2023年02月25日

【是論】ベッドタウン型都市モデルは20年寿命なので

↓5)記稿.2023/02/25

> 持Sにも持Gにも想定されるいくつかのパターンがある
> だが、予算を持ち寄る事を前提に考えてしまうばかりでは語弊になりかねない


 ‥なぜなら、どんなB座にもS幣方式から予算を発生できるから、持Sとする意味合いは薄い
 そして、影Gを得るとした都合上
 親会社から孫会社まで「同一金額で良いのか?」とした問い掛けも交ざる

 (きちんとしたルールを決めておかないと混乱する事になる)


> 例えば、アーケード街のような管理費負担を挙げると
> アーケード街とした民Bにして、そこから予算を得れば良い
> アーケード街とした民Bに、アーケード店がCとしてよりはBとして参加する形になる


 ‥だが、地権からアーケード街をテナントとして経営する流れに無いのなら
 街Bとしての売上活動は発生せずに、店B側の売上がされるばかりだろう
 ‥だが、テナントとして、管理費用を計上する形式に変更しても差し支えないなら
 街Bにも民B売上としての幅が発生し得る

 この時、街Bの構成比が持ち家ばかりなら不満に結びつくかも知れない
 だがそれはそれで、街B側の予算で化粧直しをやるように約するも有りだろう
 (見方としては、街B機能が、アーケード街としての引当金相当にも成り得る)


 ‥S幣予算のそもそもからして、人材を得て成り立つルールになっているのだから
 当番制にて、町内会空気のなあなあに、責任者をたらい回しにするなんて重複でやるよりは
 きちんとした人財を立ててしまった方が、色々とした提案の調整にも余裕を得られよう

 (まぁぶっちゃけ、跡目に店を譲って手持ち無沙汰になった隠居会の如しかも知れないが)
 (影G継続都合から、店Bの方に名を連ねるよりは、街Bに連ねるのも一考になるわけだ)


> だが、街Bに、隠居を受入れてばかりでも、S幣予算が膨らむとした問題が発生する
> (ぶっちゃけそれは、二つのアーケード街予算の如く膨らむわけである)


 ‥予算が多いなら多い分、派手に季節毎にイベントを興せば良いわけだが
 すると、イベント時の売上に対して
 街Bと店Bとで五分五分とした取り分とするような見方にもなる‥所謂、上納だ‥

 ‥その時、見知った間柄なのに水くさく感じるなら
 イベント月の翌月のテナント代を定率で水増しすれば良い
 (人件費も営業予算も気にせずにやれるならそれで十分だろう)

 ‥とまぁ少しばかりでも売上に色が付く形を得ていないと
 隠居会とて、若者を引っ張ってきて席に付かせる事もままならないわけである
 (まぁ何らかの身体障害持ちでも、やる気とアイデアが湧くなら問題なさげであろう)



1-5)1

> だがしかし、全国規模でそれが普通になると
> どこもかしこもイベント開催やらかしでは、漫然イベントに陥りかねない
> つまり、どこもかしこも予算がダブつきかねないのだ(無理にやる必要も無いわけだけど)


 ‥すると、アーケード街同士で寄り添ったイベント開催にもなってくる
 だが、そうなると、アーケード街協会Bの立ち上げ要請にも及ぶだろう

 (全国規模でのお祭り開催がどのような日程調整をしていたのか?‥類の中身問答だ)

 だがしかし、アーケードとした概念一つでそうなるなら、何でもかんでもそういう流れだろう
 そんなのは役所の管轄でやりゃ良いとした意見にもなり得る

 すると、市町村の間で、人口の基盤やら産業の拠点となる自治の役所の中に
 「○○地区△△△協会」なる半官半民とした部署を設ける手筈にもなるだろう


> だがしかし、それはそれで販売方式とした形で見れば、依怙贔屓にも見えてくるのだから
> デパートやら大手スーパーやら地場スーパーやらコンビニやらドラッグストアやらと
> わらわらと下克上論争と化するのである(いやはや面倒くさい)


 ‥とくに身を切るほどの不景気に突入したわけでも無いのに
 どこが仕切るかを論ずるだけの中身なのに、官やら役所を絡めようとすると喧嘩になる

 (そして、このような話には、落とし穴が潜む)

 たまたまの道沿いに街ができたというそれだけの中身では、20年後が怪しい
 住民が、20年後以降もマンネリで利用を続ける気が伴うかかどうかは、空白だ

 そもそもが、ベッドタウン型都市でしかないなら、それは十分に危惧されるパターンだ



1-5)2

 ‥その昔は、田畑が村の拠り所だった
 江戸時代にはそれに加え、城下町・門前町・宿場町・職人町とした形での存続を見せた
 そこには、寄り添う上でのシンボルがあった


> そのシンボルとは、即ち「職業」とした束なりだった


 ‥だが、不思議なことに
 近代化したことで、そのシンボルは「駅」になった
 それは兵農分離に似た「城」とした流れだった

 多くの働き方が、土地から切り離されて離れたところからの通勤に切り替わったのだった

 それはマイホーム願望を掻き立てはしたものの
 子育てが済んでしまうと、途端にお荷物になった
 (つまり、街の機能性としては、学区校区校下としての役回りしか無かったのだった)


