2022年07月28日

【ネタ文学】悪意の種目を先に決めないと処方とした正義は施せない

↓3)記稿.2022/07/28

> 病名の判別が付かないのに医療は行えない
> これは基本理解だが、多くの者らはこの単純明快な理屈を抜きに人生を模索しがちだったりする


 ‥病巣が無いなら、医療は必要ない
 ‥病巣が無いなら、法律の追加は必要ない
 ‥問題定義が無ければ、文学も又成立せず

 ならば、医療が増えていくのはなぜだろうか?
 ならば、法律が増えていくのはなぜだろうか?
 問題定義が同じままに繰り返される文学に意味は有るだろうか?

 それらは、原因を問わずに、付け焼き刃で仕事をしたつもりの輩が多い結果だ
 なぜ、それらが蔓延るのかと問えば、原因たる病巣こそが「能力競争」そのものだからだ


 ‥多くの者らは、無知蒙昧な上にやってみないと納得できない
 それもこれも能力主義を謳っているから、何らかのモーションを掛けて結果を出さざるを得ない
 もとい、成果こそが正義とした術中の中に居る

 無駄だと判っていても、予算を使わないと次回に減らされるのは嫌だからと行動に出ざるを得ない
 結果、立場を失うのは嫌だからと、成果が思わしくなければ誰かのせいにする

 そのような無能・身勝手を撒き散らせば
 世の中は、未成熟の物やサービスを売りつけるばかりの低レベルに落ち着かざるを得ない
 (それは、若手の創造意欲が低下して、マンネリや機械的品質で十分とされていく流れだ)


> 繰り返し何遍でも問おう
> 世の中の混乱の根本原因は「能力競争の在り方」そのものだ
> さらに、多くの者らが、それの価値を売上競争に代替し、本質的な価値問答を避けている


 ‥本質を問わずままのやらかしのどこが能力だッ

 ‥物事の真価は多い少ないでは無い、強い弱いでは無い
 混乱の原因を解き説いて、解決せしめる眼力だッ


 ‥競争の優位を失いたくないからと、心では明らかに負けを認めているくせに
 インチキ・交錯・攪乱・暗殺‥あの手この手を卑怯だろうと仕事だからと成し遂げる
 其もまた競争だからと、誰しもは正義に非ずとも厭わずとした選択支の中にある


> 悪が無ければ正義も又用が無い
> 悪が存在しなければ正義も存在し得ない
> これがごく一般的な心理動機における真実だが、多くの者らはこれを無視する


 まず始まりに、失敗をやらかすのがヒトだ
 その失敗を悪と罵るのが悪という事に成るが、多くの者らは自己責任とばかりに落ち込むだけだ
 失敗から学び成功を得るには、失敗した理由を知るべきだ

 (だが、その前に、己が失敗をやらかしたのだという自覚がまず求められる)
 (だが、心が拒否していたりすると何も始まらない)
 (其をやらずに、落ち込むだけだったり、当たり散らせば、どうしたって胡散がられて遠ざかる)



1-3)1

> ヒトは複雑だ、もとい人生は複雑だ


 失敗の理由を理解したとて、解決策を見出せるか否かは、別の話になっている
 そして、そこにもまた競争が地続きであるのなら、解決策とていずれ陳腐になる
 ゆえに、競争には時の運も付きまとうと考えられ、勝利のすべてが正義にあるとは限らない

 (多くの者らは、その手の屁理屈を「出会いは正義」と定義づけて居るようなものだ)
 (他力本願とばかりに、時の運に傾倒し、頼りだしたりとどうしようもない)

 資本競争の中でその手の流れの多くは、使い捨てになりがちだ
 だが誰しもは、人生としたチャンスの流れとしては有り体だし、間違っていないと思っている


> だが、このような他力本願傾倒が、常態化して疑問を欠くようにあると
> 誰しもは課題をスルーして曖昧にしたまま、売上競争に、垂れ流しに頭を抱え込む


 ‥売上の本質にしたってカリスマだ、すべては、無慈悲にも「人気」が有るか無いかだ
 謂わば、資本競争とは「人気正義」にしかない

 だから、潜在的に自らの人気の不在を受け入れられず
 それでも頑張っている、傷付いている、間違っていないとして思考が止まる事にもなる

 (なぜなら、ヒトの平等こそを信じ切っても在るからだ)
 (私にだって生かされて生きる権利があると、根っこでは、信仰している様なものだ)


 ‥その様にして、どうして良いかわからないままに立ち止まっていると
 恨み辛みとした感情でさえ、雲散霧消に有るだけのようにしか思えなくなり
 次第に‥失敗ですら、誰か期待の他人事のようにしか思えなくなっている

