2022年05月19日

【ツッコミ隊】リーダー像とメンバー像の間に潜む心理ギャップ

↓3)記稿.2022/05/19

> 一般的に求められる良きリーダー像には、隠れた落とし穴があります
> それは、人口の大半が平凡であるがゆえの辻褄です
> ぶっちゃけ、双方にて、無い物ねだりをやらかしているわけでーす


 ‥単純にズバッと言ってしまえば
 できない人々は、もとい‥自分から考えるのが苦手な方々は‥
 より上手に説明できて、且つ、人の道に適って正しく導いてくれる存在をリーダーに求めます

 でも、そういう希有な方がリーダーに収まるケースは、今やほとんどありません

 なぜなら、リーダーとて、できるメンバーを欲するところがあるからです
 (其は、競争社会にあれば尚更でしょう‥今や鍛えて育てる余裕なんてほぼ皆無‥)
 (それの連鎖となる育てる気概に低き社会の成り行きは、もはや‥しがらみのガチャです)


 ‥自分がリーダーとして優秀だと自己評価してしまうことにも課題が付きまといますが(自惚れ)
 リーダーに成るからには、支えて貰いたい、もとい‥「俺の足を引っ張るな」
 できれば、分け前を多めにちょろまかしたい‥中抜きは当たり前とかなんとか‥(甘ったれ)

 (まぁ正直なところ、上席に座すれば、誰しも、そう考えざるを得ない副作用がでるわけです)


> 優秀処の束なりになる程、報連相の相を省いてある(例えば財務省など)


 ‥まず部下が、生徒が、優秀にあるならば‥もとい、優秀にあればあるほど
 上司や先生は、うっかりをつぶやけないわけです(格下に見られたくないから)

 (そういう積み上げ方式としてのなれの果てがそこに見られるわけです)

 又、財務省のような秘守義務MAXな環境なら尚更に
 スパイ風情にヒントを与えてしまいかねない防止も兼ねているわけです
 (まぁ行動のパターン化は‥やらかさざるを得ないので、把握されちまえば同じですけど‥)


 ‥詰まるところ、優秀処の束なりになればなる程
 お互いを警戒して、寡黙な環境を誘ってあるので
 裏を返すと‥阿吽がすぎて、説明が下手くそになりがちと言うことです

 とくに、専門用語で暗号的に知ってて当然とばかりに省略しがちなわけですから
 知らない側・わからない側への配慮に欠いてくるわけです

 なので、大企業やらお役所が、説明不足のバカたれに見えてしまうのは必要悪と言えるでしょう
 (という性格にある事で、説明せず→弱みや隠し事をしている→実は真っ黒に染まってたりする)
 (それで下々への説明を‥学者に丸投げで囲い込むわけですから「お主も悪よのう」の流れでせう)



1-3)1

> この状況と関係性を先生と生徒に置き換えると‥orz


 ‥優秀処の上司と部下の関わりとして、付いてこられないなら‥職を変えれば良い
 それだけのスキルがあるとした自負がお互いにあるのだから
 当然として、要求される方向が常に組織利益にあったにせよ、誰も疑問を呈さないのでしょう

 ところが、これが先生と生徒に置き換わるとそうも行きません

 付いてこられなければそれまで‥などと、面と向かって宣えば、即炎上
 それが教えるとした教職たる姿勢とは言えないからです


> ところが、教師も職場ゆえに
> 上司と部下の関わりにウェートを置いてしまう御仁もありきです(成績重視)


 ‥すると、生徒への顔色なんかどこ吹く風となり
 「なぜ解らないのか?」としたところに骨身を砕く姿勢が怪しくなるのです
 ‥教職にあれば、その責務として、生徒が解るまで付き合うべきがお仕事です
 (なのに、自分で考えて解らないなら格下と見下すばかりに、捨て置くのです)
 (そのように横柄な態度が、学び舎とした場にまかり通って良いはずありません)

 ところが

 ‥捨て置くタイプほど、優秀処の生徒を前に、萎縮しているのもパターンにあるらしく
 其の不安を宿題の量で誤魔化したり、上位を持ち上げて下位をたしなめる策を講ずるわけです
 そうすることで、無難にも、自分の下手に注目が集まらないようにと‥誤魔化すのです

 (自らの性格の悪化には、見向きもせずゆえか、その手の欠乏に対してはスルーらしい)
 (まぁそこからスルーしちまってるわけですから、何が起ころうともスルーだと確信めきます)
 (ゆえに、悪ガキとした空気も色濃くなって‥色々としたイジメ沙汰にも繋がると‥)

 (競争社会の厳しさを叩き込もうとイキがるほどに、斯様な過去形をも含んでやらかすのです)


> 上司と部下の関わりなら、収まるべきところに流れて収まりゃ良いわけですが
> 先生と生徒の間にまでその扱いでは、炎上この上なき事です


 だがしかし、教師が教職としての本懐に忠実にあろうとすればするほど
 無理が祟ってしょうがねぇ‥とかなんとか‥
 「生徒が馬鹿すぎるのも大概にしてくれよ」のオチにもなりがりです


> ゆえに、誰しも無難に‥「やる気」を合言葉にせざるを得ないのが日常です
> 初めが無知でも、やる気があって吸収力があれば良い‥とかなんとか


 ‥それにしたって、教え上手にあらねば、それの志には繋がりようもございません
 現代社会の成り行きを顧みるに、志乏しき時代に成り下がったのは至極当然だったのでーす

 (今や誰しも、自由にほだされて、好き嫌いやら通報としたフィルターが入るわけですから)
 (教える・られる機会に、自己成長のチャンス有りとは‥なかなか思わんからねぇ)



