2021年08月30日

【勝手句帳】r074(21’0821-21’0827)静岡新聞掲載分から

↓(19)向宜詠吟.2021/08/30

令和3’8’21
裾野市・鈴木図書館短歌会
|畑道を走りゆく子の後を追いタンポポ綿毛次次旅立つ

※リアルで詠んでるだろうにメルヘン感がそそるっす


|春野追う子ら追いたげに綿毛発つ 振り向け空に旅さそう風


> 春野を駆けゆく元気な子どもたちを見て
> タンポポの綿毛も、駆り立てられるのかもしれません
> もしそうなら、たまには振り返ってみるのもありでしょう
> きっとその振り向いた先の空には、多くの綿毛が旅立たんとして舞い上がっているかもです
> その時に、見上げて、旅焦がれたならきっと、タンポポ綿毛に誘われたって事でしょうね

1

令和3’8’21
裾野市・鈴木図書館短歌会
|音符たちよ野原で遊び廻ってもピアノ弾く時譜面に戻れ

※随分と空想すぎてて、詠みとは違うように思われます(呪文くさっ)


|のどけしき野原で遊ぶ音の精 我が調べにて集いて踊れ


> ♪ポロロロン‥デス・ララバイ唄います
> ねんねんコロリ、おコロリよ、悪い奴らは寝に死せり

> おい、こいつらは本当に全員寝死んだのか?

> ‥それなんですが、たまに情をかける音の精もいまして、100%とは限りません

> ほう、そういう事なら、きっちりトドメを刺さないとな

> え、なーに、結局はブスブスしなきゃダメなの?
> それって、全然役ただずじゃない

> ぼやくなぼやくな、こういう魔法があって、始めて解剖知識を得ることができる
> こいつらの生体構造なり、弱点を知るには持って来いだろうが
> どこから捌くと、大量にブッシューって吹くとかさぁ
> ピンポイントで特定箇所を知ってる知らないの差は、かなりデカいんだぜ

2

令和3’8’24
掛川市・甘藍・鴟尾の会
|背伸びして仰ぐ両の手星流る

※‥子ども気分なんですかね?(しかもかなりの天然風)
星を手に掴み取りたさ丸出しが、主観句とも客観句とも判断しがたく悩ましい


|死の際の仰ぐ諸の手星流る 寄せては返す数多の涙


> 星が流れるのは、誰かの死を意味するとか何とか
> 昔ながらのそんな言い伝えが頭をよぎった
> 苦しそうに、皆、手を上げては助けを求め、そして次次と死に果てた
> 流れたのは星なんかじゃない、涙だ(治療の甲斐も無く、ただ無力だと思い知った)

3

令和3’8’24
掛川市・甘藍・鴟尾の会
子も親も臀つき出して蟹を採る

※蟹を採る×→蟹を捕る○
養殖の蟹のつかみ取りなら、採るもありだろうけれど‥
農作物でも、捕るのは泥棒で、採るのは農家の自営っすから


|子も親も顎つき出してローン組む 必要ありきも乗せられており


> ローンの主格といえば、家と車だ
> 家とした選択は、家賃との相殺で無理をするかはそれぞれだが
> 車の多くは、仕事の都合としての足なので、相殺も糞も無い
> 時間の都合は、最優先で取らざるを得ない

> そのせいか、一般に
> 家を買うのは個人の勝手
> 車を買うのは、やる気の証しとした見方にもなっている

> だがしかし、世界中で考えることが同じなら
> その手のやる気の証しこそは
> 地球環境より自分の暮らしを選んだ、今だけ自分だけの世界観だ(そういうオチだった)

> そんな主犯格の自動車産業が、ホクホク顔のままに21世紀を乗り越えられるわけが無い
> ならば、ボス格の石油メジャーも同列だ(石油兌換券も同列だ)

> ブランドを身に纏うことで得られるやる気沙汰なんざ、べらぼうに錯覚だ
> ならば、その手の商法も同列だ(環境意識・人権意識が低いほどその通りだろうさ)

4

令和3’8’24
掛川市・甘藍・鴟尾の会
|月見草無人の駅の灯を集め

無人の駅ったって‥神奈川県下にだってあるぞ、決して地方の端とは限らない
そういう意味では、不便さを抱え持った地区程度の意味合いしかない


|夜灯す無人の駅の月見草 秘境らしきも月あればこそ


> 秘境とは何か?
> 花の名所にしたってなにが違うのだろうか‥

> 例えば、空堀のような地形に桜をすし詰めにしてみよう
> 花見目的なら、そこは決して候補たり得ない
> せめて、トンネル状になるような工夫が求められる(だがしかし成長するかは謎だ)

