2021年01月19日

【基本的生活力の互為】教育の用と教育不在に感ずる悪観

記稿.2021/01/19

> 投資側にはノウハウが無い、有するのは常に「エネルギー=資本」だけで有る
> 宇宙がこのような状況なら私たち人類だって似たような問題を抱えている、それは何か?


 ‥投資家が投資をするのは見返りの要求だ
 見返りをもたらさない投資先は最悪であり、社会性の劣化などさらにありえない矛盾だ

 そのような状況をもたらす案件は、社会的にも排除しても差し支えない

 投資家にとっての是非観とてその程度であり、宇宙とさほどの差が見られない
 (但し、サプライチェーンを無視してまで強烈な排除はありえない)


> では、社会性に悪をもたらす基本的劣悪例を考えてみよう


 例えば、ノウハウを持たない案件に投資がされたとしよう
 当然、ノウハウを持たなければ
 請け負った側は「中抜き」してどこかに依頼内容を丸投げするしかない
 (それこそが資本×能力主義者側の真骨頂と言える)
 当然、ノウハウが無い顔をして取引をしていては、直ぐに手が回ってしまい兼ねないのだから
 取次先もお互いに旨い汁を吸い合うだけ関係の維持を目的としてやらかしかねない

 ‥そのような案件の末路の多くは
 最終的に苦境に陥っている且つそれなりにノウハウを持つ会社が引き受けるかもしれない
 (それこそ手抜き三昧に終わるだけである)


 つまり、そのような社会性の実態感として
 「経験者のみ優遇」とした慢性的な社員募集の蔓延は相当に危機的だと判断できる


> では、今や丸投げしかやらかしていない行政体質はどうだろうか?


 国民から吸い上げている税金を投資として考えた場合
 国民はノウハウを持たない組織に投資をやらかしている構造として見立てることが可能だ
 競争入札とか何とかと抜かしても
 雇用創出とか何とかと抜かしても
 自らがノウハウを持たないのにそれをやらかしていては、中抜きでしかない

 政府・行政・議員‥‥そもそもが、中抜きの実践状態でしかない
 (中抜きの実践業態をお仕事と呼んではいけない、それは泥棒である)


 ‥其を正当化する為の重要事項とは、即ち教育である
 それも無償であるとした方向性で、まぁまぁのホップである
 成績優秀なら給与も出るぐらいが、主体学習(自己研鑽or研究)に励めるステップとなる
 だが、ジャンプを目指すなら
 安定的な生産環境の創出としてもベーシックインカム発想の加味は求められる

 そのような社会的構造を互為に約束し合ってこそ
 その手の政府には、ようやくにノウハウの余地が発生するのだから
 競争入札とて、民主体として正当化できる中身になる


 当然、国民としても学ぶ姿勢を欠いていては、成績不良どころの話ではない
 中抜きをやらかしているのと同質に見られたって無理からぬが自己責任になってくる


> このような段取りすら不明に陥っているのが、現状でのベーシックインカム論争だった



posted by 木田舎滝ゆる里 at 05:21 | Comment(0) | 科特隊どころか無理だからウルトラ経済大作戦 | 更新情報をチェックする
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