2022年01月29日

【創造観】絶望と虚ろと三択ぐらい

↓5)記稿.2022/01/29

> 人生は勉強や修行の場などでは無い、戦場だ
> 戦場を天国だと思えるような輩共らは、たいてい嘘つきだ
> (嘘つきから学ぶことの方が多かったりする‥どうにも屈辱たる構造だ)


 ‥宇宙が生命そのもの(知的生命群)だとして
 何をどう考えた末に、人類とやらにこだわりを見出したのかは謎だが
 私たちの棲む宇宙は、斯様なスタイルの上にある


 ‥その人類たる群像の特徴は
 野蛮たる刹那な性質に名残惜しさを見せつつも
 文化的な社会構成を好むと好まざると必要とする処にある

 そしてそれゆえに、長やトップが誰かを要求する

 決定権の用は、とてもデリケートな問題だ
 そしてそれは、自分が席に着きたい者と人任せな者とを二分する


> 私たち人類の主たる課題点とは
> 決定権の席に着いた側が、かならずしも善意とは限らない‥にもかかわらず
> 善意前提にあると思い込んでいる民衆が多すぎる事にある
> むしろそれを盾に、下から目線で、野次と不幸を楽しんでいるかのようでもある


 ‥決定権の席に着きたい側は、ぶっちゃけ欲の塊だ

 ならば、他者からの押しつけが大嫌いの果てにあるのだろう
 ならば、誰しもが馬鹿の付く負けず嫌いだ
 馬鹿の付くほどの負けず嫌いは、追い詰められる程に潔くなんかない

 ならば、あの手この手のインチキを繰り出すようになったなら、それら全ては敗北宣言でもある

 だがしかし、その席に着きたい連中は、おおざっぱに手を組む形式を厭わない
 (つまり、なんちゃっての席(傀儡&代官&ポチ)でも良いのである)


> このような心理群をもう少し噛み砕いて、物語づくりに置き換えて例えてみよう



1-5)1

> 貴方が物語の創造主(作家)だとして、どのような物語を作るにせよ
> それが人間を取り扱うという点において、人間の扱い方に注目せざるを得ない


 ‥仮に、貴方が善意を創造表現したい作家だとしよう

 だが、善意を表現したいと思った途端からして
 貴方は、まず優先的に不幸を創造せざるを得ないのだ

 不幸とした表現がしっくり来ないなら、困り事と言い換えても良い
 困り事を慈善的に解決してゆく姿こそ善意だ‥そうに思っていればそういう形になる

 それがヒトの暮らしの当たり前だからという事なら、それはそのように思考が固定されて
 思考停止のままに、困り事の発生そのものには無頓着だろう

 (そして、連載を続ければ続けるほどに、困り事の永続的創造をやらかさざるを得ないのだ)


> その多くの困り事を、貴方自身が必要として創造するからこそ在るというだけのことなのに‥
> 少なくともそれを作家や鑑賞者として楽しもうというのである(サドだよね)


 ‥それら解決の過程までをドラマとして賛美しようと
 あなたは困り事を優先的に創造せざるを得ないのだ
 そのスタイルのどこに善意があるというのだろうか?
 どうみたって、悪意含みなのである


 ‥これは、不思議と、逆から攻めても同じことになる
 悪意を行使してやろうとして、考えつく限りのミステリー沙汰を思いついたとしても
 それを解き明かしてくれる存在を用意しないのでは、物語として進まない(マゾだよね)


> 貴方は物語を介して、恐怖のどん底とやらを表現するはずだったのに
> 解決たる光明をも併せて創造せざるを得ないのだ(じゃないと読者も味方も付いてこない)



1-5)2

> さて、優秀さとは何だろうか?


 ‥其を一般的には、問題解決能力としている
 だがしかし、事が起こってから解決策を考えるレベルでは、まだまだ無能である

 本当に有能たる本物とは、起こり得る問題沙汰を先に予想する
 その予想に対して先手を取るとした姿勢にこそ在るのだ

 (だがしかし、ここに多くの欲望が渦巻く)


> その時、貴方が予想した問題沙汰とはなんだろうか?
> 一般にそれは、やってはいけないルールの掟破りとした手法の発見だったりだろう


 ‥あなたは、まずそのアイデアを売ろうとするかも知れない
 だが発案者を差し置いて買い取りたくも、もしかしたら裏を掻かれかねないのだ
 そういう事に長けていればいるほどに、協力関係こそを重視するのが商売の心得でもある

 (まぁ作家なら、それらはネタにすぎないだけだけど)


 ‥そんなこんなで、手を組んで組織だってやらかす流れともなれば
 マッチポンプ、自作自演、出来レースなどと表現されるそれらが起こる事にもなる

 (例えば、ゆたぽんが、みんなを元気づける旅をどうのこうのとカンパしてと言っている‥)
 (何言ってんだよ、お前が、サクッとおいしい思いをしたいだけだろう‥)
 (そこを覆せるだけの元気の源泉(カリスマ)たるのかというと、そうでもないとした自覚が無い)
 (‥思い込み甚だしきにも自信過剰、仕組みへの依存性に思われる)


 ‥だからこそ、バレなければ犯罪には成らない‥とした誘惑に負ける者らが多いともなれば
 善意たる優秀など成り立って行かないのである
 善意たる優秀など成り立って行かないのである

 (ズルして儲けるとした手法の発見は、そりゃ誘惑されるに違いない‥)
 (本来は先回り思考なんだから、対策案を考えないとダメなのに、手前で思考停止だ)


 ‥貴方がそれらの誘惑に打ち勝てる逸材に無いのなら
 もしくは、その悪意を行使できるコネが無いのなら、その手のアイデアなんぞ湧くものケ
 (カネだって集まるわけがないん)



1-5)3

> これらをもっと単純化したのが、戦闘能力だ
> 考えることなく、貴方が誰よりも戦闘に長けて強いのなら、貴方はその力をどう使うだろうか?


