2023年01月17日

【ツッコミ隊】てめえが自由主義のくせに贔屓は駄目とか矛盾な件

↓4)記稿.2023/01/17

> 自由主義なんだから選ぶのが贔屓でも上等だろう
> なのに、なんで公平にやるべきであるとか‥片手で論じ合うのかとても謎‥
> 今回は是についてツッコんでみたい

 (金持ちで育つボンボン程、みんな好き勝手やってるんだからと思いこみ)
 (社会現象のそれのすべてを個人の選んだ自由の結果とすり替える)
 (データを並べようなら、まさに是だろうとして、どや顔で迫らんばかりだ)

 (だがしかし、選びようが無いから一択と言う不自由さなど微塵たりとも思考の隅に無し)
 (だがしかし、選びようが無いから一択と言う不自由さなど微塵たりとも思考の隅に無し)
 (子育て問題はとくにそれ)


> そんなこんなで、ツッコめばツッコむ程に
> 【鏡似性】自由主義こそ恐怖政治の入口なり
> というタイトルに改変したいところなのだが‥まぁ掴み難いので止めましたん‥


 ‥先にポイントを述べておこう
 自由主義なんだからの代わりに、資本主義だからとなると途端に効率正義にすり替わる
 これは一度身に付くと本末転倒でも採用されるという代物だ

 ‥例えば、コオロギの飼育箱の管理温度が30度になると成長がとても早い
 じゃ、30度管理でという話にもなる‥
 肉をGETするのには適切でも、エネルギーコストともなると
 「カーボン減らすんじゃ無かったんですか?」って論点ですれ違っている
 まるで危険な債券でも切り刻むから大丈夫、でも結局は全部ばら撒いてました(リスク100%)


> コオロギ箱の数を増やしていけば、同じだって事に気が付かない
> 何を好き好んで、コオロギに切り替えようとまでしているのかまるで無知無能


 (攻めるべき論点がとても謎‥大量生産発想のままならそりゃ過剰生産思考のままだろうz)
 (やるからには市場を牛耳ろうでは、同じ顛末しかもたらさない)
 (必要量以上は育てないとした発想も宣言も取決めも無しと来たもんだ)
 (コオロギに切り替えるメリットって、つまりそこでしょうに)


 ‥自由主義なんだから、椅子に誰を選ぶかは、それこそしらふの気まぐれでも酒場の賭けでも好い
 この場合、誰がどんなに努力しようがなんの根拠にもなりえない

 一方の共産×社会主義ともなると
 頑張ろうと怠けようと給料は一緒、でも、普通に思考をする限り
 真面目できちんと作業をこなせてしっかりできてる順に椅子に座る事に成る(ここ重要)

 この場合、努力をすることの意味とは、それこそ個人の自由といえる根拠たり得る
 この場合、努力をすることの意味とは、それこそ個人の自由といえる根拠たり得る
 (儒学にメリットが有ったとしたらその一点に尽きる)


> だがしかし、時代は椅子ですり替わる


 椅子に座る側が老いても真面目かどうかと言う点において、どちらともに怪しき理論の外だ
 なので、椅子に座る側からすれば
 自分の悪徳さにも目を瞑ってくれる聞く耳を持つ輩を、次の椅子に推すに違いない

 この点において、どのような主義主張を社会が推そうと元の木阿弥だ



1-4)1

> 私たちの地球文明は、なぜか、神なる思いこみの果ての思考を身に付けている


 ‥例えば、天皇が自分の好き嫌いをハッキリと物申す性格だとしたらどうだろう

 あのテレビ番組はお気に入りで欠かさず見ています
 あの番組は誰誰が出ているので、絶対に見ません‥などと言っていたらどうだろうか?

 好き嫌いを自分の主張としてどや顔で口に出しまくっていると、それは必ず自分に跳ね返ってくる

 自分の国民から‥「天皇なんか糞くだらねぇ、ただの税金泥棒じゃん」と言われたとしよう
 そりゃまぁショックを受けるわけだが、自分が好き嫌いをばら撒いていれば当然の鏡似性だ

 (いやぁまぁクラスで友達つくるのたいへんそう)
 (直に言われたら、それこそ将来、その椅子に座る気がなくなるに違いない)


 ‥好き嫌いを聞く側の恐怖についても良く考えるべきだったとなる‥


> ところが、今や天皇には実権が無いからそれまでの話で済むわけだが
> 実権を担う閣僚の当人達だったらどうだろうか?


 ‥跳ね返って来たら、跳ね返せば良いとなるだろう
 すると、護るべき市民と護る気にならない市民とした扱いが行われ始める

 それも又、自由主義で民主主義ですから‥とかなんとで通ってしまえば恐怖政治と変わらない

 だが、それは平等の精神から逸脱している
 つまり、個人の自由や主張をどや拡大すればする程、平等の精神は薄まって行くのだ


> 現代社会には、是に近い反省が一切存在せずに、何だろうと競争上等だ(もとい炎上だ)



1-4)2

> では、人の縁を取り仕切る神ともなればどうだろうか?
> 神が依怙贔屓しているとしたらどうだろうか?


