2022年02月26日

【是論】脱資本主義&脱貸付発行とした‥案概要

↓6)記稿.2022/02/26

 ‥第2次大戦後の世界に
 ‥つまり20世紀に人類は、石油化学に酔っ払った経済競争に明け暮れた
 ‥米ドル石油兌換時代とした幕開けは、環境破壊を無視して進んでいった

 結果として、そこには、自由に対する考え方も、平等に対する考え方も稚拙のままに
 今現在のコロナ禍に追いやられ、ようやくにして、暮らし向きの人権に感心を示すに及んでいる
 (だが、まだまだ足りていない)


> 資本の貸し出し方式のそもそもは‥オーナー権限とした洗脳だった
> オーナー側は、お約束のようにマージン確保を要求するばかりで
> オーナー権限のみを人権だと傲りきっているかのようだった(まさに資本主義)


 ‥愚かな人類は、それの芝居態度を見破れず、ただただ上っ面だけの椅子に憧れた
 ‥そして、こう思うに至った
 マージン設定こそは経営の自由たる要にあると(価格決定権、経営方針、社是)


 ‥だが、今や、自由に競争をし続けても幸福の創造とは云えず
 むしろ、誰しもがこう思い始めている‥「まずは最低限度の暮らしを保障しろ」

 だが、誰も話し合いにおいて譲ろうとはしない
 最低限度とした枠組などまるで無いかのように、歩調を合わせる事ができないでいる

 (そもそも通貨価値が国毎に異なるという中身からして、其は険しい)
 (世界中でベーシックインカムをやる場合、国毎に規模が異なると‥)


> 移民することに躊躇なきお国柄から、国の中身が空っぽになりそうな話にも聞こえてくる
> だから次のように考えざるを得なくなる


 通貨価値は同じ、ベーシックインカムで配られる価値も同じ(同じにリセット)
 だが、物価に乗せられるマージン制限が各国で異なる(世界規模での協定)

 (ここでは、得手不得手とした細かくは考えない)

 まず、マージンを高く設定できる国の方が、より自由に販売できそうなにおいを残せる

 (但し、マージン判断基準を、現地扱いとし、販売拠点基準に扱わない)

 ‥ネット上からなら、同じ販売拠点としたWEB閲覧なのに
 配送国が違うというだけで、マージン設定の上限が変わり、価格が違ってくる
 (これはこれで、為替とは又違ってくるので慣れが必要だ)
 (これだと‥販売側としては、似通った上限地域以外を扱わないとしたサービスになりかねない)


 ‥そこでやや柔軟に、マージンを高く設定できる為の条件をさらに追加できるようにしよう
 それは、雇用枠(雇用規模)によっても、その上限が可変するとした容認だ

 (すると、拠点をそれぞれに設け、そこでの雇用枠を調整して、マージンを同じに調整する)
 (などとしたスタイルに出来得、販売上の不都合を減らせるかもしれない‥)

 (又こうすることで、ロボット等の導入加減に工夫の余地が発生する)
 (一律に雇用すれば良いという話でも、ロボット一択にすれば良いという話でもない)
 (そもそも車の代わりにロボットがありふれても、資源リサイクルでき兼ねる車と同じでは無味)


> 多くを雇用するなら、マージンを上げずにはやっていけないのが当然の解釈だ
> なのに、市場が価格を決するとばかりに、薄利多売競争に真っ直ぐでは、格差しか生み出さない
> (まぁ必ずしも黒字を得られる辻褄には成り得ないので、誰も口にしないけど‥)



1-6)1

> 売上−準備予算=黒字or赤字(黒字差分以外は、年度締めで切り替え時に消去される)


 (準備予算から使った分からとするか否かはここでは考えない)
 (競争なので、必要以上に雇い込んでおいて、使い切らないのでは卑怯でもある)
 (その点の調整では揉めるだろうし、国毎に解釈が異なるに違いない)