> とまぁ生活の一端として機能し得るか否かとした部分はどうしようもなくある
> ところが秘境はそうでは無い、そうにある必要が無い

> だがしかし
> 無人駅の広がりに月見草が群生していたからと云って、其を以て秘境と思うのは早計だ
> 注意してみれば、そんなのはどこにでもある、どこにでもあるちょい桜と同じだ
> 絶景としての差にしたって、月あればこそだ
> ちょい桜の見映えにしたって、その周りにある景色諸々で随分と差が付く

> ならば、私たちの努力も同じこと、創意工夫にしたって同じこと
> 自分たちの暮らしに繋がる形になっていないなら、平凡以上には見えてこない
> 環境を無視してきたなら尚更で、投資家や建築業界の自画自賛に在るばかりだろう

 (競争で建てまくるなんてのは、もってのほかでどうしようもない)


> では問おう、全体で秘境めいていたらどうだろう?
> それこそが、列島改造前の日本のバランスだった

> そして、そこでの暮らしに、お互いに見映えに差を見出せずにいたのも事実‥
> それは単に、見映えに差を得るだけの見方を欠いていたに等しい(哲学観の不在)
> そして、列島改造後にしても同じ轍を踏んでいる

> 情報共有の時代に、敢えて情報を外してみるやり口を冒険やらかすぐらいにないと
> 個性としたよすがは発生しようがない
> だがしかし、暮らしの役に立っていなさそうなオブジェクト群を個性だ作品だなどと
> 口にしあっても、死に体にあるばかりだろう
> そんなのは、昭和の箱物政策と何も変わるところが無く糞だ


> 生活感を美学に高めるとした見方が必要だったというそれだけのことだから
> 生活感がそのままに美学なら、生活の担い手こそ立派に芸術家だ


>(生活の担い手になっていないオブジェクト群なんか死に体表現で、糞どうしようもない)
>(洪水禍時代なら、そんなのはただの危険物凶器群と化しかねないそれこそゴミだ)

> 期間限定とした気配りをしないのでは、それこそ放置ゴミと同じで芸術にはほど遠い

> 同じ服を着っぱなしの状態を、誰もアートとは思わないのと同じと言うことだ
> 田舎では、ついついそれをやらかしてきた
> 都会では、ついついそれの逆をやらかしすぎてきた
> 自然の呼気を無視したヒトの枠組は、その段階で芸術たる阿吽から遠ざかるのだ

5

令和3’8’24
掛川市・甘藍・鴟尾の会
|流れ星ひとつひそかに胸に入る

※流れ星を見て、自分一人でニヤついてる詠みに思いますが
下五「胸に入る」が、良さげに利いてるような趣にも見えますが
「身に入む(みにしむ)」とした三秋の季語を思い浮かべてしまうと
もっと別の詠み方もあったのでは?‥としたケチがつきまとっちまうんでーす


|身にしむる独り秘かの夜空かな 輝く星に参じたく候


> 夜空に瞬く星を見ていると、普段は何気ないモノでも
> 随分と刷り込まれていた‥気がつけば、一角の輝きを放ちたいと思っている‥
> それは自らダメでも、馳せ参ずることでも同じことなのだとしたアドバイスでもあった

> だって、輝いているのは一等星だけでは無いのだから
> そういう事なのだなあと思うも、最終的には、星にしたって個の輝きの集まりだ
> やはりそこは、自分からも輝く‥もとい、照り返せるようにならないと、お役に立てない

> 能力主義などと上から目線に要求せずとも、星を見る暮らしからすれば、普通に基本形だった
> ならば、星の見映えの悪い環境にしておいて、なにが能力主義だよと言いたくもなる
> (宇宙ゴミなんざ、まさにそれ)

6

令和3’8’24
浜松市・白魚大梧桐句会
|朝涼の縁に繕ふズボン丈

※「」が悩ましい
ただでさえ「朝涼」が新語くさい処に、「朝涼の縁」として夏場の早朝を示しているのか
それとも、裁縫用語に「縁に繕う」とした言い回しでもあるのか‥謎


|入り口は爽をまとえる涼のふち 然れどコロナで肝冷やしつつ


> いやぁ糞暑いわ、お気楽に涼めるとしたらクーラー求めて入店するしかねぇ
> でも今やそれもコロナ感染防止うんぬんと、入り口までになっちまって嫌になる
> そこから先はもはや冒険だから、クラスターありきの冒険だから
> いやいや炎天下に留まっても同じだから、肝試し気分で入るしかないと来たもんだよ

7

令和3’8’24
浜松市・白魚大梧桐句会
|花茗荷居間の柱の竹筒ぽう

花茗荷(はなみょうが)

