2021年07月16日

【宇宙な?】その文明×科学が正義かどうかは、間引き発想ありか無しかどうかだ

↓4)記稿.2021/07/16

> 人類がまず始めに見た夢は不老不死だった
> 次にありがちだったのは空を飛ぶ夢だった
> そして蒸気機関が登場して後‥宇宙とかなんとかと膨らんだのだった‥


 ‥その蒸気機関にほだされ、頼みの綱とし
 未だ前提にしたままの私たちの科学もとい利権は、すでにその段階で環境を犠牲にしてきた

 ‥その次に登場した原発は、さらに環境の犠牲を強いるシロモノだった
(舌出し方程式を導いた御仁が、複利を提案して自慢げだったのだからまさに20世紀の厄才だった)
(根っから儲けることしか頭に無かった予算不足のなれの果てって奴なんだろうけどな‥)

 ‥さらに登場したプラスチックは、最悪をもたらしている
 ここまでに及んだ蓄積は、ポイ捨てしても良いとした多くの人類がやらかした習慣だった
 (蒸気機関社会としては、煙のポイ捨てを誰も否定できやしない‥割れ窓理論のやらかしだ‥)


> 「ハッキリさせよう」‥ポイ捨て上等とは、良心への破壊宣告だった‥
> そのような環境下で健全な心構えなど、何一つ培えるわけが無い


 それらはすべて、野生動物と同程度の本能のままにやらかしてきた結果だった
 それは、地球がどうにかするだろうと思い込んだままの迷信だった
 私たちの科学は、地球環境たる寿命を貶めてきたのだからその精神は明らかに精神病だった
 なのに私たちの多くはそれを異常だったとは未だに診断し合わないままだ

 まぁ無理もあるまい‥誰かが何とかするだろうと当てにしたままの夢遊病患者同士のままだから‥



1-4)1

> 私たち人類の科学は正義に無かった
> その証拠に人類の間引きも仕方がないとして、散々に増やしてから呟く有り様だ
>(姥捨て山時代となんも変わっちゃいないのだ、科学とはなんぞや?、豊かさとはなんぞや?)
>(そもそもに、環境を犠牲にしても良いと仕切ってきた其に正義など有るわけも無し)


 ‥政痴屋は科学者でも無いのに、識者頼みのすり替えをやらかして椅子に座り続ける
 ‥それが今や、科学者同士でさえ、二分化した論を展開しながらやっつけ合っている
 ‥理系に疎い庶民からすると、開いた口の塞がらない日々を過ごさなければならない
 ‥口の閉じる頃には、この世には居ないだろうと思うも、そうは問屋が卸さないと来たもんだ


> なぜ、環境を平然と捨て置くのだろうか?
> それが経済の都合だとしても異常すぎる


 人口増加に拍車が掛かるなら、そんなに急ぐ必要も無い
 なのに、競争にしてしまうから増殖にも拍車が掛かる
 そこには、列強間での戦争空気を蔓延させた時代が覆い被さっていた
 それは「数は強し」としたニオイのままだった(需要だった)
 だからだろう同時にその強みは、衝突による戦争を正当化したのだった
 だからだろう同時に武ありきとした用は、相変わらずに人口間引き手法とした織り込みだった

 人類は未だにその延長線上にある経済観を繰り広げたままだ(私たちの覚悟など所詮その範疇だよ)



1-4)2

> 其は、貧しさに恐怖し続けた結果とも言える宿業だった


 私たちは、貧しさの本質を理解しているだろうか?
 否、まったく理解できていない
 なぜなら、それは、手を取り合わないことに尽きるからだ

 鈍重な生活競争にさらされている内に、その手の真相を見落として来たのだ


 ‥田舎に行けば
 まずは地域ぐるみでの「なあなあ」が有るとして嫌うようになり
 (普通に考えてもそれら多くは、地場頼みの保守体質のなれの果てなんだから当然だ)

 ‥一方、都会仕込みの攻め体質に馴染むほどに、自由が好いと思い込む
 そのように教育され、そのように生活を重ねては、地域の関わりなど煩わしいだけに陥った
 (単に列強仕込みの植民地化と同じで、地方を追い込むだけの思考形態だった)

 ‥なのに‥いつの間にか不思議にも、昔ながらを無駄に不自由な形だと思い込んでいる
 そして、裁判頼み、政府頼み、投資家頼みに奔るのだから本末転倒だ

 政府や投資家のしでかしてきたことは、環境破壊だった、寿命破壊だった、健康破壊だった
 (それを儲かるからと喜び勇んで尻尾を振り向けてきたのは誰だったか‥)

 そうにもなってしまえば、田舎に住んでも不安ばかりで仕方がないとした思考に陥る
 そのようにしか無いままを平然として正しいと思い込む


 ‥斯様にして
 都会と地方との差が大きくなれば成るほど、価値観に更なる隔たりが広がり
 田舎への偏見を強くし、過疎の加速を促した

 ‥その程度の科学力しか培えていないのに、科学万歳思考をやらかしている
 田舎暮らしに通用しない程度を科学などと言い合って、都会自慢に満足げだ
 そんな科学の在り方は妄想もとい過去形体質と同根だ(自然の前に朽ちるだけでしかない)


> そもそも‥肝心たる科学者同士でさえ競争三昧だ
> そこにある科学が何のための科学にあるのかと問うなら、発見のための科学なのだろう


 ‥何のための発見か?
 ‥問うまでもない換金し得るための発見だった

 だから誰しもは、一時の優位性に基づくだけの、より有益と思う程度の競争をやらかしてきた
 二〇世紀に見られたそれの科学は何だっただろうか?
 二一世紀にそれらはどうなっている?
 進歩したと言えるだろうか?、否、破壊の限りのツケを目の当たりにしているだけだ

 (流行り廃りありきな科学を、今や科学文明とは呼べんのだよ)

 地球は岩の塊では無い、明らかに生命を宿した生物群にある
 私たち人類はその内のひとかけらの枠組として成り立っていた(それが真相だ)
 その一つの細胞が、いつまでも癌化増殖をやらかそうって勢いのままなら、もう滅びるだけだ



1-4)3

> 今やその最悪をどうにかしようとして、登場しているのが感染拡大とした新たな間引きだ
> そんな科学経過とした一連の在り方をどうして正しいと言えるだろうか?


