2022年11月14日

【ネタ文学】中世の行商馬車は、商会に一直線せざるを得なかったが故に

記稿.2022/11/14

> 馬車はUターンはできてもバックはできない
> 現代の車のように抜け道を探して駆け巡るなんて、都合良くなんて行かなかった‥


 ‥なので、暴走馬車が街中にツッコんでくるなんて演出をたまに見かけるが
 それらは大通り限定の演出であって、それ以外では考えにくい

 ‥なので、行商馬車が、不慣れな街中を馬車で移動して仕入れをするなんてやり方に無かった
 日本のように、大八車を活用すれば、自分の足でホイホイと移動すりゃ良いという商売は無理


 ‥なので、お得意先の商会の出入り口から駐車場に乗り入れたが最後
 そこで予定分の多くを売りさばき、新たな仕入れもそこで済ますしかない事情だったと考えられる
 そりゃまぁ休養日を設けて、自分の足で職人街まで出向いて買い付けるなんてのも有り得たにせよ
 それらの多くは個人用途だったはずで
 荷馬車を回すなんて事は無理なので、結局は、商業ギルド経由だったくさい

 是が所謂、西洋での商売感覚だった(資本主義たる原型だった)

 城郭に守られた商会は、ほぼ独占とした存在感を示していたに違いない
 それを貴族が黙って指をしゃぶって見ているわけもなく
 独占された市場たるそもそもを守っているのは城郭ありきだと言い始められれば、タジタジだ

 (ぶっちゃけた言い方をすれば、城郭=大商会、貴族=大商人だった)
 (日本の武士は、その点、まじわることをせずに、格式にこだわっていた縦割りだったくさっ)


> で、もう一つ
> バックができないということになると、舞踏会やらに集まる貴族の馬車の収容が悩ましい


 ‥必ず駐車場を理由する際は
 端から順番に、Uターンし直しておくのがマナーという事になる
 でないと、いくら土地が有っても間に合わない
 (まぁ、その辺は、商会に入る際の荷馬車も同じっすね)
 (そういう事からも、昔の人の方が、その手のマナーが良かったと考えられる)


> だがしかし、人口が増加しすぎると、馬車文化は破綻を引き起こす
> 江戸の人口が西洋の主要都市より多めだったのは、戦争が無かっただけでなく
> 個々に小回りの利く商いが可能だったからとも判断できる(屋台文化はとくにそれ)


 ‥イギリス辺りになると、内戦が無かったせいもあってか
 馬車で渋滞混雑しているという光景が、産業革命前あたりに登場している
 (そりゃもう、往来からしてぎゅうぎゅう詰めで、結果登場したのが二階建て乗り合い馬車)
 そんな光景を目の当たりにする日々にうんざりして
 (もう限界だとかなんとか)
 新天地を求めて、アメリカ大陸へと進出していった‥なんてのが当時の本音だったかもしれない


 ‥なので、異世界事情のそれにしても同質に扱うべきであり
 無駄に、多めに見積もって、100万人都市やらかしてんじゃねぇ無理だからという話になる

 パリやらロンドンで、50~60万人規模だった
 それで馬車で混雑しまくるありきだったとすると
 30~40万人規模が、異世界での手頃な主要都市人口とした規模感度に思われる
 (魔物が出る度に流通に影響が出まくるなら、もう少し少なめに見積もったとしてもおかしくない)


> 戦後復興後の車サイズは小さかった
> 道路事情も悪かったけど、それはそれで個々の仕事的には分散感を得られていた


 だが、次第に道路整備が満ちてくると、車も大型化していき
 輸送力も鉄道に匹敵しだして、分散感だった姿は失われ、寡占化で占められるようになり
 とくにそれが小泉内閣だったからそうなりだしたとかでもなくて
 物理的にそうなるしかなかった鈍臭さ×頭の少なさだった感がありありに思われる


 馬車VS大八車の勝敗が、大八車に軍配をもたらしていたのはまんざらでもないのだった


> なので、獣人社会に転生して、大八車を発明しましたネタともなると
> 圧倒的に馬車文化より上回る気配有り有りで、「奴隷にモフモフを」なんて有るわけねぇ



posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:58 | Comment(0) | ネタ文学 | 更新情報をチェックする
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