2021年07月23日

【ツッコミ隊】権利とすり替えと義務要求の肥大化

記稿.2021/07/23

> 権利とは何か?
> それは双方向での話し合いの場を通じて交わされるべき約束事項の相互確認である

 (但し、このような話し合いには根気が求められる、ここでは是を「根気型」と呼称しよう)
 (根気型の場合、参加しないなら発言権放棄と見なされても致し方が無い)


> 権利のなりすましとは何か?
> それは約束事項を一方的に要約して選択支があるように見せかけた取り交わしである

 (概ねこのような話し合いにはサービス側の思惑が見え隠れする)
 (なぜなら短期的に利益を追求するからだ、ここではこちらを「短気型」と呼称しよう)



> 話し合いとした意味では根気型が理想だが、権利と言いつつも社会の常識は短気型だ


 つまり、権利を前提にしているようでいて、すべてはサービス側の都合絡みでどうしようもない
 短気型では、話し合うべきポイントを絞り込んであるので表面的には平易だ
 但しそれは、ユーザー側がサービス側を一方的に信頼している場合でしか成り立たない
 若しくは、ユーザー側が、サービスに対する対価をはした金の想定に見下せる場合でしかない


 そして大抵の大衆は、愚鈍にもその思い込みの術中だったりする


 ‥選択支を提示されることを以て、権利に思い込むようになっている
 其を例えるなら、選択項目さえ出現すればゲームをしているかのように錯覚するアレだ

 だがしかし、そのサービスが糞ゲー然&無理ゲー然だったらどうする?

 世の中のすべての人が訴訟を起こすわけでは無い
 その代わりとして、一般的には、そのサービスを使わないように情報を流す

 だが、ユーザー側がサービス側を訴えられるのに
 サービス側がユーザー側を訴えられないのでは公平では無い

 だがらといってサービス側が違反該当者を名指しで世間公表するのは犯罪者扱いで行き過ぎだ
 そこで短気型がもてはやされている
 規約を設けて、それ以外の訴訟は論外ですと一線を引いておくのだ
 (規約内での違反に該当したなら、問答無用で退場だ)


> 残念なことに私たちの常識は、そこまでを含めてサービス脳にまで堕ちている


 ‥短気型を常識とするばかりなら
 政府からして国民とまともに話し合わずともOKということだ

 それどころか
 代議士を介したスポンサー要求ばかりを派閥都合から政府がマンネリに取り上げるなら

 三権分立の理想などとっくの昔に崩壊中で無かった話にすり替わるのだ

 だがしかし不思議なことにスポンサー側はそれが自分たちの権利だと推している
 代議士群もなぜか支援を受けた義務として、当然だとして善処するに堕ちている

 (国民主権はどこさ言っただ?)

 それこそが短気型の堕落性になっている


 ‥どこから派生したとも知れぬ議案を持ちだされたというのに
 出来レースでマスコミを通じてその話題で持ちきりになる
 国民の多くはその案をどう思うかでしかなく、そこから先を見通した改善案を練る程には無い
 まして目指すべき理想を持たずのなら、どちらの方が儲かるか脳でしかない


> では、その手の流れに派生した権利から生まれる義務とはなんだろうか?


 ‥まぁ単純に、増税やら値上げやらの支払い枠の肥大化だ(圧倒的にそれに片寄っている)
 つまりは最初から人権なんて言葉だけで
 言葉巧みにすり替えて、すべての国家憲法は守銭奴の飼い犬法さながらに堕ちる流れだった

 ‥労役を課された方がまだそれの作業工程の終了に区切りがあるのに
 マンネリとした比率払いにはそれが無い(容赦無しの奴隷化然を実現やらかされている)


 ‥つまりは塀にぶち込められたというのに
 いざ、刑期満了放免だというのに、複雑な気持ちを抱ける方が、まだ人権だったオチだ
 それに死刑たる恐怖を無くそうなら、それこそ犯罪者勝ち組みたいな人権観に堕ちるだろう
 そうになってしまえば、まともな勝ち組群からの監視社会要求は俄然正当視されるだろう



posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:27 | Comment(0) | 科特隊どころか無理だからウルトラ経済大作戦 | 更新情報をチェックする
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