2021年03月09日

【ツッコミ隊】なぜ現実は、映像表現ほどに事が巧く運ばないのか?

記稿.2021/03/09

> なぜ現実は、映像表現ほどに事が巧く運ばないのか?
> なぜ貴族は愚鈍に満ちて見えるのか?
> なぜ大衆もまた民主主義の世だろうと愚鈍に陥っているように見えるのか?


 ‥とくに映像表現の場合、鑑賞者に事の流れの理解が伝われば良いので
 猛烈に消去されちまっているのが、物語舞台側の情報共有感である


 ‥物語にありがちな、魔王が権勢を脅かしているとしたって
 自分たちの生活に影響が無いなら、誰だって法螺と思うに違いない
 突如現れたとする展開なら、尚更にそのような風体からの表現になるだろう

 (ならば、各々の領主だろうと国王だろうと庶民と同じレベルだ)
 (商業的に勘定深い諸侯と商人だけが生き残るのが流れにだってなる)
 (ヒーロー&ヒロイン側が先んじて知り得、対処を心得ている方がそれの意味で異質だ)


 ‥実際の私たちにしたって、これだけの情報社会にあっても
 コロナについての本当のところは交錯しているし、ワクチンにおいては尚更だ
 ‥ぶっちゃけ、治療薬候補としての物質は特定されているのだから
 リスクに満ちたワクチンを推す理由なんてもはや無いのに、五輪推しで進められているのが現実だ
 (そんな空気では、人権保障の精神を培える土壌など無きに等しい)


> 魔王の名は知り得ていても、魔王の顔をほとんど多くの者は見たことが無い(ここ重要)


 ‥映像表現上、対極に場面切り替えをしつつ物語の展開が進むので
 対立する立場を説明する必要が無く、物語側の住人も同じように理解している次第として
 話の展開が起こっており、混合されがちだったりする

 ‥小さい枠組でのそれなら、現場ありきで話を進められるにしても
 国家群規模ともなると、ほとんど消去されたままに話が進むのだ

 写真撮影を前提としない舞台背景であれば尚のことで
 魔王の顔など知らずとも、気配で察知できる能力でも兼ね備えていないのではお話にならない

 まぁその手の舞台設定ができるならまだしも、史実分野ともなるとそうは行かない
 戦国武将の武将の顔からして、その実像を拝したことが無いなんてのがほとんどだろう
 (そもそも主の素顔を隠しておく事自体が戦略だったりする‥とくに天皇‥)
 なのに伝承からして、まるで写真を見て知っていたかのように話が進んでいたりする
 (当時において其をどのように判断してきたのかまるで判らん)


 ‥疑り深く無かったのが庶民で
 だから疑り深くありがちな性根にある商人風情に助けられた話が無いとかなんとか
 とした角度から疑わなくては成らない

 (源頼朝のその手の話はとくにそれで、不可解極まりない良い例である)
 (大商人やら豪族の手引きを得ずに、武士の棟梁だからは不可解しい)


> 良い作品として仕上がってくるかどうかにしても、それの配慮差に相違ない


 ‥報連相なんか搾取する側の都合だ‥などとした空気は、どうしたって愚鈍そのものだ
 それだけの大口を叩くなら、対象とする情報を相当に把握しているのが前提だ
 (ならどうして貴様は、其れの下っ端に甘んじているのか‥)
 (個では動きようが無いとした理解の不足がそこにあるばかりだよ‥そして共有感にもヌルい‥)
 (貴様のそれ自体が独善そのものとしての鏡似性ということになる)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:10 | Comment(0) | 日記/2021 | 更新情報をチェックする
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