2021年01月19日

【基本的生活力の互為】宇宙を投資家と見立てた場合の是非観

記稿.2021/01/19

> 宇宙を投資家と見立てた場合、宇宙はなぜ生命に投資をするのか?
> そのような過程において、宇宙が投資に失敗したと判断した場合になにが起こりうるのか?


 ‥宇宙が生命に投資をする理由として、宇宙にはノウハウが無いからと仮定してみよう

 宇宙は常に闇であり、光を創造し得たとて、未だ直ぐに消えてしまう欠陥的アイデアのままだ
 宇宙にできることは投資であって、それの活用なり応用をどのように具体的に形作るかは
 自らのアイデアによって発生させた分身的役割存在(生命もしくは道具)でしかない

 宇宙の選んだ投資案件の中身が細部に向かうほど、生命要素は切り離せない道具になった
 (だがしかし、道具を使いこなすには、道具を使い続ける必要があった)
 (結果、宇宙は道具の成長を見守らざるを得なくなった)
 (だがさらに、道具が道具を創り出して用いるとした入れ子式構造と化した)

 つまり、宇宙とて生命に関するノウハウとしての体系を完成して有しているわけでは無い
 つまり、道具が新たな道具を創り出してしまうことから、宇宙にはノウハウが無いままだ
 (そのような状況が輪廻し続けてしまう)

 ‥いくら宇宙の側に無限の投資的エネルギーが有ろうと無かろうと
 無限に輪廻してしまう上に、使いこなせない道具の発生件数ありきでは、無能に等しい
 何ら具体的にならない宇宙像としての姿に変化など無いと表現できる


 ならば、宇宙が投資をする動機としては
 自身の有り余るエネルギーを以て、退屈しのぎ程度の遊びと同質程度の好奇心からとなる
 (子供の遊びから無茶な科学者の好奇心まで‥と大して差の無い段階に当たるのだろう)

 ならば、宇宙が疲れたら、飽きたら、匙を投げたら
 その宇宙は何事も無かったかのようにリセットされるだろう

 ‥リセットばかりというのも芸が無いとした宇宙の粘りが有れば有るほど
 戦争状態を用いてでもやらかす不要素排除判断も有り得る
 そしてそれは日常的に道具の側がやらかすことにもなり、その手の保安を要求する負荷が増す
 (少なくとも、私たちの宇宙において其は日常的であり、そのような段階である)


> 途中経過の投資家は、宇宙も含め、常に開き直って見守ることしかできない
> 投資家の破綻もしくは排除判断は、生命または道具にとっても同じく残念であるだけだ



posted by 木田舎滝ゆる里 at 05:09 | Comment(0) | 科特隊どころか無理だからウルトラ経済大作戦 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。