2021年12月01日

【勝手句帳】r094(21’1127)静岡新聞掲載分から

↓(7)向宜詠吟.2021/11/30

令和3'11'27
富士市・富士川短歌会
|シラス漁か船にぎやかに白波を立てて入江を今出でて行く

※駿河湾のシラス漁には
春漁(3月下旬〜6月上旬)と秋漁(10月下旬〜12月下旬)があるそうです


|シラス船なびく祈願旗 浦うらら 白波蹴立て入江いでゆく


※浦うらら‥春うららと秋うららを都合合体させた強引な浦の活気向き表現

> ‥あれはシラス漁の船だろうか?
> 掲げている祈願旗からしても、時期を考えるとそうなのだろう
> 次次に、白波を蹴立てて入江を出て行く様は、応援したくなるものだなあ

1

令和3'11'27
静岡市・玉鉾神社献詠歌
|散歩道を自転車走らす女学生笑顔とコロンの香り残して

※女学生という言葉を使ってると年代がバレバレなのだが譲る気は無いらしい
さらに、コロンは香水の一種として明治の文明開化とともに流行したそうだ(へぇー)
‥詠みの女学生が自分のことなのか、憧れだった誰かのことなのかわからないにしろ
そこにはものすげー格差社会が展開していたというのに、スルーしてまっせ☆おいっ(ここ注目な)


|自転車と女子学生や曼珠沙華 帝国時代の香水感


> 政治的には、女性議員云々に冷ややかな視線はあったにせよ、多方面はそれほどに無かった
> それは女性の側にそれほどの関心が強くないだけの背景があったからだ
> それは、女性同士の中における格差がハッキリしていて
> お嬢様方はそれで十分満足だったという事だろう

 ‥欧米化さながらに恋愛は自由とした空気はあったにせよ、自立して稼ぐまでの思考には無かった
 ‥ところが戦後にもなると、男女ごちゃ混ぜの日常になった
 終戦直後こそ、まだまだ戦時下の空気同然だった婦人会云々も
 三種の神器の時代に成ると考え方が随分と変わりだしたらしい

 (私たち女性のしてきたことは機械のやる時代、では、私たちはどうあるべきか?)

 ‥周りを見渡してみれば、男との競争、男より優秀なのに公平とは言えない扱いの延長常
 そりゃ確かに申し上げたくも成るというものだったろう


> だがしかし、それの変化のそもそもの心理とは何だったろうか?

 女子同士の中に置いて感じられてあったはずの
 優勢、優位、優遇とした扱いが無くなったからだった

 ‥明治以上戦中未満のお嬢様らは
 女子の中に置いて感じられていた見えざるヒエラルキーに満足していたというだけの話で
 男とごちゃ混ぜの世界において、それを感じられなくなったから
 途端に、男尊女卑とした空気に鬱積しだして、口火を切るようになった

 (私、私たち女性は、もっと優遇されるべき‥とかなんとか‥)

 ‥だがそれの「私たち女性」にしたって
 それのヒエラルキーの甘い汁を吸ってきた立場同士での鬱積でしかなく
 それより下の者らにとっては、まだまだ「?」の感覚だった


> 変わり始めたのは、日本の土地バブルが弾けた後だった
> いつのまにかの勝ち組負け組とした情勢から、かつての中間層が不満を抱きだした

 ‥だがしかし、終身雇用意識が崩壊し、派遣とした雇用が日常になると
 その変化も途端に慢性的になった
 男でも女でも、稼ぐ・稼げないにおいての差は概ね無い‥のが下々の内情だった
 (元中間層女子の間に芽生えた嫌男尊女卑たる空気は、またまた骨抜きに陥ったのだった)


> 一方、勝ち組に残った or のし上がった女子から見ると
> 昔に見られたヒエラルキー云々なんかどうでもいい状態だった
> 勝ち組とした立ち位置のGETは、十分な代替だった

 (残念なことに、嫌男尊女卑とした特殊な旗を掲げてるのは、猛烈なグループだけに思われる)
 (その根拠に、マンネリとした政権事情があがるにせよ、ほぼそれへの当てつけであり)
 (その辺の妙な不満は、民衆の抱いている処と‥それ程の差は見当たらない)

 ‥とはいえなぜか、嫌男尊女卑派は留まるところを知らず
 今やいろいろとした性差別としたごちゃごちゃを持ち出してきている
 (いやいやいや、男女差だってまともに埋められてないのに無理でしょ)
 (エネルギー問題だって頓挫してんのに、なに、色事のろけ事優先なんだよ、ふざけんなよ)


> ‥その手の格差云々よりも
> 家庭を持ててる議員と持てていない議員との差はどうなわけ?

 考え方に差が起きるとした論点を比率としての差別として争点にしようってんなら
 今や独身派が増大化してるんだから
 家庭を持ててる議員ばかりの議会はダメダメだって言い方にもなるでしょ

 家庭を持ててる側が、自慢げに子ども政策重視で
 独身派からすると政策が片寄ってます‥という時代の空気は目に見えている
 (嫌男尊女卑から男女比云々に話をすり替えるってんなら、そういう流れなんだけど)
 (独身議員比云々なんて誰も興味持たないから湧きもしないだろうけど‥うんちくとしてはそれ‥)

> 著生として述べたいのは、持ちかけ方が不可解すぎる点にある
> 性的な不公平だけを持ち上げて、生活の総合を見ないのでは、基本的人権としては稚拙だ


|バイクごと明治に転移女子高生 突っ走りますバイクの保全


> 日本オートバイの歴史にこうある
> 明治期にはオートバイは道楽といった認識で、富国強兵の国是の下に国産化の進められた他の産業に比較すると特別な注力がなされることはなかった
そのため、わずかながら人の目に触れるようになりだしたオートバイはほぼ全てが輸入車であり、開発や製造は個人で小規模に行われるにすぎなかった
 一方の海外でも同様で、航空機開発のエンジンがバイクに下げて応用される始末だった