 ‥誰も信仰などしない、するわけがない
 そんなのは只の疫病神として毛嫌いするばかりだろう
 担ぐのは、それこそ一部の贔屓の旨味を味わう側という事だろう

 そこで神ともなると、言葉の言い回しを奇妙にもせざるを得ない


> 汝が我に好奇心を示せば、我も汝に興味を示すだろう
> 又、汝が我から離れるなら、我も汝を呼び止めることをせず


 ‥友達相手にそんな言い回しをされたら、そりゃまぁ気味が悪い
 でも神からそう言われたなら、信者がたくさん居て忙しそうだなぁと同情にもなりそうだ
 (だが)


> 汝らが惨めで可哀相だったから同情して手を差し伸べてをる


 ‥などと頭ごなしに耳にタコができる程に言われまくったら、そりゃまぁ嫌みにしか聞こえない
 たとえ神であろうと、余計なお節介にしか聞こえてこないだろう

 「それだったら神らしくちゃちゃっと楽な暮らしぶりを提供してくれよ」と思うばかりだろう
 でも実際は、とてもスパルタ教育だったりするわけで、「なんだそりゃ?」なのだ


 ‥だがしかし、どうして惨めで可哀相だったと思われたかというと
 邪神に飼われていたからって話にもなる、もしくは無知で死に果てそうだったとか‥(勿体ない)

 「救い出して、守りながら、戦うのはひと苦労」
 「毒茸じゃないけど、見境も無く食いつく輩への指導は大変」
 「その上、汝らでこの星を豊かに養って行くべしとして教育されるわけである」


> しかもその間、なぜか、神のお世話をせざるを得ずという流れが怪しくも移る
> (邪神のそれと同じなんじゃねぇ?)


 「汝らが勝手に世話をするようになっただけのこと、こちらから頼んだ覚えは無い」
 「‥ええ、そうなんですか?」‥(鴨が禰宜背負ってきただけの話だし)

 そう言われては、今のうちに自立するしか無いとして誘導されるわけだが

 ‥そういう反応を見せずじまいの相変わらずも居るわけである
 そういうのに限って、畏れ多いとか、どうしてボロを纏ったままなんですか?
 と言っちゃってるのが空気だったりする‥(恐怖政治じゃあるまいし、注目すべきはそこじゃない)



1-4)3

> 自由にほだされた社会では、好き嫌いの表現の場として自分の部屋や窓を好きに飾ろうとする
> それが当然のことだと思っている
> 好きでボロを纏うなんてそれこそ変わり者扱いだ


 例えば、自分の部屋の押し入れに宝物を仕舞うそれについて語ろう
 ここでは、それら宝物が、実はものに非ず命ある存在だとして置き換えてみよう

 好きなものだけを集めると言うことは、要らなくなったなら、捨てざるを得ず流れだろう
 だが、お店に売れば奴隷売買の如しだし、ゴミに出せば虐待の如しだ

 ‥誰しもは、極端な物言いとして其を見過ごして来た
 だが、押し入れに入れてある宝物が生きているとしたら


> それこそ、そこでは、恐怖政治が行われているも同然に見えてこよう
> では、神ならどうしているだろうか?


 そりゃまぁジャンルを問わず、文明の頭から尾まで、そのまんまに管理せざるを得ないわけである
 それが平等たる精神という事に繋がって来る

 (好き嫌いで、排除するなんてあり得ない世界観がそこに座す)

 是の見方としては、意外にもそれこそが平等であり
 その管理の中でのヒト側の自由を如何に発揮しうるかに関与せずとした約定にも見える

 贔屓さながらに誰かにだけ関与するなんて、まともな神からしたらあり得ないわけである

 (そこはどうにも、私たちの考える公平性とはちょっと違う性質が漂ってある)
 (可能性確保としての特別企画対象も存在し得るわけだし)



1-4)4

> つまり、自由に飾りたい欲求のままを公私の境を考慮せずに拡大すると
> それは、恐怖政治たり得る事態を撒き散らす種火にしかならないのだった


 ‥まぁここを逆算すると
 公然とした場では‥らしく着飾るべきにも見えるわけだが

 格差社会に於いては、それが可能とした暮らしぶりが、そのままに嫌みにしか見えてこない
 (もとい、とてもヤニ臭い)

 ‥上からの無知ぶりが、それをどや顔で押し付けるのは
 まさに恐怖政治であり、恐怖政治とリンクした鏡似性を放ち、驚愕の洗脳スタイルだった


> ぶっちゃけた物言いをすれば、机上で育った自由主義論者は戦場狂


 (漫画アニメに例えても、七割の脳内でそんな感じ)
 (「脳内」×「実験室」◎と呼ぶべきかも知れない)

 ‥で、それの境目についてだが
 空気読めと言わんばかりで基準なんてほとんど無し(それが現実だ)
 何が正義かも答えられずに、応えて貰いましょうとか、結局は堪えるだけの話だ

 なんという野蛮なんでしょうねという時代から、実験室ではそんなに変わってない
 (そこに自覚を得るか得ないかがまずとても稀少)


> 自覚を得ると言葉遣いがまず変わる、変わらざるを得ない
> 其は人格の突然変異にさえ見えるだろう


 (これがまた、すんげーストレスの始まりだったりするわけだ)

 (丁寧さを得ると共に、怒り心頭さももたげだす)
 (着目するべき視点が、変わりだした結果と言うことである)
 (だが、着目が違うだけの話で、対処における正しさが伴うか否かは別の話)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:43 | Comment(0) | 是論 | 更新情報をチェックする
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