2022年02月14日

【ツッコミ隊】決定版!二択の道徳観

↓2)記稿.2022/02/14

> 化石燃料経済という列車が猛スピードで走っている未来の先に
> 1%の世界層を生かす分岐と
> 99%の庶民を生かす分岐とがあります
> 貴方は、どちらに分岐を切り替えますか?


 ‥1%の世界層とは
 旧来の王族・貴族(大商人)は、世界中で婚姻により結びつきを押し進め
 今や親戚ぐるみであるのが実情です
 ‥その世界層には、戦争をやらかしたい武闘派勢力と旧来通りに支配を保持したい穏健派勢力と
 庶民から愛されたいと願うばかりのお花畑勢力とした対立に見舞われています
 (いつの世でも、貴族の間には権力闘争が絶えないと言うことです)

 ‥そんな世界層では、発行権とした権利をかざして投資の行方に慎重な勢力が台頭しています
 ですが、彼らのやり方は強引で庶民を縛り付けるのが大好きなサド資本主義なので
 どうにもこうにも未来に陰りが見えてしまっています


 ‥エネルギー問題もそうですが、地球環境の劣化もそうですが
 切り替えたくても、庶民に事細かな実情など恥ずかしくて晒せないので
 どや顔&クールに事を進めたいのも貴族ながらの性格なので、どうにもグデグデです
 (殿様を戴かなくても、エリートとした立場から恥を掻きたくないとした組織の空気そのものです)

 その点においては、どの派閥も、どのエリートとて、どんぐりの背比べで意見が一致します

 (ですが、数の正義としたデモクラシー倫理で語るなら、糞貴族構造こそが滅びるべきでしょう)
 (勿論、世界層には天皇家も含まれます)
 (それはそのままに、宗教観無き世界とした展望なのかも知れませんね)



1-2)1

> とあるオーナ陣が、とある経営者に「慈善活動をせよ」と発破を掛けました
> 慈善活動の中身については、とくに注文も無く一任されています
> 社長は渋々と‥この話を幹部会議に持ちかけることにしました

 (社長は、まず、オーナーからの打診を伏せてこう述べました)

> 「当社の稼ぎを社員に振り分けるべきか、社会的責任から慈善活動に振り分けるべきか
> という選択についてどう思うか?」
> 貴方なら、社長からの問いにどう答えますか?


 ‥幹部の一人が口火を切ってこう問いました
 慈善活動と言っても幅が広すぎます
 その活動に我が社としてのメリットが無いのでは、他の社員に示しが付きません

 ‥別の幹部が続けて述べました
 我が社の精神を示せる事柄に無いなら、誰も付いてこないでしょう
 精精、被災時や被災地への支援について検討するぐらいが社内感情として妥当な範囲に思います

 ‥また別の幹部が述べました
 幸いにも我が社の経営は、現在軌道に乗っていますが、このままずっと右肩上がりとは限りません
 その時の足場づくりとしたさわり程度が適当かと存じます


 ‥それら意見を尻目に、辛辣な声が挙がりました
 何を仰っているんですか皆さん、慈善活動なんて所詮、自己満足の道楽ですよ
 深刻な顔をしてまでこちらで命令することでもなく
 定期的に社内募集した事柄をやり続ければ良いじゃないですか?
 その内に、ツテができて、花開く案件もあるでしょう
 そういう社風からの繋がりは、どこであっても普通ですよ

 ‥その言葉に、相づちする意見が飛びました
 なるほど、担当を決めなければならないとした角度から考えると
 社内募集で採用した案の発案者に任せてしまうのが適当というわけですか‥
 我々が担当しなければならないというのも、チャンスの阻害に見えてしまい、憚れますからなあ


> 社長は、幹部らのそれら意見を聞いて内心でこう思いました
> (ダメじゃんこいつら‥慈善活動に対する熱意というか感度が低すぎる‥かくいう儂もだけど)
> そこで社長が種を明かしたところ、幹部の態度が豹変しました


 ‥とある幹部がこう述べました
 オーナーからの慈善活動内容に具体的な注文が無い以上
 私たちにも何らかのメリットがあるべきでしょう

 ‥それに続いて別の幹部が述べました
 そうですね、具体的な注文が無いという意味からして、投資と位置づけるのが基本でしょう
 慈善活動と言えども、私たちへの配分を減らしてまでやれというのであれば
 そう考えるべきが流れに思います


> その手の論は、その場において多数決を得ました(さすが椅子取り世界観)
> さて、貴方なら、どのような形での慈善投資を考えますか?



1-2)2

> 民間企業でさえこの程度なら、民主政治でもその程度でしょう(それが現実です)
> 私たちの大半は、自分たちにもメリットを保てるようにしか投資を考えられない愚鈍の衆群です
> そしてそれは、貴族派閥においても同根なのでーす


 ‥そこで問われるべきは
 道徳観と慈善観は、まったく別々の性格に在ったのではないのか?

 個人的に正しく理解する方向だったのが、道徳とした適応範囲であって
 慈善としたそれは、それこそ組織とした前提で問われるべき道徳観だった‥


 ‥道徳とした考え方は、真っ黒な社会に居たってそれなりに思い当たるし育つでしょう
 (卑怯な奴が大っ嫌いに育つのに環境なんかとくに関係ねぇし‥リヴァイ兵長とか‥)

 だがしかし、慈善とした考え方や行いは
 それこそ、それの熱意を抱いたリーダー格を抱いてでしか味わえない視界なのでーす
 (心臓を捧げよとか‥)


> つまり、道徳教育を通して育みたいそれとは
> 善悪の判断を問うことではなく、慈善的な熱意を抱くリーダーづくりと参加意欲だった


 ‥だがしかし、戦士は決して慈善活動家などでは無いでしょう
 彼らの多くとて、その命を報われたいと願っています
 (そういう意味において、慈善を無償と括るのはどうかと思う次第でーす)

 ‥だがしかし、困らない人が居なくなるとした世界創出に用があるとも思えない
 ‥だがしかし、用を感じない鈍感ばかりの世界に用なんてないのが道徳観の本音かと
 (そういう意味において、慈善活動本願はやはりどこか変わり者という事でしょう)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:19 | Comment(0) | 日記/2022 | 更新情報をチェックする
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