈が先んじているだけで
 さらに、その商売の都合を推し進めたところでやらかしていたのは地球環境破壊だった

 富裕層すべてが有能な科学者ではないのだから当然の結果だろう
 有能な科学者群であっても、偏見ありきでしかないのなら、遅かれ早かれの流れになる

 (お互いの勝手が成り立つように約定しているのも基本的人権の一側面なのだから)
 (つまり振り返ってみれば、人権論は始めから破綻していたとも言えよう)


> ならば、戦争以外の如何なる商売に共通するのは
> 「基本的平道(きほんてきびょうどう)の精神」と表現すべきになろう



posted by 木田舎滝ゆる里 at 10:54 | Comment(0) | 科特隊どころか無理だからウルトラ経済大作戦 | 更新情報をチェックする
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