2021年02月07日

【ツッコミ隊】過当競争に寄るほど税制はネズミ講同質に堕ちる

記稿.2021/02/07

> 年貢は、土地の割り当てに対する税率だった
> その流れで直接税概念が登場した


 だが直接税は、年貢だった頃とは違い
 政府&学者ともども、各個とした収益を必ずしも見込めているわけでは無い
(自分たちのやらかす政策で世間をかき回すから、むしろ其れありきだ)

 どのぐらい安定しているかとした前提が無いのに、生活水準を無視して%を申し付けている
(そこには、天候次第で時には不作になるかもぐらいの思い込みと稚拙さが滲み出ている)

 ところが、不作は天災でも、不況は人災である
(天災なら部分的に勘弁できても、人災では責任が付きまとうので勘弁する気などさらさら無い)

 どこに問題があるのかというと、生産になく売上競争だからだ、過当競争下なら尚更だ
(土地柄、米が育たないなら、代わりになるモノをどれぐらいとした容赦もない)


 だから、過当競争に寄るほどに、税制は、ネズミ講同質に堕ちる(持たざる者ほど禍と化す)



 ‥ネズミ講の特徴は、先手有利で会員構成にぶら下がれるとした内訳だ
 それでは不公平というよりは後手に対して嘘を語るに等しく
 商売のネタも法外なマージンを吹っ掛けたインチキでしかないケースがほとんどだ
 (ここでの見方の注目点は、嘘を語るに堕ちる点である)


 ‥ならば、売上競争下における経済政策からしてそれが始まっていると言わざるを得ない
 商売の多くは、人気頼みスタンダード頼み富裕層頼みのぶら下がりが基本形になっている
 後手ほどシェアを切り崩すのはたいへんだ

 そりゃ裸一貫でのし上がるスタイルもあり、ネズミ講ほどガッチリとしているわけでは無い
 そこをルールで禁じているわけでもないのが競争であり、ぱっと見でネズミ講とは言い切れない


 (だがしかし、特定組織なり偏った思想が政策を乗っ取った状況ではさほどの差など無い)


 特に、過当競争下での先手後手とした概念を
 持てる者と持たざる者とに置き換えて見れば類似型そのものである
 それで政府が一丸となって増税するともなると、どうみたってネズミ講と同質だ

 それはつまり

 無い無い尽くしを申し付けて増税論を推してきた財務省は悪質組織だった
 これは解釈の問題なので、現行法では裁けずとも
 改善要求を突きつけるよりも先に、有無を言わせず問われる課題である

(グローバル化がさらに過当競争を推進したのだから、国際的な課題にもある)
(世界が民主社会を自負するなら、もっと別に創造的やりようを見出すべきだ)



> もっともこれぐらいのことを示せていない経済学者は
> 同質であり、すべてインチキ、税金泥棒だったと申し渡さねばなるまい
> なので、一番の壁はどうやら経済学者と言うことになる


 ‥そもそもの学者に弁論の自由が無かったのに
 有ると思ってきた段階で稚拙なおつむだった(なにが学者だよ聞いて呆れる)

 そして、呆れるほどに、その辺の世の中の見方が変わらない限り
 世論を味方にできず、まったくお話にならない仕組みにもある


 ‥何はともあれ、お家嗜好の社会において、学者は世論の要だ
 公務員給与を下げない理由をそれ以外に見つける必要など無い

 カネで買い占められてる学者(公務員)に、言論そのものからして有るわけが無い
 そもそもが派閥なのだから、個人の論に無く派閥による言論統制下だった

 ‥学者の思い込んで来た自由は、言論に非ず庶民と同じ選択の自由だった
 より安定してるorより儲かる方を選ぶ、それは選択の自由と言うだけである


> 己の信ずるところの弁を有さぬ論を言論の自由とは呼ばん



posted by 木田舎滝ゆる里 at 07:34 | Comment(0) | 科特隊どころか無理だからウルトラ経済大作戦 | 更新情報をチェックする
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