 つまり、バイク女子を明治に転移させても技術的な辻褄の多くに支障を来さない(ここ重要)

> ホンダのカブを持ち込んでも、独特の外見から食いつきに個人差があり、中身に意識が必ずしも向くかどうかは微妙で、さらにそれの技術レベルを保持して製造できるかどうかも微妙で、航空機技術者が興味を示したとしても、大本営のやらかす薄肉軽量化路線は絶対なので問題ない
> そもそもの零戦のレベルが列強を凌いでいたし、一式爆撃機においては一式ライターなんて呼ばれてたし、空母に積む爆撃機にしたって、米軍の開発した時限信管の前に多少の高速化や長距離化を実現していても、史実の戦略傾向に差の生じる要素たるになるとは思えない
> 基本的な技術レベルでいうと、戦前の日本は基礎研究が圧倒的に不足していた、そこを補うほどの投資が起こらない前提で言うと、故障率の改善に繋がらないのでホンダのカブの品質を真似ることなど無理っぽ
> 戦後経済にしたって、バイクよりも車重視だったのが投資の事情だしするので問題無さそう
> 又、未来からもたらされた衣食住に関しても、戦中の「欲しがりません勝つまでは」なんて困窮と空襲とでその手の知恵も風化すると想定すると、発想での思いつきの部分が、こんなのがあった程度の流れに置換される範囲だろう

 繰り返す、バイク女子を明治に転移させても技術的な辻褄の多くに支障を来さない(ここ重要)


 (さぁ、どんなドラマになるのかを考えよう)
 (おいらは考える気まるで無いんでよろしく‥ハイカラさん超え狙えるといいね‥)
 (明治の田舎風景最高ッ‥をやっていただけるといいな‥)

2

令和3'11'27
静岡市・しおん短歌会
|青白く光するどき天狼の遠吠えはるか星輝けり

※これは、再びの厨二ネタっすね♪


|天狼の遠吠え遥か宿りくる 我が邪気眼を青白く染む


> 俺は、この邪気眼ゆえにぼっち癖が強く、年頃にはすっかり一匹狼だったんだが
> 天狼のより輝く時節になると不思議と群れたくなるのだ(今や懲りててそんな気も無いけどな)
> それと俺の邪気眼は、降臨する星の影響を受けて色も変わるという実に特別性なのだよ
> 自慢かって、いいや苦労話さ
> 星の世界は88星座もあってね、幼少にして88もの目の色の違いと性格の違いを味わうんだ
> そりゃ大変だったさ、でもあの頃が一番に自由だった気がしてならない‥
> おっと、今のは忘れてくれ

3

令和3'11'27
静岡市・しおん短歌会
|柿の枝に吊るCDは烏除けあやなす光が風にきらめく

※上の句の最後に「か」とありますが、調べてから詠むとさらに整ったかと‥
(ググってみると、烏除けCDとして販売されています)


|柿の枝に吊すCD烏除け 六面体の光で去なす(いなす)


> ふふふ、見よ、烏除けのCDを六枚組み合わせて、輝く六面体オブジェだ
> さらに、くるくる廻るように、ハネになる七色の尻尾を追加した
> どうだ、これで烏どもも驚いて、柿よりも気になって蛇に睨まれた蛙になるに違いない‥

4

令和3'11'27
静岡市・しおん短歌会
|秋ふかみ露ひかる庭におくれ咲く藍の絞りの朝顔一花

※ツッコミ処満載かと思いきや、ググってみると‥
絞り咲きあさがお、開花期:7月〜9月とあった‥(痛ァアアアア‥)
(どうも失礼しましたん‥orz)


|庭さやか絞り朝顔遅れ映ゆ 露纏いしは夏惜しみてか


> 遅めに蒔いた絞り咲き朝顔が、今朝に咲いていた
> 纏っていた露が、夏を惜しんでいるかのように思えたよ
> 時節の空気が爽やかになるまで朝顔を楽しもうだなんて、こちらの我が儘だったかもなあ

5

令和3'11'27
静岡市・しおん短歌会
|黄金なす棚田の稲は穂を垂れて能登の荒波白波の立つ


|黄金なす棚田の稲穂能登の波 白波までが喝采よせむ


> ‥オーナー会員になって、能登の棚田での稲作に参加すること
> 実際に現場に立って、秋を迎えてみると、黄金の波ばかりでなく
> 黄金なす実りを讃えているような能登の白波が、また一段とうれしくあり
> また頑張ろうって気持ちになったなあ

6

令和3'11'27
静岡市・しおん短歌会
|あの時はコスモスいっぱい揺れていてゆけどもゆけどもコスモスの波


|秋桜見渡す限り揺るる原 ゆけどもピンクゆけどもにこり


> 「秋桜」という和名の真意は、昔ながらの風景を見ないと分からない

> それはもう、野原一杯の見渡す限りに揺れていたという事さね
> それはもう、何処まで続いているのかと駆け出そうなら、数え覚えてなんていられないぐらいで
> それはもう、何処までも続き咲く秋桜のピンクがうれしそうに咲いていたさ
> それがどうにも、時節が過ぎればパッとすっかりに居なくなるんだ‥

> その残念さを喩えるなら、どうしたって桜になる、それが秋桜という意味なんだよ

 (ああ、もう一度あの頃の咲きっぷりの様を追いかけて味わいたいねぇ)

7



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



posted by 木田舎滝ゆる里 at 00:00 | Comment(0) | 名句にポン/2021中途から不定期分 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。