2022年05月14日

【是論】{保守VSリベラル}={民族経済VSグローバル経済}

↓2)記稿.2022/05/14

> 保守主義

保守(ほしゅ)または保守主義(ほしゅしゅぎ、英: conservatism)とは、従来からの伝統・習慣・制度・考え方を維持し、社会的や政治的な改革・革命・革新に反対する思想のこと。 過激な傾向を拒否し、穏健な立場を奉ずる人物・勢力・政党は保守主義者(英: conservative)と呼ぶ。


> リベラル

リベラル(英: liberal)は、「自由な」「自由主義の」「自由主義者」などを意味する英語で、政治思想の分野では主に以下の2つの意味で使用されている。 政治的に穏健な革新をめざす立場。 1930年代以降のアメリカ合衆国から広がった用法で、社会的公正や多様性を重視する自由主義。 社会自由主義とも。


> ‥まぁ早い話が
> これからも先、民族や地域とした特徴を優先させますか?
> それとも、地球化視点として何でもかんでも同色にしますか?‥とした利権やら派閥での争いだ


 ‥まずこれを、投資家視点で見ると、地球規模視点とした都合を唱え出す
 エネルギーと生産性とした課題は、とくにそれで
 地域色なんかある程度どうでも良く、それこそ手先器用な集団
 もとい、低コストで馬車馬になってくれる集団性に請け負わせた方が‥好都合とした特徴を有する
 (そしてそれの理想を‥100%のAI化&機械化だとしても否定しないだろう)

 だがしかし、すべてにおいて問題なのは、それら決定権の所在になっている

 それの前提こそ、能力査定のみとした社会的グデグデだ
 その指標の多くが利益とした物差しにしかないのだからにべもない

 格差ありきがリベラルの本質にあると論破したって言いすぎになかろう
 (むしろそれこそが目的としても言いすぎになき体質だ)


 ‥だがしかし、保守にしたって似たような傾向になりがちだ


 地場重視だろうと、それの構造を椅子とした立場に置き換えれば、同じなのだから‥
 むしろ地場重視には、人材不足やら資材不足が常に付きまとう
 結果として、それこそ適材適所にハマりがちなので
 独裁傾向(できる人任せ)、お約束傾向(従来通り)になりがちだ


 ‥其をリベラルでは、無能と抜かして攻撃するのが一般的だ
 斯様にも、リベラルは、兎にも角にも「改善&革新」をやるべきが最先端だと言い張る癖がある

 結局のところ、それが地球環境を追いやってきたという負い目に違いないのにである‥
 そして、誰しもは未だにその負い目を改善するにも同じにやれば良いと思っている
 (んなわけねぇ、むしろ逆だ、休暇すべし)
 (てめぇらの椅子の貫禄見せたさ目的の活動なんざそれこそ無価値で無意味だ)


> そもそもの活動には
> すべてに資材と時間が掛かるのだから、生産活動しすぎることは本末転倒である


 また、便利になればなる程、途中経過がどうだったかというノウハウと心理を失うわけだが
 それらを意図して残そうと思っても、ある程度の規模が求められ
 それはそのままに、かつてのストレスを伝統化するだけのうんちくだったりする

 育ちによっては、それらが黴の生えた化石にしか見えないとした見方も生じ
 後世に理解を得られるかどうかは難しく

 それでも、そこに見られるのは、適度に身体を動かせばこその健康維持とした秘訣でもあった
 だが人々がそこに理解を示そうとも、動くかどうかは別の話だ(どうしようもない)


> そのどうしようも無さが生まれる要因こそが、実は、能力主義とした見解だ
> 効率重視や査定の裏にあるのは、無能とした見下しだ
> 見下すことを正義とした慣習もとい本能を
> 上の椅子に座る側が堅持すればするほどに、人々の心に伝播し汚染する
> (使えないヤツは切り捨ててしまっても正義だと)



1-2)1

> 超便利になる臨界点に、瞬間移動やら異次元BOXが挙がるが
> その結果、大衆がやらかすことは、類が類を呼ぶとしたコミュニティの爆誕である


 それは、点と点にしか関わりを持たない群衆と化していくのだから
 統一感とは程遠く、つながりを持たない同士の意見のぶつかり合いにしかならない

 趣味やら好みが多極化していく流れは、結局のところ生産性の向上には繋がらず
 個々の手によるオーダーメイドこそを押し上げていく
 それは結局のところ、土地には縛られないけれど‥資源には縛られる地域化とした内面を孕ます