花茗荷(食える雑草?の類)と、茗荷の花(まんま茗荷の花)では季語の扱いが異なる
花茗荷は初夏に限定されるようだが
茗荷の出荷は、夏から秋までとあり、季語としてどっちかなんて詠み手の都合くさい


|竹筒に生けて柱に花茗荷 狂おしきかな居間に利休


> 花茗荷を竹筒に生けて居間の柱に飾ってみたの
> これってすごくない?
> ああ、もう誰かにほめて欲しい
> 「利休の真似だろう‥」とかでもいいからツッコんで欲しい

8

令和3’8’24
浜松市・白魚大梧桐句会
|片陰に部活帰へりの子等の声

※この手の詠みはしょっちゅう見る、日常過ぎるそれに‥なんの発見があるんだよ(なので)


|片陰にワクチン帰り崩れたれ「近づくなかれ‥」無念さびしく


> うわぁあああ、苦しいぃいい、副反応来たった(ガダッ)
> (もうダメ、声も出せねぇ、スマホの緊急ポチっも無理)
> (こうなってはもう、近づかないで下さいと思うのが筋ってもんで‥無念だなあ‥)

> ‥とした案件を目の辺りにしたくないわけだから、可能な限り篭もるのが無難だな
> ‥ワクチンも可能な限り拒否するに限る
> 熱中症との区別なんか付かないわけで、都合の良いように処理されちまってるに違いない

9

令和3’8’27
清水町・清流句会
|いそぐ蟻なまける蟻に目もくれず

※蟻はメス社会(オスは女王の性奴隷のみ)
いそぐ蟻はガツガツした機関銃女子部隊で、なまける蟻は腐女子信者群(厳密な差は無いらしい)


|いそぐ蟻なまける蟻に目もくれず そしてやらかす環境破壊


> 女性の時代と言いつつも、その実体は、環境破壊時代だった
> 男尊女卑うんぬんに喧嘩を売っても、所詮は踏襲で、変革など無い
> 実力主義、能力主義、貸したカネは返せ主義を‥女ほど便利に操りたいわけであり
> それの流れのままだから、ハニートラップもまた在り続ける

> 権力争いに女子が多めに描かれるようになってるだけで、中身同じ、懲りねー性分
> 繰り返す、それで行き着いたのは、環境破壊以上地球崩壊未満の真っ只中

> 女性の社会活動うんぬんに、さして変わりばえなんかねぇ
> (スタートラインの模索が、男より幾分ゼロ寄りに見られた程度だ)


> 男子が楽チンを女子に押し付けて
> 女子はその楽チンを科学に押し付けて
> どちらも、押し付けるだけで無関心で人心音痴で、どうしようもねぇのが発覚した段階だ

> できる・できないに、男も女もねぇ
> 失態・失敗をやらかすのに、男も女もねぇ、その集大成が環境崩壊って事だから
> (とくにチタンやフッ素の散乱は、水銀同様に厄を引き起こすそうだ)

10

令和3’8’27
清水町・清流句会
|青き虫みこしのごとく蟻の群


|死に体をかつぐみこしや蟻の群れ ワクチン時給三万円


> コロナワクチン打て打て指令が世界中に放たれている
> 拒否したアフリカ諸国の大統領たちはすべて暗殺されたそうだ
> 菅首相の打て打て行進も、寝つけないほどの恐怖からと言う事なのだろう

 (なので本音は、菅にきっちりノルマを果たして貰う下心にあるのが自民党)
 (政権交代を果たしたいと語る側だって、立場が同じなら怪しい限りだ)

> で、ワクチンを打ってくれるなら、時給三万円とかなんとかと高給指定に至った
> 腐っている医師どもは、当然儲けたいのだから、のんびりゆっくり打ちたいわけで
> ワクチンでのゴタゴタが起こってくれると、めちゃ助かるなんて思っているかも知れないな

> まさに、医療精神の死に体を担ぐ蟻どもらだなあ(まぁほとんどがオスだろうけど)

 (因果的に、男子重視の偏見入試が無かったら、メスも半分で、それこそキチガイ沙汰だった)

> 世界にカネの元締めたる支配層の居るのが元凶で、誰でも狂うって事ですね
> そういう仕組みなんだから、棚からぼたもち食わにゃ損損って思うのも‥どうにも致し方なし‥