 ‥基本ルールとして、準備予算とした発行概念を用いる
 是は貸し出し発行とは違い、無償ではあるが、お金としての概念がまるで違う

 準備予算を元に年度活動を行い
 売上から準備予算を引いた黒字分だけを手にできるとした方式だ

 (是の金額は、労働者一人に割り当て額があり、それを持ち寄って年度経営予算とする)
 (毎年にそれを繰り返すと発行過多に陥るので、売上と相殺する方式だ)
 (手元に有った売上数値が、期日をまたぐと黒字分以外が消えるわけだが)
 (繰り返すのだから、予算として復活する点が、従来の感覚とはまるで違う)


 ‥赤字によるペナルティは特に設けない
 (無理に押し付けても公としての役得にならない‥そもそもに競争力がないわけですし‥)
 (公のパシリ扱いを何年積んだって、全体として良い流れになんかなるわけがない)

 (強いてあげれば、次年度予算から赤字分を解消させる用が発生するので)
 (ぼちぼちの赤字ならまだしも、大幅な赤字に陥ると回復の余地が乏しくなる)
 (まぁそれだけでもベナルティ状態なので、ベナルティを設ける意味が無い)
 (ぶっちゃけ、そんときゃ一年間の休業要請状態にハマるも同然だろうしな)


 ‥このような帳簿計算を用いることで
 ベーシックインカムで増えていくだろう金額は、一気に微々たる様相に成り替わる

 (だが是の方式での給与払いは年給制だ、且つ赤字なら平たく支給されることが無い)
 (つまり、ベーシックインカムだけでは不足するとした見方が概ねとなる)


> そこで、別の枠組を設ける用がある
> 目的はあくまで、経済競争の難度を下げて、モチベーションを上げることだ



1-6)2

> そもそも、貸し付け発行を廃して
> 経営予算発行とベーシックインカム(インストール発行)に移行すると
> 公務予算の確保も同様に雇用枠で調整するのが流れになる


 ‥その時、売上とした概念を廃して、非営利にあるのが公務とした位置づけなら
 公務員賞与はどこから湧いてくれば良いのか?‥とした不慣れな感触だけが残る‥

 従来通りに税制で賄うとしても、赤字の横並びが現実なら、法人税も糞も無い
 まして個人配分からの吸い上げも無理ともなれば、税制とて崩壊せざるを得ない

 (そもそも勝ち組から搾る発想は、あとから支援を約束しているような内訳で糞構造だ)
 (だからといって、椅子に値段を一律に付するようなシステムでは怪しいままだ)


> ならばまず、労働を選択する者とそうでない者との差とした‥何らかの枠が求められる
> そこでまず、個々が予算を持ち寄るのだから
> それに自分用とした経費枠を設けるのが最もだ(得枠)


 ‥それをさらに拡大解釈したのが、自分への投資枠とした内訳だ(つまり個人消費だ)


> まぁ早い話が、労働者には、後払い感覚でのセカンドインカム枠が用意されるとした印象だ
> まぁ早い話が、労働者には、後払い感覚でのセカンドインカム枠が用意されるとした印象だ


 ‥それにしたって、雇用形態によっては、容認できる雇用とそうでない雇用とした内訳が発生する
 (但し、この手の可判定を厳密に行おうとすると差別になりかねない、なので、大ざっぱで良い)

 この手の曖昧さを回避するのに金額差を設けようとすると
 何かと労働時間とした厳密審査をやらなければならないハメに陥る

 だが、税金を減らす為の正しい申告とは違い
 逆に、お金をより多く貰えるとした申告に、誰が嘘を付かないと言い切れるだろうか?