 ‥自ら世界の保護者ヅラして、用心棒代を要求するのがオチなら
 貴方には始めから善意の探求などと言う高邁な文化意識などカラッポだった

 (役人勤めなんか、下手こくと直ぐにコレッ)

 それがどのように機能していくかは別の話だが
 ここでは単純に、ズルして儲かるアイデアを思いついたなら
 思いつくままに実践しちゃう方向での性格を抱え持っているという事だ

 (政痴屋なんか特にコレ‥)


> さて、あなたは何にどうそそられて思いつくままに実践し出そうというのだろうか?


 ‥良い暮らしができそうだから
 ‥生活費の足しに丁度良さげだったから
 ‥他者からの評価(チヤホヤ)を得られるチャンスそうだから
 ‥暇つぶしに丁度良さげだったから
 ‥自らの使命のような気がしたから
 ‥前々からその椅子に座りたかったから


 ‥挙げていけば切りが無いわけだが
 だがしかし、それらの理由は総じて、自らのしでかす結果についてはスルーしている
 動機に下心を含もうと含まざると、結果がどうなるかなんて誰も予想しちゃいない

 それこそ、どうにかなるだろうぐらいのやっつけだ

 困ったことがあったら、誰かに相談すれば良いし
 誰かが何とかしてくれるに違いないというノリでしかない(無能たる発想だ)

 だが、不思議なことに事が進んで順調さを見せ、ヒトのいい顔ができる立場を得ると
 その後で不名誉なことに巻き込まれてしまったなら、しまったで、相談できないタイプの方が多い

 (それこそ、自らのしでかす結果について、事前からスルーしてきた型のままにハマるのだ)


> そして不思議にもこうも思っている
> ‥自分ならどうにかできるはずである‥もしくは、自分で何とかしてこそだろう‥


 ‥そんなのは、善人きどりの戯言だ、正直の欠片もなし
 (貴方のキャパをすでに超えてしまったという事態を理解しようとしないクズまるだしである)
 (それに気がつかないこと自体が恥なのに、そこに注目できないという残念、まさに亡者だった)



1-5)4

> すべてを読み切れていないなら
> 私たちは、すべてにおいて、困り事しか創造できちゃいない(それこそが現実だ)


 ‥ことある毎に助っ人を望みつつ、頼みつつ
 そんな人生の繰り返しで良いと思っているだけのクズの集団だ

 ‥それでいて、アレは良いアレはダメなどと
 分かったような口を叩くどうしようもないアンポンタンだ

 ‥その程度のどんぐりの背比べでしかないくせに
 均等に分け合うことのできないガラクタ根性丸出しだ
 自分の方が優秀だからと鼻に掛けては、独り占めすることしか頭にない鬼畜生だ

 (結果、逆恨みを撒き散らし、社会的な臨界点に達するまで気がつくことのできないお花畑だ)


> これぞ、なんという絶望だろうや!!!



1-5)5

> 競争社会だから、勝ちに行くのは当たり前ッ‥
> 競争社会だから、勝ちに行くのは当たり前ッ‥
> 競争社会だから、勝ちに行くのは当たり前ッ‥


 ‥いつの間にやら、その手の呪文を脳内で繰り返す時代に成り下がった
 必要があれば、笑顔で手を取り合い、テーブルの下では足で蹴り合っている

 そういう阿吽に満ちた社会で頑張らざるを得ない時代に成ったのに

 なにかこう、周りは不思議と自分が勝てるという自信に満ちているという摩訶不思議ッ

 (いやいやいや、そんな自信なんざ1ミリも湧いてこねぇよ)


> 一番のお楽しみは、ぼっちに日向ぼっこだから
> (ヒトとの付き合いなんか恐ろしくてできん)
> (おごって貰うばかりとか、クソ恥なんで好かん、むしろ侮辱行為だ)


 ‥組織で頑張るなんて行為は
 いつでも下っ端で、馬鹿にされて、煙たがられてそれっきり
 その手のポジション有りまくりで、どこで頑張ろうってモチベーションが湧くんだよ

 (やる気を奪い合っている事に平然とした社会に、1ミリも興味が湧いてこない)


> この手の感覚の持ち主を
> 容赦なく「くだらない奴」として置き去りにしていく社会性に‥すら賛同があるという謎!!!


 (まぁ‥こちらとて、尽きたら死ぬだけだからねぇ)
 (それが多少早まろうと遅くなろうと、大した差ではない)


> 自分が創り出した何かが、ゴミになるという事すらヤダっぴ
> ゴミにされずに済みそうなモノができて、始めて勝負に出ようかなぁぐらい‥
> (ゴミファイル送りになるような記事書いてるようじゃ、まだまだだから)


 「‥生産性概念など、我が人生に得じ」



posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:51 | Comment(0) | 日記/2022 | 更新情報をチェックする
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