 その時、「民主主義」という言葉が勝手に一人歩きして
 個々の善、つまり自由正義で事はすべからく成り立つ物だと思い込む

 (だがしかし、資本競争に只流れているのは、その場凌ぎのやっつけだ)
 (だから、他力本願とした期待など裏切られるのがお約束に有るようなものだ)
 (中には、積極的に悪意を仕掛けてでも利を得ようだなんて輩も居るともなれば、闇でしかない)



1-3)2

> どのような成功も失敗も自分事のように思考できなければ、前進も解決策も降りてこない


 それは健康とは何かを問わずして、医療の方向性を決められないのと同じだ
 病名やら術式やら心得ていても、何の足しにもならない

 怪我一つしたことのない医者が、反って患者の見立てを誤るのと同じだ
 若者が老いを推し量れずに、適度な肉体負荷の必要性を侮るのと同じだ

 ‥身を以て術後の経過を知り得ぬ医者が、アフターケアのツボを知り得ていないのと同じだ
 それと同類の患者やその家族が、何とかしてくれと無理強いをするから
 医者でも嫌がるようなやっつけの治療方法も登場することになる
 (そのような治療法が多く登場すると、医者の傲慢さが瘴気となって間違い沙汰も多くなる)


> 政治も経済も似たような流れだ(‥もとい科学もである)


 ‥貧しさを知り得ぬ輩が、アフターケアの的を外してばかり居るのと同じだ
 そもそも、アフターケアの必要を、勝ち組の多くはまともになんか考えちゃいない
 それが競争だからとした理由で留まるばかりなら、政治に正義など起こり得ぬ
 それこそ大衆にとって、悪が蔓延るばかりの政治に成り下がるばかりだろう

 ‥勝利に明け暮れている輩は常に勝つことしか頭に無い
 (行き着くところは、上からがっぷり四つのインチキ三昧だ)

 如何にして勝つかと
 如何にしてアフターケアを万全にするかを考える頭はまったく異なっている
 (だが、多くの者らが、「能力主義」の言葉の前に、混同して思い込みがちだったりだ)
 (正しくは、「人格性」「趣向性」として扱わねば語弊のままだ)


 ‥マンガ一つにしたってそうだ
 折角に悪を倒しても、次なる物語としての次なる仮想敵を模索している
 そうだ、アフターケアのことなど眼中に無い
 怪獣の死体の後片付けとか、怪獣に家を壊された家族のその後とか
 ネタになる事案はいくらでもあるはずなのに、表にはチラッとしか登場しない

 もっぱらのメインは、怪獣を倒したとする「成果主義」ばかりが並ぶのだ

 いやいやいやそれにしたって、次なる悪の登場が目白押しで控えているのだから
 なんちゃっての正義を見せられて‥頑張ってるね‥と思い込まされて思い込んだままだ


> このようなやっつけとした思いこみを‥私たちの心の中の悪意(怠惰)‥と表現せずして
> 創造たる心に、革新(正義)など訪れるわけが無い



1-3)3

 悪意たるを理解せずに立ち止まるままなら
 そこに不安が渦巻くまままだというのなら、それこそが悪意だ

 悪意を知ったなら、知って立ち向かえばこそ、正義が始まろう‥それ以上でも以下でも無い


 だが、「正義とは何か?」に答えられないのが、世界の現実なら
 それは、「悪意とは何か?」にも答えられないとしたどうしようもなさという事だ
 なんという残念で、なんという絶望的な世界だろうや‥


> まぁお互いに、糞やる気でないのも道理で、納得ですよね


 社会だろうとて、病巣を抱えていては体力は削られるし
 そこに、根性論はお門違いにあるわけだし
 なんだかんだと、掛けられる言葉は限られてくると

 ‥あとは当人の生きる気力だけの如し‥

 とはいえ、癌治療からして儲け都合のインチキ含みだし
 それと同じで、生かさず殺さずに搾り盗ろうってんだから無理

(悪意の前提そのものが、法律に反していなければOKなんだからなあ)


> まずは、正しく絶望して置かざるを得ず
> 其をマンガで表現すると、狼狽三昧の困ったままの村人達って事ですね


 困ってる人たちは、どうしていつもヒーロー待ちなんだろうって疑問にしても
 それもまた、私たちの心の内の一つとした形だったわけですね

 (そして、領主にその自覚が無いオチってか‥むしろ私物化‥)
 (そもまたありきたりの私たちの‥肉食文化臭だし‥)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 15:47 | Comment(0) | ネタ文学 | 更新情報をチェックする
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