> この悩ましさを事前に回避するには、別のお得感の差を設けるのが手っ取り早い
> それが年賦での分割払いの適応不適応とした資格っぽい概念になる


 ‥一年を通して、概ね労働に従事するスタイルなら
 ほとんどのモノやサービスを年賦払いで買うことができる
 (それが、後払い枠&黒字枠からのお金からという内訳だ)

 そうで無い場合は、その手の年賦分割を部分的に取り扱えないとしたルールとなる
 但し、是にランク差を設けるのは、概ね経営側任せとなる
 (まぁ単純に、家屋の購入に差はでるべきだろうし、環境保護とした観点からもそれはあるべきだ)

 (行政がすべき事は、それの判定を可能とすべき検索システムの確保だ)
 (ザックリと、ベーシックインカムをインストールするカードで確認できるのが手っ取り早い)


 ‥例えば、見なし労働時間換算で考えるなら
 半年以上ほぼ一年に該当するなら、支払い可能額にて年賦分割払いに制限なく開始可能としよう
 だが、年賦の支払い途中からそうでなくなる場合も想定できる
 (なので、そうでなくなった場合を考慮すれば、この場合の後払いから枠は予算発行とは異なり)
 (残金の保持を可能とし、年賦分割払いでの支払いの継続を可能にすべきになる)

 ※年賦分割払いに金利とした概念を用いない、代わりに一定の手数料を求めて良いとする
 通常の前払いに該当するベーシックインカムでの年賦払いは一切不可


> 是のそもそもは、黒字枠配分金からのみしか購入できないとするルールを前提とした調整だ
> そうして置かないと、資源の奪い合いになりかねず、収拾が付かなくなる


 ‥つまり是は、金額は同じでも、適応するお金が違うとしたルールの導入だ
 そして、帳簿計算時に、それらお金の違いを分けずに同じにして売上計上とする
 すると、黒字とした蓄えにおいて、消費利用できるのは一回限りになる

 この一回限りというのが新概念で、分配や譲渡を可能としたとて
 それは使用前の話でしかなく、使ってしまえば、そこにはお金としての再利用概念が存在しない

 再利用概念を無効化する変わりに、年度締めで復活する枠組を代替としている
 (黒字を得るチャンスを等しくするので、人気を博し続けられるか否かは別のお話だ)


 ‥労働に参加する者としない者と、まったく同じで良いわけも無く
 黒字を得た経営と赤字のままの経営とで同じに資源&資材を購入できるというのも怪しい
 そこには、明らかに競争としたモチベーションとしての優勢観を発生させ得るべき端境が在る

 (相場変動の行きすぎもまどろっこしいのだから、優先順位をどこに置くかとした視点でもある)
 (黒字から得られた上がりが一番に強いのであって、予算発行は二の次になる)
 (セカンドインカムの方がベーシックインカムより客優先度を上位とする見立て観である)

 (上位と云っても、医療トリアージのような効果は無い、あくまでサービス側判断の基準想定だ)
 (ヒトや暮らしの流れを押しのけて良いほどの上位観を推奨しようという論ではない)
 (一見さんお断りに近い由を先に断っておけば、書き入れ時のトラブルを減らせるみたいな‥)

 (どうせ、この案では、誰もが‥労働に従事した方がお得に思うわけですし‥)
 (だからといって、就きたい仕事に就けるか否かは別のお話でもある‥)
 (まぁ予算確保目当てで、誘われないという事だけは無くなるでしょうけどね)


 ‥このように分けて考えることで
 年度赤字からは、そもそもの賞与が発生しないとした自覚を形成でき(代用がセカンドインカム)
 且つ、公務は競争とは異なり、平等こそを信条にすべきとした概念に戻すことが適うだろう

 (見方を変えれば、赤字でもやりたいことをできているなら、公務と同等の扱いに見えよう‥)
 (未熟者スタートでも、無理なく計画的に貢献路線を思い描けるに違いない)
 (人気を博するか否かは別問題だけどね)


> 基本で、税申告とした形式が労働証明申告とした形式に変わる事になる
> 労働証明申告をしないと、次年度にセカンドインカムを手にできない(概ね形式的)



1-6)3

> では、公務での椅子の値段はどうする?
> だが、民間でさえ必ずしも黒字とは限らない


 ‥方針の決定権とした立場そのものを報酬として考えるべきが適当であり
 (発動したければ、積極的に自分から提案をして、けしかけるべきが椅子云々だ)
 それ以外のメリットを与えてもそれほどの意味は無いと考えるべきところだ

 それ以上に報酬が欲しいなら、市場で人気を博せば良い(勝たせることができてこそ優が付く)

