2021年04月09日

【人権の是非】うちのワンちゃんがヒトの言葉を理解してお喋りするんです

↓2)記稿.2021/04/09

> ペットがヒトの言葉を理解してお喋りできちゃうとテレビ出演間違いなし
>(前例としてオウムにインコ、九官鳥などを挙げられるが)
>(その程度では無く、きちんと会話になるレベルをここでの対象とする)


 ‥するとまず、税務署が触手を伸ばし出す(今やそういう時代だ)

 とりあえず、飼い主名義での徴収が流れだが
 出演ペットの知能が高くなりすぎて、ペットの域を超え出すとどうだろうか?
 当人名義で直に徴収するのが適切になってくる

 すると途端に、住民税&国保&年金の対象にされるだろう
 (それならそれで、飼い主側としては戸籍登録に選挙権を要求するかも知れない)


 ‥しかし知能が高いという事は、ストレスを与えすぎると自殺してしまう懸念に晒される
 仮にここでのペットがテレビ出演の疲れから、自殺を図ったとしたらどうなるだろうか?
 動物保護法に触れやしないだろうか?
 否、人権を有するならそこはもはや適応外として扱うべきだろうか?

 若しくは、殺傷事件をやらかしてしまったらどうだろうか?
 交通事故でのひき逃げなど‥パターンは相当に思い浮かぶだろう

 では性犯罪はどうだろうか?
 我々がどうせペットなんだからとした偏見思考を真に受けて
 同種だったら別に手を出したって正当化できるとか何とかと思い込むかも知れない
 (被害ペットの飼い主が控訴すれば、嫌でも法廷の場に引きずり出されるにしても‥)
 (この時、容疑者が裁く法律なんか無いんだからとした黙秘権確信犯だったら‥どうする?)



1-2)1

> では角度を改めて問うてみよう


 宇宙人との交流が始まったとして
 宇宙人等が連れてくるペットが、人類並の知能を有していたとしたら
 我々は其れをペットとして受け入れる事ができるだろうか?(別の意味で恐怖に晒されよう)

 (私たちの多くは、格上より格下の存在無しには落ち着けない性質を帯びている)

 私たちの習性は、野性動物の知能がどれ程にあるかとした点を不明確にしたままに
 彼らの命や環境を正当化して略奪してきた‥
 それの考え方に終止符をもたらすかもしれないほどの衝撃を受けるだろう


 逆に‥ヒトの言葉を理解して話せると‥人権を認められるとするならば
 外国語を話せもしないのに旅行をして
 その旅行先で不慮の巻き込まれ事件で牢に入れられても文句は言えない趣旨に同意したに等しい


> 又、知能が低いと保護対象なら、保護の定義とはなんだろうか?


 私たちが自然界に返すのが野性動物への当然とした解釈にしても
 私たちはすでに彼らの生態の多くを破壊してしまっている
 そんな適当でいいかげんな態度で、よくもまぁ人権問題を偉そうに取り上げられたモノである

 保護対象とするにしたって
 見た目で五体満足なら、途端に外に追いやる算段となり
 十分に健康と判断すれば、ハイさよならとばかりに、捕食者の蠢く世界に放り込むのだ

 さりとて、捕食者の蠢く世界でもある程度生きていける云々だけを
 保護対象としているわけでもない(最大の懸念は、銃を携えた密猟だ)

 だがしかし、今や私たちのポイ捨てからして自然界への地雷攻撃になっている
 その勢いは、密猟の其れを凌駕しているはずだ



1-2)2

> ずばり云ってしまえば


 私たちのやらかしている動物保護とは、個体数の調査の範囲であって
 ある程度の数を有していれば健全で、危機的で無ければ狩るなり自由にしても良し
 とした暗黙のルール程度だ

 それらがどうしたことか、当然のように人間の側にも当てはまっている(搾取合戦)

 そんな意識程度で、どうして人権云々に正義が宿るというのだろうか?
 そもそもその程度を前提としていただけなら
 他者の命を奪う事より、他者の健康を奪うことこそ最大の悪事に陥る


> 「命を奪い合っても良い、だが健康は奪うな」これこそが人類の人権に対する深層意識だった


 まぁ戦争なんかに巻き込まれると、誰だろうと痛い思いや辛い思いをするよりは
 「いっそうの事、ひと思いにやってくれ」‥とした思考をよぎらせるわけで
 それ以上でも以下でも無いとした気持ちが、臨界点として鬱積する所以だろう

 「‥でも、できるならするりと逃げのびたい」
 と言う気持ちからズル上等だったりするのだろう
 そのズルをやらかせる自由を人権だと思い込んでいれば
 そう思い込まざるを得ない程追い詰められれば
 そんな薄昏い空気漂う社会での立憲制度などなんの役にも立ちやしない
 (そんなのは誰がどう見たって監視制度にしか見えてこない)


> つまり人権に理想など無い、バランスを求めて這うだけだ


 ‥だったらどうして同じバランスを求める者同士で集えないのだろう?
 それこそが最大のテーマであり、焦点とすべき中身だった

 (まぁしかし、市場の大きさにほださた競争にお熱のままでは、無理からぬ視界だろう)
 (何しろ私たちの多くは安易な期待に長けているだけで、日々プライベートに首ったけ馬鹿だから)
 (「勝つ方に着く(従う)などとしたどうしようも無さが多数派なんだから)
 (そしてプライベートにハマる程だから、さらけ出すのも下手と来ている集合体だ)
 (さらけだしてくれたなら、途端に罵り合うのが大好きな勝ち誇るの大好き集合体でもある)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:02 | Comment(0) | 科特隊どころか無理だからウルトラ経済大作戦 | 更新情報をチェックする
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