1-3)2

> では、少し巻き戻して、今度はメンバー像の方を見てみましょう


 ‥優秀処の束なりともなると、組織としての価値を意識します
 すでに、個としての可能性についてはお互いに理解を得ているので
 だからこそ、更なる上昇思考とした組織を選ぶ事を尊しとしているので

 ゆえに、組織の中での立ち位置を、必要以上に気にする御仁等です

 そこは、組織が苦手とか、良きリーダーに丸投げして付いていくのが本懐などという
 庶民にありがちな‥たわけた概念を有さず、駆け引き上等にあるわけですが


> それの行き着いた物の見方として、「リーダーは看板、神輿で十分」とした概念が潜むのです
> それは組織の中での公平感覚であって、社会全体に求められるべき公平感覚にはありません
> それこそが優秀処の束なりであり、各自の分担を意識して行動すべしとした御仁等の一面です


 ‥それでもまぁ、なんだかんだと対外的には、お約束対応を心得るにせよ
 組織内での派閥化ありきに晒されがちなので
 内ゲバと表現されるようなやらかしに、好むと好まざると巻き込まれます


> それもこれも、利益は外から来るものとした考え方に一極化されてあるからです


 ‥それが、すでに鍛えきった感ありのエリートたちの思考にあるのです
 内から発掘されるだなんて、利権を鑑みても、無からやり直すなど有り得ない
 斯様に考えるのもエリートたる効率と打算と性根にあるわけですから

 むしろ、利権の作り直しより、利権の継続こそをモットーに置かれます

 新規に投資を検討するにせよ、今ある利権への忖度から‥

 もとい、一番の利権こそ、自らが組織に在籍していることなのですから
 そこでの立ち位置を安泰せしめることは、一番に近い利益確保選択です(ゆえの天下り)


 ‥競争とした口上を常に掲げて、負け組の暮らし方向にリセットを強いる一方で
 自らの成功にたる流れに行き詰まりを見ていようと
 だからといって‥白紙にしてまでやり直すなど有り得ないとして、決め込むのもエリートです


 ‥組織を立ち上げることより、組織を回すことの方が特異なほどにお得意なのがエリートです
 もとい、かき混ぜるのが大好きな御仁等です
 ゆえに、派閥が起こりやすいのもエリート群に見る特徴です

 周りは自分と同格に、お家もあって、且つ、できる面々とした都合にあるわけですから
 そりゃまぁあとは、勝ち取るための算段として組むしかありません
 (それこそが、組織力を意識している御仁等でもある所以です)


> でも不思議とこの手の御仁等は、格下と手を組もうなんて意識だけは薄いのです


 (同格とのお付き合いを望むのは、至極普通に偏った一般的心理にあるわけですが)
 (上からそれだと、社会的な差別くささありきは明らかです)


 ‥それが国家の組織やら大企業の中核ともなると隔絶です
 ‥口にはせずとも、猛烈な格の差、差別、偏見に渦巻いています
 ‥派閥もしくは組織以外は敵なのです
 ‥ある意味でイっちゃっている御仁等の世界にあるのです


 その一方で、斯様なるエリート群を信じ切っている皆さんは迂闊すぎています
 それが自由競争のなれの果てでしか無いのなら、自由なんかあって無きが如しです

 (あるのは自由に非ず、奴らの自由競争でしかないのです)


 ‥もしくは
 ずるかろうと何だろうと、エリート群にあやかれるのであるならば
 その今こそが幸せとか何とか‥そうに思っているような些末なのでしょうか?

 そのような思考には、人権とした概念は存在し得ない感覚があります

 弱い立場に有りながら、其を放棄して昔ながらの慣習に準じたままに

 うまい汁が啜れるならそれで良しとした勝負勘ありきが多数派なら
 それが、封建制から離れたはずの民主制にあろうとも
 多くの方々を良き方向へと導くような縁からして、あるわけございません


 ‥少なくとも、封建制に見られた名君以上の優秀さなど夢のまた夢でしょう
 それは多くの方々が、楽をしてしあわせになりたいとした期待でもあるわけですが
 それの鏡似性として、お上も又楽して治めたいとした裏返しという事でもあります

 (下が優秀なら上が楽をできる←→上が優秀なら下が楽をできる)

 ‥競争競争と周りを煽り立てている政府群のそもそもが、それにあるわけですから
 それが戦争ありきの何だかよく解らない‥きな臭さを押し付ける空気なわけですから

 (面倒くさきは、すべて殺して消してしまえ‥とかなんとか‥それも又人口戦争)


 ‥正しいなどと言う意識の育つような環境には無いと断じざるを得ません



1-3)3

> 「若さとは油断の塊であり、老いとは歎きの塊である」
> 私たちのやらかしてきた競争が、どこを向いていたかをよくよく考えるべきなのです


 ‥戦う気のあるリーダーよりも、まずは、説明する気のあるリーダーを
 きちんと骨を砕いて説明する気持ちこそ、多くに公平とした姿勢の種たるはずです
 より分かり易くとした思いともなれば、まわりを良く見ようとするものです

 (うやむやの鏡似性とした自由社会なんざ、ただの屑の束なりにしか成り得ません)
 (又、正さずにしてきっちりやろうでは‥それはそれで怪しき空気でせう)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:44 | Comment(0) | 日記/2022 | 更新情報をチェックする
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