2022年07月05日

【ツッコミ隊】今更ながら「力こそ正義」は、人口増えたら戦争しよう敗者に落とそう論理

↓3)記稿.2022/07/05

> 世界が美女をもて囃すのは
> 美女に誉められると、其をしても良い‥とした確証を得たかのように思い込めちゃうからで
> 「力こそ正義」で美女が手に入って、有り難がれれでもすれば、歯止めなど掛かろうはずも無し


 ‥力こそ正義を発揮するには、戦争が一番だ
 戦利品としての美女のGETを男尊女卑とか言っても
 そもそもの原動力は、美女欲しさ、美女に誉められ欲しさなのだ

 (まぁ雑兵はそうは考えないにしても、美女にもて囃されて悪い気などしないのが相場だ)
 (まさに、根からの差別主義で糞ッ)

 ‥戦争をやらかしちゃう症候群のそもそもは、そんな価値観の偏りにこそある
 それがまぁ美女に誉められたいとした文句に一元化できる訳だが
 それこそが、差別主義の本質なんだから糞しょうがねぇ


> 言い方を変えれば、アイドル産業自体がそれのなれの果てに相当してくるわけだが
> さすがにこの辺になると文化の違いとした肌で感じる率も高くなる
> それは、誉められたい対象を‥無理に有名人に求める必要は無い‥とした差である


 ‥だがしかし、アイドル産業が日頃にセンター気取りで成り立つような世界だから
 ‥戦争をして美女をGETできれば、もっと誉められるに違いないとかなんとか
 そういう脳みそに出来上がっちまっている大勢が、途絶えもせずに居るわけで

 先生やらカリスマやら著名人やらを上座にもて囃して思考スルーに明け暮れるのも日常だ
 支配層がその気なら‥権威と洗脳脳に仕上げるごっこに苦労しないと言う事だ‥

 ‥そんな、誉められたいから戦争をしようなんて心理が、脳みその深層に在るともなると
 それはもう屑としか言いようが無いわけだが
 美女からすれば、そんな‥すり込み様こそ‥が、英雄もしくはお客もしくは肉盾なんだから
 なんだかんだと、無意識のうちに成り立っちまってて糞しょうがねぇ‥


> だがしかし、誰しもは、美女を定義できもしないのに、お気に入りには自信満々だ
> そして時代は、肉弾戦争から金弾戦争にすげ変わった


 ‥誰しもが、美女を正しく定義できないのは
 美女の側からして、何を正しいとして誉めれば良いのかを知らないのに等しい

 (お金を落としてくれさえすれば良いのなら、難しく考える脳は不用という事なのだろう)
 (だからこそ、昔の肉弾戦はいざ知らず、金弾戦なら尚更にリッチ優遇になだれ込む)


 ‥金弾戦になびくなびかないの個々の好みはさておき
 金弾戦にて勝ち組に乗ると、頼みもしないのに向こうから人だかりでやってくる
 だが、兵士として集まるならまだしも、命を投げ出すとした矜持を持たない連中だけに面倒くさい
 金弾戦の勝ち組の多くは、毟り取られたく無いと‥そう思っているはずだ(とくに成り上がり)

 だがしかし、金弾戦においてこそ、命を投げ出すとした姿勢は、鉄壁且つ財産だ

 必要以上に戦渦にさらされるわけでも無し、それこそピンポイントで恥を掻くだけだし‥
 そうに割り切れれば、お給料が転がり込んでくる


> 美女に誉められたかった世界は‥いつの間にやら全自動のレールに乗るだけになっていた‥
> 国家の頭からそういう時代に成り下がっていた(メディアだってそれの片棒だ)


 つまり、美女の価値が下がっているのと、ネットでわいわいやっているのは‥イコールだ
 自分たちは自立してやっているつもりでも
 世の中のお金という奴は、常に貸し出すことでしか増えないルールに置かれている

 (それは、権益だからそのように仕組まれている)
 (その権益は、もはや暴力家になく‥資本家もしくはそれに媚びを売る連中だ)
 (それゆえ、できることならレールは壊したくないとする考えの方が主流にある)
 (つまり脳筋から納筋に様変わりしたのだ)

 (さらに人口増で美女観が多様化しパターンが見えてくると、扱いも単調化しだした)

 (そこに求められる+αとは、もはや戦場と同じく結束力優先だ)
 (ベラベラと口の軽い美女に価値なんか無い)
 (そういう意味では、中世貴族の子女の方がまだまだ輿入れ用途に需要があった)


 ‥そうだ、ならば、美女が味方を誉めるようになるのも、護られていることが確かだからだった
 守りが強ければ強いほど、鉄壁への信も親も厚くなり清と化する
 それゆえにおもてなしとした心へと花開く‥
 それが方向性だったなら、其が淑女を好んだ社会ゆえの男女観とした極化だったなら

 「多様化とはなんぞ?」

 不満があるから、心ここに非ずとなり、社会に広がるばかりなら
 それこそが多様化の本質としても‥遠からずという事だろう


> ならどうする?、いつまでも草刈せずの放置をよろこんでいる場合では無いのだよ



1-3)1

> 人口が増えないと経済は活気づかない
> だから、そそのかされたわけでもないけど、術中にハマって
> 世界人口はあっという間に倍倍と化した(畑持ちでも無いのにな、無駄に自信家ばっかだよ)


