2023年01月11日

【ツッコミ隊】持てる者と持たざる者を結ぶそもそもが無い程にか細い

記稿.2023/01/11

 持てる者は持たざる者を、疫病神か貧乏神の扱いをし
 持たざる者は持てる者に憧れはすれど、どこか憾んでいるし、怨んでもいる

 皆、盲目的に、国がどうにかすれば良いとしているにしても

 それ自体が持てる者の側の言い分で、持たざる者の意見など無用のどや顔で
 すべて物事を勝手に‥もとい、やってる感を演出しつつ進めているだけだ

 結果

 いつまで経っても予算が、足りない足りないとアル中か薬中患者のようだ
 まるで、吸い上げたくて吸い上げてるつもりが
 成績欲しさに、貧乏神を飼いならしたつもりが
 いつのまにやら、自らが疫病神と化したかのようにも見える
 ‥もとい悪魔か‥


> 競争社会のそれにしたって儲からないことには誰も手を出さない(人柱上等)
> 挙げ句の果てが環境問題だ


 環境の悪化に巻き込まれれば、持てる者とて持たざる者に返り咲こう
 それでも、自らを高貴な生まれだとして振る舞えば万事OKなどと思っているのだろうか?
 それこそお花畑脳として極まっている(天然とは貴方のことです)

 自分らがそうならない為にも、持たざる者から吸い上げようとするのだから徹底している
 ‥この悪魔らが‥

 それが挙げ句の果ての商いに見られる貯め込み症候群だ

 実際のところ、保障なんか無いも同然だから、上から下まで頑張って溜め込もうとする
 なのに、今や丸裸にしてやろうとして、IoTを撒きしらしているような有り様だ


> だがしかし、持たざる者に支援するにしても報連相とした情報の往き来は欠かせない
> だがそれは、吸い上げる為であり、セーフティ意図など微塵たりとも感じ得ない
> だがそれは、命より贅沢に価値が在るべしと誰しもが思って来た形としての太鼓判だ


 ‥誰しもに分け隔てなく平等に繋がれることこそ贅沢だとした概念がそこには無い
 ‥誰しもに分け隔てなく平等に繋がれることこそ贅沢だとした概念がそこには無い
 ‥誰しもに分け隔てなく平等に繋がれることこそ贅沢だとした概念がそこには無い

 (日本人にだけに宿るそれくささを感じては、お花畑とか言っちゃてるのがグローバルだし)
 (それな反応をするグローバルの方こそ多数派なのだから正解だと思いこみ)
 (日本の方が不可解しい改善すべしとして扱い出すのは、まさにお花畑と言わざるを得ない)


 ‥そんなこんなで、不思議なことに、多くの者は


 仲間内だけでの贅沢に囲まれてあることを幸福だと思い込んでいる
 仲間内だけでの贅沢に囲まれてあることを幸福だと思い込んでいる


> だが、良く考えてみよう、それとした贅沢の本質ってなんだ?


 今風に極端に表せば、蓄積されたデータベースにアクセスできる権利の取得だ

 どう考えたって、そのような解釈には、競争社会の格差やむなしとした思考があり
 結果的に、選民思想とした思いこみが植え付けられてある

 (そもそもにして、競争主義には、勝者としてのご褒美があるべきだと思っている)
 (だからこそ、足を引っ張ってくれるなよとして、貧乏くじ臭い関係を拒絶している)
 (つまりは、毛嫌いも含めて相容れぬ者には、敵とした概念しか持ち合わせちゃいない)


> そんな「死ねば良いのに」お互い感情を、ぶっちゃけた言い表し方に当てはめるなら


 ‥敵が居てくれることこそが救いであり、倒すことは至福である
 まさに仮想敵を葬るまでの過程こそ幸福の創造なのだ

 と思いやらかして来たわけである


 ‥そのようなキチガイ脳はさらにこうも思って来た


 汝に敵をお与え下さい、汝に災難をお与え下さい、さすれば神よ
 貴方さえ敵となり、貴方を討ち倒すことこそ我が悲願、貴方の椅子こそ我が至福

 という幸福の創造観だったくさっっ


> 拝金競争こそ悪魔教
> 貯蓄したい×好き嫌いしたい願望こそ「幻惑×魅了」魔法だったとかなんとか


 まずは、目を醒ますところから始めないと何も始まらない(残念)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:57 | Comment(0) | 是論 | 更新情報をチェックする
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