11

令和3’8’27
清水町・清流句会
|蟻の列いよよ混み合ふ真昼時

※川柳としてなら、それでも好いのだろうけど
俳句として上五「蟻の列」を盛っているとしたら、印象だけで具体性に欠く
季語を例えに用いていては、下五「真昼時」を盛ったところで画は完成しない
「蟻の列の行ったり来たりを真昼時に見ましたよ、朝のぽつぽつが、昼に行列でした」
なので、「ヒトの列」に脳内変換しても、どこのお店もしくは業種かは謎
中七「いよよ‥」とした語句から経験的とした判断となる処で、ランチ前提に思い込めるまで‥
(だがしかし、蟻の列のレベルで言ったら、遊園地のアトラクション乗り場の方が半端ない)


|禍新た いよよ混み合う接種列 打ち捨て御免のマーケット


> 支配層は博打好きなので
> コロナ&ワクチンやらかし騒ぎ(死を招くお祭り騒ぎ)でも、生き残ることに敬意は示す
> でも、大の負けず嫌いなので‥容赦なし‥

> コロチン打って、儲けたい(支持されたい)カードチェンジしたい(間引きたい)支配層は
> 間引き効果が想定以下だったなら、さらにゲームを続けて、賭博場から逃がさない
> それが、カネの仕組みを牛耳っている側のチート&プライドだ


> 爆弾がコロチンに切り替わってるので、譲歩されてそれって事らしい
> なので、適当にコロチン列に列んでくれる層が皆無だと、爆弾上等にだって切り替わる
> ちなみに、爆弾とどこが同じかというと‥打った者は死んだも同じで子孫を残せない‥

> コロチンで死なずじまいなら、その運の強さに敬意を示そう
> だがしかし、お前らの代までで次を造り出す苗は潰すから‥(そういう中身だそうだ)
> (子宮頸がんワクチンうんぬんでは飽き足らなかった‥そもそもあれも前実験くさっ‥)

12

令和3’8’27
静岡市・清流俳句会
|青すだれ人みな影として通る

※「青すだれ」の新境地を発見


|青すだれ平安狂の開示資料 それも日本のお役人


> 米国の秘密文書には、なぜかすべてに開示年月日が定められている
> だが、日本のそれに、そんなモノがあるとした話は伝わってこない

 (日本には、墨塗の開示に向けた期限が無いのだ‥見事なアンフェア‥)
 (要求され続けて、漸くに「善処します」としたのらりくらりをくりかえす牛歩趣向だ)

> さすが平安狂、簾の向こうのお顔はひた隠しとした闇におう世界よのう

 (昔からずっと、表看板の天皇家からしてダミーだったっていうし‥)
 (とはいえ、最終選択権は表にしか無いわけで‥どうなるかは裏とて未知ありき‥)
 (なので、歴史学者だって謎だらけなんだから、庶民が匙を投げても致し方がない)
 (だがしかし、匙を投げたらその時点で負けなのだ)

13

令和3’8’27
静岡市・清流俳句会
|翡翠舞ふ一直線の風の立ち

※下五「風の立ち」とは何か?
当人だけが分かっているようなお気に入り口調なのが痛い
(日本語には夕立とした連想もあるのだから、勝手に造ろうと振るわない)
そもそも、翡翠の狩りは、一直線でしかないはずなので‥
「舞う」と「一直線」を並べたてたのは失敗だ(字余りまでかぶってる)


|翡翠の一直線や風の銛 ついばむ口にピチピチとさせ


> 「翡翠出ますっ」
> ビューホオォォォ、ズヒョォオオオンッッッ
> 「よっしゃ、撃墜、ごきげんだぜ」
> ‥とした趣を、カワセミに抱いてしまうのはなんでだろうなあ

14

令和3’8’27
静岡市・清流俳句会
|機影二機雲の峰より湧き出づる

※‥にしても、普通に文調である


|敵機影雲の峰より湧き出づる 急降下にて回避せよ


> ヘルキャットVS零戦で上を取られたら、そりゃもう急降下で回避するしかない
> ダイブ中の敵射撃は、基本的に小便弾になるのでまぁそういうセオリーだそうだ
> 技を以てして且つ運が良ければ回避できるかも、逆だと、一気に引き離されて逃げ切られる

> ヘルキャットVS紫電改で上を取られたらは、なんだかんだと読んだことがない
> でもまぁ基本は変わらない

※それにしても、ただの文調だな‥詠んだなどとはとても言えん

15

令和3’8’27
静岡市・新俳句人連盟県支部茶の花静岡句会
しとしとと紫陽花みてる八十二才

※ガチで何気なくぼんやりと眺めている詠みにハマった‥


|しとしとと紫陽花みてる老いの果て 辛抱忍耐節制惨め


> 紫陽花の七色は、酸性とアルカリ性のはざまとしたうんちくだ
> 人生の七色も可能性と無理性のはざまとしたうんちくで
> 吾の人生は無理性の濃い人生だった
> そういうのが片寄ってあろうと、全体としては虹色に見えるのもまた世の姿‥

> そういう意味では紫陽花なんかちっとも美しくなんかない醜い部類だな
> もとい、紫陽花のように省略形で見えくる世界なんか大っ嫌いだッ!!!