 ‥民衆が何も知らんと決定的だったのは、発行権の所在だった

 増えたからには戦争をしないとならない過去の多くには
 食料事情×土地事情とした理由が主だった
 だが、経済戦争もとい金弾戦と言う奴は性質が異なる

 昔からカネだったから、民衆の多くは同じだと今でも思い込んでいる
 (M&Aにしても、戦争の延長程度にしか思っちゃいないのだろう)


> 資本経済のそもそもは、国債→投資→回収だ
> だから、カネの元締め(国際金融資本)の思うままに勝ち目が決まっている


 国債の大きさがすべてで、それのすべては、お金を貸し出すことに尽きている
 貸し出されたお金が市中に回っても、返済で回収され切られては空っぽだ
 (空になるなど有り得ないにしろ)
 目減りにつれてデフレとなり、困窮するので、あの手この手を繰り出すわけだが
 それにしたって、世の中で使える予算の大半は、赤字同士のやり取りになっている

 ‥元締め側の手にした「濡れ手に粟」こそが上前に当たるわけだが
 それにトリクルダウンを期待したって、下にまで降りてくるわけが無い
 (多くは返済に回るだけで、再び借り入れてしまえば元の木阿弥だ)


> 資本経済の世の中を動かしているのは赤字であって、黒字では無い
> 世間知らずの多くは、この差の意味をよく解っていない


 ‥人口が増えたのは、貸した側の思惑だった
 同じく増えなくなったのもそうだ(実に簡単な手際だった事だろう)
 裸の王様のくせに、投資たる特権を手にしているのだから、当然の流れだ

 (本質は独裁なのに、味方を得るためにも合議制を推奨している‥まさに緻密だった‥)


 ‥彼らは昔の脳筋連中のように、とくに誉められたいわけじゃない
 ゲームを終えられない症候群としたお馬鹿の寄り集まりにすぎないだけだ
 「勝つことこそが使命」とでも言わんばかりのキチガイさん達なだけなのだ

 そんな御仁の寄り集まりなんだから
 競争を楽しむ意味で人口を増やしただけで
 その後にはどうしたって、勝つ歓びを得んがゆえに‥敗者を罵る‥のが相場と化する
 というのをやりたくって仕方のない連中なのだ(いい加減に空気読め)



1-3)2

 ‥そこここに見られる民主化にしても同質だ
 (勝つためのお仲間づくりだけは、公平にとかなんとか)
 (どの派閥に着くかは君の自由、だが、派閥に属さないのでは厳しいよ‥とかなんとか‥)
 (でも派閥に入る以上、意気込みも大事だけど、まずは使えるかどうかだね)

 ‥そういう意味では、ボス自らアピールすべきが筋だが、大抵は姿を見せることが無い
 それは世界が、未だに力こそ正義のままだからだ、民主化にしろ法規化にしろなんちゃってだ
 (閉鎖的な会社、ブラック企業の根っことは、至ってそういうスタイルと言う事だ)
 (人材選びを任せられるのも尚のことそうなる‥選んだ責任とかなんとか‥)
 (リーダーの魅力不足を、その手の責任にすり替えるのがお上手な集団に違いない)


 ‥信教の自由とは、命の取り合いも想定内である次第を意図する
 (だからこそ、戦争権の放棄はしないけど、法規としての軍法が跋扈する)
 (それが実際にしろ、そうなると基本的人権とは、お仲間づくりの自由の範囲に留まるしかない)
 (お仲間づくりのゴタゴタぐらいは面倒見ますよ‥とまぁそんな感じに思われる)



1-3)3

> 見よ


 経済問題、社会問題の多くは、彼らの投資から始まり
 儲からないなら‥放り投げられ、そのままに放置だった
 (片付けをしっかりとやるところまでが美学なのに、とんでもない連中だ)

 そして、「それらは、私たちの問題ではない」と言わんばかりだった

 なぜなら、投資をするかしないかを決めることだけが私たちの仕事だからだった
 苦情だけでは動かない、改善するにしても返済の予定まで組めないのではお門違いだった

 「そうだ我々はカネ貸しなんだよ」‥その手の傲慢さが蔓延り蠢いて来た‥


> 国家からして牛耳られている仕組みにあるのなら、改善なんて起こり得るわけがない
> 絶望して選挙に行かないのなら、カネを借りにも行くべからずだ
> だが、そうにはならない‥だからこそ、なんちゃってだろうと相変わらずの選挙がやってくる‥


 ‥そして、正義の味方と思しき志とて
 あちらの組織力の前に無力と化し、「目指せ国民の暮らしの為の政治家」から
 ‥いつの間にやら「明日の選挙家」に成り下がる‥

 (現に恐ろしきは、お金に対する考え方・解釈・組織力の差という奴だろう)
 (今や党首の貌では無い、候補の顔ぶれで見られている‥そもそもが組織力選挙なのだから)
 (そこに男女比なんざ関係ねぇ)
 (組織力まで用意できなきゃ、誰だろうと‥明日の選挙家‥に成り下がるのだ)


> 述べるまでも無い、美女どもがそのような明日の選挙家を推すことなど無いのだ
> 男女比ではない、美女が推しているか否かに妙が潜むのだ
> そして明日の選挙家は、そのような候補を敢えて避ける‥避けざるを得ない‥
> (別の意味で、マスコミの密着度が強まるからな)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:06 | Comment(0) | 日記/2022 | 更新情報をチェックする
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