 ‥それはつまり、公務職の場合には
 民間競争での負け組に発破を掛けてその気にさせたりして
 結果が良好なら、感謝されて、どや顔できるような流れだろう
 (そういう意味での椅子の安泰を図るのが筋であって、賞与に換算するばかりは勘違いなだけだ)

 (結果を出していないのに、どうして公務員賞与額だけがお約束で安定的なんだ?)
 (試験に受かった、選挙で勝っただけの椅子なら尚更に、そんなに価値が在る段階ではない)


 ‥だが、公務員希望は、安定重視なのだから
 後払いでのセカンドインカムを得られるのであれば、もはや公務職で無くても同じだろう
 公職を希望するか否かは、従来のそれとはまるで異なって来るはずだ



1-6)4

> 椅子をヒエラルキーの構造に置き換えてきたのが資本主義だ
> そこで叫ばれてきた民主化にせよ、立候補するにも資本次第とした構造だった
> 且つ、椅子を派閥競争にしむけられ、且つ、裏で買収され手玉に取られては何の意味もない


 ‥民主社会に、ヒエラルキーとした概念を優先すべきではない
 (どうしてそこに気がつかないかとした感度の悪さを自覚できていないのが現状だ)
 (脳内で勝手にランキングしてしまう輩の集まりだからまぁそれが空気なのだろう)


 ‥繰り返す、民主社会に、ヒエラルキーとした概念を優先すべきではない
 そうでないから、貴族化し果て、格差社会が再構築されるに至った

 (法の精神も三権分立もなんの効果もない‥そもそもがやはり不徳な輸入概念でしかなかった)
 (欺くのを十八番とした西洋文化のなんとやらだった)
 (発行権には、一切触れずに教育したつもりのなんちゃってだった)


 ‥ならば、それら長とした椅子に
 積極的な価値付け(給与差)とした値段で以て、立場を演出すべきではない
 でなければ、民主社会などいつでもミイラと化するばかりだ


> それでも、オーナー概念を下地にして、改善せざるを得ず
> 「予算を造り出していたのは誰か?」とした疑問はヒントでもあった


 ‥すべてが発行権に尽きるのであれば
 政府や親会社もしくは経営陣に予算を一手に握らせるのではなく
 部署毎に参加する者同士で出し合うとする形式に改めるべきに成る

 (但し、経営予算の出入りは一般公開制であるべきだ)
 (それも、誰もが比較グラフ化できて一覧できるようでないとダメだ)
 (そうしないと、こそっとした身勝手をあちこちでやらかすに違いない‥)

 (身勝手な使い込み防止を兼ねた緊張感を与え合うのも又民主社会である)
 (其を自由権云々言い合うようではまだまだで、個人消費の内訳がせいぜいの境だろう)


 ‥部署毎というのは、細かすぎるにせよ、自らが資本参加しているとした感触が欠かせないのだ
 それこそが市民権もとい、労働参加とした公平たる形だろう

 雇用にしても、資本主義型のように、早々に切り捨てることをしていては
 是のルールでは、予算の拡大には結びつかない

 (どうせ、誰だって、折角の黒字分から食い潰そうなんて考えるわけがないのだから)
 (どうせ、先方に負担させるのが頭脳だとか思い込んできた世界なんだからな)
 (つまり、自社で首切りをせずとも、下に押し付けてきて安穏と善を気取ってきた社会群だった)
 (もっとも味方を守るのが第一だから、誰もツッコまないわけだけど)


> 必然的に雇用を大事にせざるを得ない形式にこそ意味があるのであって
> それこそが、法治国家とした建前となる


 (誰かの人の良さを‥どんぶり勘定にも当てにした所で何も変わらない)
 (それこそ、思い込みの自己催眠政痴だった)

 (いい人がいれば良いなぁとした期待など、糞認知でしかないのだった)
 (だからこそ、まずはてめえで立つしかねぇというか手掛けられる公平な仕組みであるべきだった)
 (それでさえ、人気を博するか否かは別問題)
 (だからこその公平たる競争概要が求められた、それこそが民主社会のスタートにあるべきだった)


