2021年11月01日

【他力本願】何事もどこまで救えるかで派閥を呈する

↓2)記稿.2021/11/01

> あなたは、どうしようもなく愚鈍な群衆を前にやる気になるだろうか?
> ならば、どのように愚鈍もとい馬鹿なのかの程度の想定で、御仏でも意見が割れて不思議なし


 ‥どうして、救いようも無き現実が、目の前に顕れるのだろうか?

 それはまぁ‥誰だって、失敗やミスをやらかすんだから、ツケが積もればなんとやらだし
 見積もり甘すぎて、まったく別の方を向いていたら、当然の結果をもらすだろう

 見積もりが甘いそもそもは、危機意識の欠如に尽きる(不慣れでもある)

 その最たる中身こそ、弱肉強食運動会さながらに、飢饉時のセキュリティすら無いのが現代社会だ
 (何はともあれ、飢饉時の奪い合い上等こそ、弱肉強食の本懐なのだから)

 飢饉時のセキュリティに期待できない安心感を伴わない国家体制に、民主主義も糞も無い(最悪だ)
 (一番にアシをしっぱっているのは、資本主義&在庫をゴミ扱いにした税金制度である)


> それはそれで、自由だったというオチでもあるのだろう‥
> 愚鈍だったのに、多いに自由を満喫しちまった結果、環境破壊をやらかしたってオチでもある


 (掃除&あと片付けを、先送りする科学と自由なんざ糞)

 ‥でも、愚鈍だったからこそ、思いつくままの自由をやらかして痛い目を見ないとわからない
 とはいえ、人類を実験している側だって、似たような好奇心に抗えないところがある
 どんな愚かさを見せてくれるのだろう等‥(遺伝子調整の作業なんざ果てしなく非人道的で糞)

 (結果として、愚鈍のツケをまとめてどうにかせざるを得ない立場にある)
 (結果として、愚鈍のツケをまとめてどうにかせざるを得ない立場にある)
 (結果として、愚鈍のツケをまとめてどうにかせざるを得ない立場にある)


> さて、どうして救おうかという真面目な話をしよう
> 救うにしても方針に基づく話になってくるのが、集団たるどうしようもなさだ(想定内)


 ‥人類の愚鈍の多くは、地味に弱肉強食をもっともだと思っているところがある
 (いやいやいや、それって救わなくても結構ですって訴えと同質なんですけどね)
 (いやいやいや、それって救わなくても結構ですって訴えと同質なんですけどね)


 ‥ちなみに、自分で何とかしろって‥話は、実験側の姿勢としては的外れだ
 宇宙なエネルギー事情を鑑みると、どんなガラクタでもほいそれと捨てるだなんて「勿体ない」

 ‥どれだけの次元と年月とアイデアを練って、ヒトにまで成長させたんだか
 (なので、多少の愚鈍には目を瞑らない事には、時間はいくらあっても足りません)
 (むしろ、どんぐりの背比べなので、使い回すのが通例です、それが宇宙的な事情です)


> なので実験側は‥貪欲さの方向が、ヒトの欲望とは違っているのです(正しく理解しましょう)



1-2)1

> 人類の口にする弱肉強食は、支配の概念でしかありません
> 物欲を満たすための吸い上げとした貪欲さを満たす意味など、実験側にとって無味です


 ‥ですが、実験側にもその手の考え方を行使したい変わり者らがいます
 それは、育っちまったヒトタイプが、自分ら以上に優秀になっては面白くないからです

 (それを言い換えれば、なびかない輩を救っては損だ‥とした考え方と同じです)
(いやいやいや、それって実験する側としては、好いところだけ残して捨てちゃえって話です)

 (良いですか、そのような考えでは、途端に行き詰まります)
 (例えて言えば、エリートらがやらかす当たり障り無き教育ルールを設けたくなる心理と同じです)
 (なぜ、当たり障りの無いようにしてしまうのかといえば、面倒くさいからです)
 (粒ぞろいの方が、美しいと思っちゃうからです)

(いやいやいや、それでは実験の甲斐も意味もありません)
 (実験としては、その度に新しい発見に繋がるような構成と配分を残しておかなければなりません)
 (大賢者たる部類ともなると、明らかに好奇心の方向性が違うのです)


> より詳細なデータを得る上での構成を確保したい、担保したい
> 実験する側が慎重であればあるほど、そういう意味をも含んだ「救済」になるでしょう


 ‥それはそれで、慈悲とか是非とか努力とか、とくに関係なさそうに見えてきます
 (まぁ結局は、実験側の都合&お気に入りとした中身でしょう)
 (そして、そういうのは、派閥でも好みが変わってきます)
 (まぁつまり、愚鈍だろうとなかろうと然したる差なんてありません)


> 考えるだけ無駄に思われるでしょうが、そこは何を望んでいるかです
>(何を望んでいるかで、派閥に別れるのと一緒ですね)



1-2)2

> とどのつまり「救済」を求めるにしても
> 自分が何を望んでいるかを知り尽くしている必要があります


 知り尽くしていると自負できる是がお有りなら、すでに救われているも同質です
 (どのような状況においてもブレない程なら、すでにそちら側の派閥に違いありません)
 (ブレてしまう分だけ救って欲しいなら、そりゃまぁ愚鈍を自覚すべきです)


> 何事にも、自分の行いを自覚できていないことには救いは発動しないのです


 てめえの愚鈍の有り様を自覚できていないなんて、ヒトの分野においては論外です
 そこに見られる実験側の扱いは、それこそ人類の為す先送りと同じく「放置&隔離」です
 何のことはありません、病院や監獄に送り込むのと同質です


> 救いの質を決するのは、貴方の「自分自身を見つめ直す力」とした内訳です


 (勿論、見つめ直すにしたって自由ですからね‥色分けされるという内訳です)
 (勿論、見つめ直すにしたって自由ですからね‥組分けされるという内訳です)

 ‥貴方が自分自身に真っ直ぐである時、そんなの気にしないわけですが
 気にする時が来るとするならば、希望への階段が見え無くなってきた時でしょう

 (其を気にする程になったなら、実験側の企画に足を踏み込んでいるはずです)
 (其を気にする程になったなら、実験側の企画に首を突っ込んでいるはずです)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:26 | Comment(0) | 宇宙な? | 更新情報をチェックする
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