2021年01月19日

【基本的生活力の互為】富国強兵時代の教育観VS多様化個性化時代の教育観

記稿.2021/01/19

> 国家同士の交易戦争がある限り、富国強兵時代の教育観はあり続ける
> 国家同士の交易が手広く加速した結果、多様化個性化に対応した教育が求められている


 ‥国家同士の交易の在り方が、世界中の教育需要に影響を与えている点に疑いはない
 ‥兵士文化を捨てない理由として、外宇宙生命体存在の善悪の是非を抜きには語れない
 ‥未だ人類には、その手の緊急時における運用ルールが定められていない
 ‥大抵の人らは国連が対応するモノと思い込んでいる(というか外宇宙生命体など論外の剣幕だ)


> 交易を活発にしていこうとの連動で、言語能力の需要は高い
> だがしかし、世界中で言語を統一しようとて、方言の発生は避けられない


 ‥どうしてその共通言語の本場だけを「ネイティブ」としてもてはやし
 その土地柄感(言語感覚)だけを正統的に扱わなければならないのだろうか?
 それでは、基本的人権を掲げているなどとは、とても表現には値しない文化観だろう

 ‥ネイティブが拒絶しがちな和製英語はとくにそれで、国毎での方言発生をにおわせている
 それでいて、そのネイティブのセンスとして代表的なのが、コネクターのマスターとスレイブだ
 主人の代替としては、奴隷では無く執事とした案もあろうはずなのに、そうに無い
 (アニメマンガでは、富豪の私設軍隊を指揮するのは有能な執事と相場が決まっている)
 一体全体、どういう言語姿勢にあるというのだろう、不愉快なほどに異様だ
 そんな言語をどうして根から葉まで学べるというのだろうか?(怪しすぎるだけだ)


 ‥そもそもの交易からして
 駆け引きありきで、嘘は常識で、其を見抜くのが勝負の醍醐味などと言っていては
 言葉の使い方の裏が求められて発生するばかりで、糞どうしようもない


> その点、数学や物理の類はどうかというと、最先端な課題になるほど意見が分かれる
> つまり一般教育としての範囲は、所詮、全体の基礎要素とした一部にあり続ける


 富国強兵とした国家競争を前提にした教育の場合
 その制限の範囲とやらに、支配に気がつかれない為とした黒線枠が付く
 その結果、夢も希望もなく行き過ぎた搾取に国家がハマっているのはどう見ても犯罪だ

 一方、多様化個性化とした個の才覚に配慮しようとすると
 無駄に専門職化してマニュアル化できない
 そもそもがマニュアルに収まらない才能発掘が目的なのだから当然の流れになる
 なのに上手く行かないと、モンスター親の発生では、義務教育の定義など据え膳である

 (詰め込み型ほど単純で、若い頃にもっとやっておけば良かった論は有りがちだ‥とくに数学)


 ‥そもそも多くの親にありがちなのが、自分と同じ苦労をさせたくないとした決まり文句だ
 その手の願望の多くが、節操の無い国家のお上をお手本としてしまっているのでどうしようもない
 (胡坐を掻いて生きてみたい、他者をアゴで使って生きてみたい)
 (隣の失敗に逐一剣幕を立ててるタイプが上に立つって事は、隠し事ありきでどうしようもない)
 (その手のいい加減さを正せないのに上に成れるわけがない、そうで無いならお家主義ありきだ)

 ‥少し時代が下ると、自分と同じような寂しさを味わいさせたくない‥に変わっているはずだ
 それにしたって個性化多様化の排除など眼中に無い
 よって、それの影響による少子化に歯止めは掛からない

 つまり、多様化個性化教育は競争過多に勝利する為の考えでしかなく
 結果、多様化個性化を推し進めるほどにぼっち嗜好が発生し
 マナーの悪い民族性へと邁進する要素になっている


> 世界で一番に人口を抱える国家がぼっち政策をやらかした結果は、まんざら伊達では無い
> (統計学的な回答など、すでに晒されて来たも同然だ‥その結果が地球環境悪化の加速だった)


 ‥そして最大の矛盾は
 詰め込み型教育の勝者が教育方針を決めざるを得ない政策環境である
 彼らは、自分の頑張り方と能力に、絶対の自負があり
 それ以外の遺伝子環境の存在性に目を向けたがらない脆弱性を有している

 つまり可能性について徹底的に議論し合う性格には無いので
 (有利性の有利を追求するだけの片寄った好奇心しか発揮しえない)
 (ゲームマンガアニメにしたって似たような傾向で、根から葉まで脆弱性を有している)
 そのような傾向に則した教育策にしか仕上がらない
 (なので、教育格差の改善など夢のまた夢とした連鎖が発生し続ける)


> なので、教育論において正当を得られる視点としては
> 当人のやる気を引き出せるとした鬼才のみであると断言できる


 ‥如何にして児童から学生まで、自ら好んで詰め込み教育に参加したくなるか?
 が第一の要求であって
 第二の要求が、そこから如何にして独創的な自我の渇望に目覚められるかになる

 (詰め込み教育悪の展開しかやらかせていないうちは無理っ)
 (基礎も土台も無いのに、個性なんざ有り得るわけがないッ)
 (あったとしたら、前世ありきとしか説明のしようがない)

 ‥宇宙的には、そこからさらに第三の要求を求めてあるようだが
 そこはとんでもなく気長になっているので、第二段階までの調整をまず求められているとして良い



posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:21 | Comment(0) | 科特隊どころか無理だからウルトラ経済大作戦 | 更新情報をチェックする
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