(そういう意味では、一途で健気に見えてくる向日葵の方に親近感は濃いにしても)
(「アーパー・サンフラワー」などと罵られちゃって)
(つまり、そういう見方に傾がる世界観ってのがすかん、すかん、すかん、怒嫌ん‥)

16

令和3’8’27
浜松市・三ヶ日俳句研究会水鳥発行所
|蝉の声棚田の静寂埋めにけり

※静寂を埋めるとした着想が、とても新鮮で勉強になった
にしても、「蝉の声」と「静寂」と言ったらアレである、アレだな‥
そして、その反対に着目した響きはまだ無いような‥ということでやってみた‥


かしかまし西日退(の)きたる磯のはだ 赤きと語る古の(いにしえのこく)
|かしかまし西日退きたる夕暮れの棚田に響く静寂の風
|夕蝉は静寂にしてまだ足りぬ されど闇など怨嗟(えんさ)のうねり


> 磯から眺める見事な夕焼けという奴は、どこか古の叫び&産声に見えてくる
> 陸(おか)の出き立て熱々とした印象が呼び起こされるのだ

> 棚田の暮らしは険しい、その先祖の大変さを語らんとして
> 西日の厳しさからの夕蝉の輪唱があるかのようだなあ

> 安らぎを勝ち得ずにヒトは生けては行けない、陸も存在し得ない

> だからだろう‥ヒトの感ずる静寂には、響きがある、決して無音では無い
> だがしかし、負け崩れた者らの怨嗟はどうなるというのだろうか?
> それこそが闇、どうしようもなく闇なのだ
> ヒトがヒトたるには、その怨嗟すらも癒さずにして鎮まることなど無い
> ならば、闇に静寂とした理想を思い抱くなど、もってのほかにあろう

 (ゆえに、闇に抱く静寂らしきとは、「再生への祈り」にほかなるまい)

17

令和3’8’27
静岡市・アンジェス川柳会
|人生の宝物って生きること

※これは、お題文句だな


|生きて尚生き甲斐欲しき欲の面(つら)生かされ生かし学びつる性(さが)


> 生きていると、なぜかそれ以上に生き甲斐が欲しくなる
> 命ある様こそが感謝のスタート地点だというのに、それ以上に何を欲してどうしたいのか?

> 所詮は、生きているだけでは拷問に近いと言うことなのだろう‥
> (解釈を見誤ると、どうにもマゾである)


> ヒトの懲りない性分という奴は、痛みの全体像を知りうるための傲慢さとしてある
> だがしかし、貪る事への興味関心に留まるだけの者の方が多い
> まぁそれはそれで、楽しみ方の全体像を把握し切れていないオチにあるのだろう

> だがしかし、学びを経ずに貪ったところで、やらかしたところで、誤差の範囲だ

> 生かされていることに謝意があるなら、生かす事への興味も湧いてヒトである
> ならば、学ぶしかあるまい

> 疵の痛みやらに押しつぶされて迷っていたところで、貪りと同じと言うことだよ
> 一番に大嫌いな傷みを覚えたなら、そこでメソメソしていてもどうしようもあるまい
> そうならないように学ぶのだ、生きるのだ、生かすのだ

> 教えるとした学びの世界はさらに広がっている(それはもうへこたれ込むほどに)

18

令和3’8’27
静岡市・アンジェス川柳会
|朝焼けが東の空を染めていく

※これも、お題文句だな


|西ゆかば東ねたまし「夜明けいつ?」欧米贔屓のどつぼJAPAN


> 欧米の顔色ばかりうかがっていると
> 格差縮小など期待するだけ無駄で、戦争と恐怖を撒き散らす事しか企画できないのだから
> 夜明けなんかやって来るわけが無い

> 其を、日本の地形地理な視点から述べると
> 東を向かずに、西に進んで、旭が昇らないとぼやいている様そのままだ
> 日本の欧米贔屓は、上流層ほどどつぼでどうしようもない

> だから、「日本の夜明け」なんかポーズだけで、明けっこないのさ
> (円安ドル高‥ほとんどすべてを西側に差し出してたら、そりゃそうだ)

19



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



posted by 木田舎滝ゆる里 at 18:02 | Comment(0) | 名句にポン/2021中途から不定期分 | 更新情報をチェックする
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