2022年10月23日

【宇宙な?】「心とは身体の何処にあるのか?」それは影です‥という創造的相似形らしい

記稿.2022/10/23

> 私たちの多くは、影について多くの関心を持ち合わせていません
> 精精が、マンガやら絵画のネタになるとわくわくするぐらいでしょう(鏡も含まれます)


 ‥この世界を創造主とやらが構築したと信じるか否かはそれぞれの勝手ですが
 ここでは哲学的な意味合いも含めて、そのような場合とお断りしておきますが

 創造やらかすにせよ、創作するにせよ、実験するにせよ、多くは失敗の繰り返しです
 失敗した事象に、宇宙的摩訶不思議な生命力が発生していて、命やら魂が宿っていたとしても
 「まぁそんなの知ったこっちゃないよね」と普通にやり過ごしています

 (‥領主が民から搾取する‥それについて何も考えていない領主の如く)


> そういう状態を、私たちは平行宇宙の一つとして、影として、おろおろと眺めているような
> そんなことも朧で、幻想を真実として思いこみ生きているような話になりますが


 創造する側は、鬼畜領主の如くこう言い張るばかりです
 「自分自身の力で何とかすれば良い、そういう風にできている(‥はずなのだ‥)」

 そして、その上
 「かの世界は幻想だ、とくに未来は‥」云々語りだせば
 どこか無責任丸投げの自慢げに見えたりします
 「実は過去も変えられるのだ」とか言い含めてくるので、ますます五里霧中です


> 私たちにとってそれらすべては
> 無慈悲で、絶望的で、心を持ち合わせていない奴らの言葉にしか聞こえません


 ‥では何がどう違うというのでしょう?
 それは、創造する側からすると、俯瞰して世界全体を垣間見ることができるという一点に尽きます

 でも、問題の発生に対して、対処・対応できているかは謎です

 できていないからこそ、やっつけで、失敗したらやり直しを繰り返すのですから
 大抵の尻拭いは、影の世界にまでやって来るのに
 「それらはお前ら自身が臨んで選んだ課題でもあるのだ」とかなんとか言い張ったりするわけです


 ‥そのような様を、影からは次のような言葉が言い放たれます
 「無能」
 それに言い返そうなら、次の言葉になるようです
 「屑」



> 私たちの多くは、創造する側の思考・感情・行動・解析パターンをそのままに受け継いでいます
> 創造する側のそれらパターンを自ら改変もとい突然変異させないことには
> 新創造されない仕組みと言えるのです


 ゆえに、心ある源も又、影に在り、影次第or影から学べるか次第
 (其は、創造側にカルチャーショックすら与え得る)

 だがしかし、一般に、影のことを「エゴ」と総称するようですね
 エゴを薄めるには、全体観を常に意識しなければ届くことはありません


 ‥経済に例えれば、問答無用で当然です
 なのに競争なんてやらかすばかりで、儲かった側は、勝者気取りにハマるので
 皆が皆、自分の得意分野のことしか頭にありません(差別化)
 皆が皆、そのように偏ってしまっては、自分勝手で無慈悲な繰り返しにしかなりません(誰か任せ)

 そして、なんだかんだと
 元締めだけが、全容を把握しており、ながーい隷属色に染め上がってしまうのです(国債奴隷)


> つまりは、神が多かろうと少なかろうと、拮抗としては、グレーゾーンとした言い方になります
> 当然、私たちの多くのおつむやら日常もグレーゾーン
> 全体観なんてどこ吹く風で、大抵の多くは、自分のことで頭の中も手一杯のグレーゾーン
> どこまで行っても似たようなグレーゾーン模様のフラクタルなので
> たまには、新しいパターン模様を見たいなぁと誰しも思っちゃってると‥(創造側も影の側も)


 是は、「だったら私自身が変わるのが一番に早い」‥という意味になる
 (その時、全体像・全体観への理解獲得を諦めていたら意味が無いわけです)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:48 | Comment(0) | 日記/2022 | 更新情報をチェックする
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