> 人気を博するか否かに社会保障なんかねぇ
> 暮らしの保障は構築できても、自分を推し上げる為の保障なんかねぇ
> そこの所がごちゃごちゃにも、人類全体でどんぶり勘定だった
> (お互いに‥人気者になれるって自信が、一体全体何者だったかをよくよく考えるべし)



1-6)5

> 富裕層と貧困層の大きな違いを理解しているだろうか?
> それは、幼少の頃からお金を動かすとした環境に身を置いて考えていたかどうかだ


 つまり、企業参加してみた所で、お財布を握られてて(金融操作)
 自由になるお金が無いなら、知見からして遅れると言うことだ(操作から暗黙の了解に移行する)

 又、知的財産権とした概要にしても
 権利を買い上げることを意図しただけの‥どうにも勘違いなあさってとした保障の方向だ
 (権利すら売ることができるとした概要は、奴隷売買と変わらない)


 ‥本来的には、誰々発のノウハウだとした見方が常に正しく通る方が心地よい
 だが、お互いにそのような認知に乏しいがゆえに(好奇心の限界、思い込み優先)
 ○○賞とした名声枠が求められる形になっている

 そして、それら○○賞とした催しが通例化することで、誰しもが勘違いを始め出す

 そのような催しなどせずとも、風の噂としたランク付けは自然発生してしまうわけであり
 名声が発生することで、かつては仕事に困らないとした流れを得ていた

 それを知的財産権とした置き換えを始めだしたがゆえに
 無駄に技術開発を貪るばかりとなり、結局は、世に打ち出せない不都合ばかりの山でしかない

 (品評会の度に期待を浴びる程度で、技術を売りたいのか名を売りたいのか、どうにも謎オチだ)
 (能力主義も成果主義も競争だった意味もまるで不明たるオチがそれだ)


> 知的財産権とした裏側には
> 現在進行形での商いを空白にしてしまう効果が付きまとう


 ならば、無駄に技術開発をしてみた所で、商用に載せることままならず
 只只毎年に、登録料払いの鴨になっているのが実際だ

 (毎年に登録料を支払わされた挙げ句に、敵に認知され、開発になると資本で邪魔されるのだ)
 (お互いにそれの繰り返しに何の意味もない)

 (お互いに無償公開してあれば、ハッキングで脅される被害も無く、その手の恥も発生しない)

 (圧倒的に兵器能力に繋がってしまう技術なら、公表してしまうことからして罪悪だ)
 (そのような心の感度すら朧気に成るように仕向けられてあるのも又、知的財産権とした性質だ)


> 自分・自分らへの富の吸い上げを願って望むにせよ、どう見たって平和主義には見えてこない
> そもそも研究開発費が膨大になるからそうに望むのであって
> 始めから公平に互いが毎年に予算を手にできる様式なら、知的財産権とした保障など不要だ


 ‥正しく平和の為の道理を通せば、自然と予算は集まってくる
 (そうでないならヒトとして文化として死にゆくばかりだろう)



1-6)6

> 細かくツッコむと


 ‥カネは集められても、ヒトまで集まるとは限らない
 ヒトが集まるには、やはりそれなりの勢いとした流れが求められてくる

 ‥つまり、宣伝上手な組織が世の中に蔓延りやすかったとのオチがそこにある
 だが、宣伝上手は、付き合い上手なだけに、中抜き横流し上手でもあった
 最終的には、最後の最後でひっくり返されて元の木阿弥にだってなりかねない


> 自由競争なんて、その程度の薄汚い世界観でしか無いのに、お前ら自信過剰すぎんだよ
> どこかで疲れ果ててるから、制度に丸投げしやすい体質でもあったと‥
> さらに、制度の是非まで丸投げで、憶測のくせに大丈夫などと‥乗ることしか頭にねぇ‥


 (まったくの戦場を、遊園地だと錯誤できる才覚がうらやましいz)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:58 | Comment(0) | 科特隊どころか無理だからウルトラ経済大作戦 | 更新情報をチェックする
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