 ‥なのに多くの人々は、愚かにも、未だに政府頼みの政府バイアスに陥ったままだ
 これを宇宙的に人類の創生とした枠組で考えると
 一歩も進展していない課題を抱えたままと同じだ

 其は即ち、創造神とて万能に無き形式だ

 だから、神様神様と拝む根性は、私ファーストとした無責任な思考と同列だ


 ‥誤解無きよう断って置くが
 私ファーストは悪でも必要悪でも無い、唯の本能だ
 その手の本能をどのように進化させたいかが問われている

 創造神においてそれは、生命群の枠組ほどに拡張するばかりで解答など無いらしい
 つまり、「お互いに考えてみよう」と投げかけてる最中の模様だ
 (未だ自問自答の宇宙観に留まってるって事っすね)


> 創造神においてこの問題に行き詰まってくると、リセットをやらかすそうだ


 どちらを睡眠時・覚醒時と判断するのも不明なほどに
 次に瞼が上下に動けば、新しき宇宙をやらかしているとかなんとからしい
 つまり、人間としたテーマがあるだけで、私たちとした存在感など煙の如くらしい

 (造られた側がそれを判断できるってのは)
 (仕分けられた宇宙体の外から眺めてきた知性群ありきに他ならない)


> こんな見方を一番に紹介しては、途端に次の解釈に奔りそうだな
> ‥成るようにしか成らない‥(マッドサイエンティスト様万歳論ありきでしょう)


 ‥では、振り出しに戻ろう
 「本当にそれで良いのか?」
 疑問に思うなら‥生活競争を加速化させる競争観をまずは疑うべきである‥

 されど、おまんまの取り分としての自由と平等を気にするなら
 科学もとい利権方向を問うべきである
 じゃないと何回繰り返したって滅びるくさいだけだ


 ‥「其もやむなし」と抱くなら
 自らに「明日は我が身とした恐怖大好きなんですね?」と問うて見るべし
 「NO」と思うばかりなら、日々考えるのみである



1-4)4

> ちなみに、私たちの宇宙は二元性のテーマに基づいて在るので
> どちら側に思考の選択が傾こうと、なぜか味方と敵が在るので、勘違いやらかすことになる
> なので、味方の多い方が正しいとした見解とて怪しいのだ


 (単純にお得な方を支持するばかりの傾向なら、支配層万歳とした丸投げだ‥)
 (宇宙神にだって、本能的に私ファーストとした甘さを見せる鏡似性って事っすね)

 ‥その手の甘さを薄めていくと、如何なる思考の境地に辿り着くのか?
 ってのが、二元性宇宙からの問いとするのが本質だ(どちらがより正しいかでは無いのだ)


> イタチごっこは間違っていると思うかも知れない
> だがしかし、何事に対しても「集中と努力」を誰も否定しやしない


 ‥どちら向きに進むかも判らないのに
 誰しもはノンテーマで「集中と努力」を歓迎している

 その結果としてイタチごっこにもハマるのに、イタチごっこだけを暗に批判するのは不均衡だ

 そのような片寄った思い込み根性への正当視癖が、却って差別と偏見に結びつく
 感情とは厄介なモノで、そこを正して生きているかどうかの差程度が、暗に重要だったりする


 ‥宇宙船でさえ誤差修正をしながら進むというのに
 なんだ現代人の有り様は、心とした大宇宙を甘く見ているから日々遭難の如きだ

 (心に触れる琴線にしたってピンポイントだ)
 (健康的に受精するにしたって日々の蓄積だ)
 (適当でしかないなら、理想にまで辿り着けるわけが無い)

 人口増加は、宇宙の拡大増殖のままと同列だ
 足場があやふやのままに増殖を続けりゃ、一時の遭難どころではない、日々被災三昧と同列だ

 (そこを誰も理解し得ていない科学者もどきばかりでどうしようもない)


 ‥お互いに理解し得たのは、未曾有災害に対して、政府行政とて判断不能だから
 「各自の判断で避難せよ」とした丸投げ返しとした意識確認程度のオチだった


> その程度だったくせに
> 「競争だ」「能力だ」をかざした社会構造下の椅子に座り込もう劇場は最低&最悪だ
> (いつまでそれの正当化をやらかす気なんだよ、ふざけんな)


 普通に考えたって、その程度の恋愛観からしていずれ尽きるのがオチである
 ほだされていると恋は盲目と同じで、馬鹿に付ける薬が無いのと同じだ
 (尻尾切り前提の恋路やら家族計画に明るい未来なんて無いのと同じだ)

 尻尾切り前提=競争社会=負け組は保障せず=歴史は繰り返すがモチベーション
 其が実体だった、他に何があっただろうや

 (宇宙もその程度、もとい、気付きがおぼろげのままなら恐怖たる据え置きだ)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 20:04 | Comment(0) | 宇宙な? | 更新情報をチェックする
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