2022年10月19日

【ネタ文学】戦国時代からポチ体質を宿命付けられていたっぽい件

記稿.2022/10/19

> 日本の隠居方式が西洋式の爵賞に影響を与えてしまうと何かと
> 私たちの住む平行世界に宜しくなかったらしく(天上界視点)
> 諸外国に紹介される代表の多くが、親の死後の家督相続になっていたっぽい


 ‥例えば、鎌倉時代の創始者、源頼朝
 平泉の黄金ぶりが元ネタで、ジパングとして紹介される時代でした


 ‥島津氏
 キリシタン上陸地点なので注目度が高くなるわけですが
 親が死んでからの相続だったような‥(そこまで詳しくないっす)


 ‥織田信長
 ご存じ、親父が死んだ後の相続です
 子宝に恵まれてたので、生きている間に、家督の一部を譲ったようにも見えますが
 実質的な支配者だったインパクトが強いので、問題なしとして扱われていそう
 でも、長生きすると問題多発しそうだったので、短命だった草


 ‥豊臣秀吉
 叩き上げの成り上がりで且つ出自不明なわけですが
 好色だったわりには子宝に恵まれず、相続状況に難儀していたわけですが
 これがもし、子宝に恵まれていたりなんかしたら、家康もまっ青だったことでしょう
 (それだと一族全部を殺さないとならないわけっすよ)
 (家康自身の子宝に恵まれた流れで考えると、そりゃ、ゾッとしたはずっすから)
 (そんな全国統一だったともなれば、後の世まで呪われてあるような話っすからね)
 秀吉が子宝に恵まれなかったのは、宿命だった草


 ‥徳川家康
 述べるまでも無く、親が死んだ後は属国での人質暮らしでした
 相続という所で悩ましくなりそうだったのが、二代目から三代目への引き継ぎです

 生前の内に隠居してしまった唯一の超大物であり
 その辺の海外の表記がどう紹介されてあるのかに興味の湧くところですが
 実質的な支配権を握っていたので、省略されている可能性もありそうです

 でも、二代目三代目とそのような慣習が行き渡るのは拙いのではと
 気がついたかもしれない可能性もあったかもですが
 (超読書家×三浦按針からの情報×公家オタク)
 どちらかというと、相続争いで戦をやらかすなんざ許せんという戒めとした形が
 家光指命の一件だったのかも知れません
 そんなこんなで戦御法度だったわけで
 後の将軍職の引き継ぎにしてもは、将軍の死後に御三家で決めるなんて流れにもなってます


 ‥ところが、幕末に策士徳川慶喜が戦をやろうと意気込んだ矢先に
 徳川方武将のほぼ全部が隠居を決め込んで、成人に満たない我が子達を送り込んだとか何とか

 ‥いやいやいや、江戸時代ってのは隠居して家督相続どころか
 どこもかしこも、養子を迎えてまで家督相続やらかしてた時代ですからね
 (そんなもん西洋に紹介されようなら吃驚もんですから、鎖国策だった草)
 (こうなると、家康による意図的な配慮というか先見だったのではと‥思慮せざるを得ない)


 ‥伊達政宗
 親父が謀反で倒れ、信長同様に若くして当主に就任
 その後、スペインにキリシタン大使を派遣するなどの画策ぶりは有名です
 その際に出自紹介されるでしょうから、隠居という言葉が出て来ない命運になっていた草


> いやぁだから、隠居後の大御所なり御黄老を翻訳不能くさっ
> (大河ドラマでもそういう扱いで、隠居後の様子を扱わない‥とかなんとか)


 つまりまとめると、日本人の気質としての本質が世界に伝わっていないのでーす



posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:18 | Comment(0) | ネタ文学 | 更新情報をチェックする
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