 (消費意識は高くともリサイクルには疎いとした大衆傾向のそもそもは)
 (科学知識を伸ばしたとて、その分、保持欲も伸びてしまうのだ)
 (見よ、一度被災に見舞われれば、とんでもない量のゴミを吐き出そう‥論立てるまでもない‥)

 (南海トラフとかなんとかの後に付きまとう、大量のゴミ群への見解は如何に?)
 (それのゴミの片付けを冬にやらざるを得ないなんて、それこそ死する話だね)
 (燃料無いのは確実だから、皆で燃やすしかねぇって話で、大規模な大気汚染に繋がる話だz)


 ‥リベラルにほだされた自由解釈は、土地とのつながりを軽視する起爆剤にもあった
 結果、能力のつながりによる格差をもたらした
 誰しもが商いをする際に借金ありきを受け入れたのなら、持てる側との取引にあやかろう
 それが最も返済都合にかなった戦略視にあった

 リベラルと資本主義が切っても切り離せないのはそこで
 それが当たり前だと受け入れていれば、貴族育ちの貴族社会に見られるそのままだろう

 リベラルの余波は、圧倒的に「あやかりたい願望」を壮絶に押し上げるのだ


 ‥だが、あやかりたいとした要素の裏に在るのは
 資源の限度とした内訳が常に付いて回るゆえである
 それは、如何なる主義主張を唱えようともなんら克服不可能な状況だ

 保守でもリベラルでもその手の無能に成り下がるのは火を見るより明らかで糞どうしようもない
 ならば、この二つの対立そのものに意味が無い

 (敢えて言うなら、地球資源の枯渇化推進とした起爆をやらかしている派閥こそリベラルだ)


> そもそもの課題として
> 大衆の知性は、トップクラスの知性にはとても追いつかないのだから
> 科学を加速させる為に、能力差を持ち上げても、格差の加速にしか成らず
> はたまた科学知識の差による学識格差は
> 科学的見解によるセキュリティ管理の用を、杜撰化へと導く指標にしかならない
> それはそのままに自分たちの首を絞めていくだけである



1-2)2

> 自然界がこの手の問題に提案しているのは明らかに四季差である


 ‥自由相場はあっても良い、だが、冬の時期にもそれではダメダメで無意味だ

 例えば、お金持ち相手に商売するなら夏のバカンスで
 そこそこの消費推進には、クリスマス商戦だ‥とした見解をどう思うかでもある

 ‥今やグラボ商戦はそのままにそれだ(そうにしか見えない)
 夏休みの方が自由度が高いから、金持ちなら大枚をはたくに躊躇せず(おわかりですよね)


 ‥これを穀物収穫に置き換えると
 収穫期に変動価格は当然の見解だが、そうにない時期にもそれでは懐勘定は覚束ない
 (変動しても良いのは、社会的事案が絡む場合になるが、それにしたって四半期程度感覚だろう)


 ‥工場生産でいえば
 一度に大量に生産して、残りを保管しつつ
 特定時間が経てば、売れ残りは分解処分して売れるように再工夫ビルド
 新たに新性能を盛り込んだ新型を登場させるのはその後からでも十分‥

 (全体的にそうしないと、エネルギーコストは下がらない)
 (だがこれの欠点は、保管場所の選定がままならないところだ)
 (だからこそ異次元BOXは革命をもたらす保管技術方向なのだーよ)


> これをベーシックインカムで語ると
> 実験的に秋と冬には配ります、でも春と夏は配りません
> (企業支援なら、これの逆をやれば良い)


 ‥などと言い出すと、一見して中途ナンバに見えてしまうわけだが
 過渡期におけるゴタゴタを回避しようと思ったら
 仕組みの見直しや改善すべき経過も求められるわけであり、無理はでないように思われる

 (必然的に、相場とした動きもそれに付随していくだろう)


 ‥例えば、生産業にしてみれば
 春と夏に資金を得られ、人材を回せる流れを得
 それの生産を秋と冬に消費して貰うのが流れになる

 一般消費の時期と、金持ち消費の時期が確実に分割されるので、誰の目にも商戦の差が目に映る

 (働く必要を全体的に減らしたいなら、そういう辻褄とも言えるのだ)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:15 | Comment(0) | 科特隊どころか無理だからウルトラ経済大作戦 | 更新情報をチェックする
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