> 活性化活性化と叫んではいるモノの‥退屈しのぎに新しい何かが入れ替わるだけで
> 核となる魅力に欠いたままに漫然とした林立を繰り返すばかりだった


 ‥つまり、商人町並びにベッドタウンとした装いは
 産地やら生産地からの何かを買い集めて置いてあるだけなので
 脳や心臓、手や足とした機能性には無く
 (消化器官の小腸大腸みたいなモノで、常に新しい情報を求めているだけで実が薄い)

 情報を求めるにしても‥中華街・神保町・秋葉原のような特化型とした形を得ないなら
 誰しもに判りやすさとしての魅力に欠いてしまう
 (そこに在ったのは、「職」と「町」が一体化して来た形状だった)


 ‥好き勝手に寄り集まってきただけの‥ごった煮したベッドタウン構造では魅力に弱いのだ
 其の弱さを補っていたのは、アクセスポイントとしての立ち位置だけだった
 だが、アクセスポイントには、住宅数での限界を迎えると頭打ちになる脆弱さもあり
 なんだかんだと20年を経るとかげりを見せ始める

 (田園調布でさえ、その流れを覆せずに衰退の流れの真っ只中だ)
 (多摩都市なんざ、官僚音頭の代表的な都市計画での失敗作みたいなもんだしな)
 (「今だけ、寝るだけ、置くだけ」の都市とした末路だった)


> 只でさえ商店街なんて奴は、道沿いに形成されるだけのたまたまだ
> 町内会とした機能性が日本独特だったとて、昔からの地主ありきだ


 ‥そんな地主の子孫が、外国かぶれ都会かぶれで戻ってこないともなると
 そんな土地から過疎化衰退しているのが現状とも言えるだろう(日本色終了レースだ)

 今ある土地土地の祭りからして只のイベントで、昔ながらとした色彩はどんどん褪せている
 ‥地元民だけのお楽しみ感だったのが、昔ながらの祭りとした空気だった
 ‥其のそもそもからして、地主ありきだったわけだが、今やそんなの無ぇ
 (格差を気取った連中相手に、何を望むだろうや)


> そこに行政が出張っても何も変わらない
> 経費削減とした声しか聞こえない‥そもそもがベッドタウン発想のままだ‥
>(たまたまの道沿いにたまたまの賑わいが生じればマシな方で、20年も保ったなら上等だ)



1-5)3

> 道があれば、そこに街並みが彩られはするだろう‥
> だがどんなにやらせてみても、チェーン店とした乱立で、街とした一体感など無い


 ‥そのようなシェア戦国化死に体商法を延々に繋げるよりは
 行政としては、○○都市宣言してしまった方が正しい方向感と言える

 それは青少年育成宣言のような理念では無い
 例えば、茅葺き文化存続宣言都市や着物文化存続宣言都市とした形だ

 つまり

 茅畑から茅職人から古民家までを一抱えの職特区として保持する用向きや
 着物文化のそれな関わりを、土地から切り離してでも、どこか別の適地に集約してでも
 文化を残そう宣言スマート化町づくりになる(まぁ京都以外にあり得ないわけだけど)

 それは、市町村レベルでの宣言が求められ、賛同する集群の市民入りが
 職人希望とした形から、普段の生活様式上等とした形で伴わなければならない
 (当然ながら、誰しもがその技術を学んで体験できるように有ることも求められる)


> 例えば、古本書店街神保町ならぬスポーツ店街とした都市宣言町が有っても良い


 ‥従来の街並みがベッドタウンとした学区校区校下だった理由としては
 子育てのし易さを求めた需要だっただけで
 それはそれで入れ替えが利かずに、そのまま住み続けては
 高齢者からの騒音苦情しかもたらさないし
 高齢になったら、街の中心部か、散歩に向いた空間がそこそこ近いなどのメリットが無いなら
 持ち家とてうれしくも何ともない(てめえで掃除しなければならないような広い庭など無用)

 この問題を解決するには、自治体がスポーツ支援都市宣言を興し

 学区の周りの住宅には、新たに子育て家庭を優先的に入れ替える制度を掲げ
 子育てが終わった家庭は、暮らし向きに見合った場所に移動して貰うぐらいを行う必要がある

 当然ながら、スポーツのできる広がりがあっちこっちに有らねばお話にならない
 それを学校のサイズとして大きくするのか、クラブ活動とした用向きで用意するのか
 それぞれの安全と需要を見極める必要はあるにせよ

 それがスポーツ支援都市宣言とした方向だろう
 さすれば問答無用で、子育て家庭の琴線に触れるだろう


> 難点を挙げるなら、学級の親の仕事がスポーツ指導・スポーツ店・飲食店に偏るぐらいか‥


 それと同時に、スポーツ学生とした対象を商売にできるとしても
 その胃袋となると、街並みがお約束過ぎるのも映えないのだから

 その片手間で

 学園通りしばらく行くと‥何やら食い処テナント通りには
 B級グルメのような大会やらコンテストやらで、優勝すると
 それのストリート街の一角を約束された年間だけ借りられるみたいな活気が有っても良いだろう
 (そんなの手間だと思うなら、校内の四隅にでも副学食として配するのも有りだろう)

 (まぁそれはそれで、第1店舗からの出店スタイルとしてはあり得ないわけだが‥)


> 何の為のベーシックインカム模様だと思っているんだと思えば
> そういうスタイルにならざるを得ない(児童からしてカネもってんねん)


 ‥スポーツだけで無しに、芸術でも、農村でも同じだ
 中には、理系に特化した街宣言がされても不思議は無い



1-5)4

> すると、コンビニやら百均とした商売は、流通形態からして変わらざるを得ない


 ‥コンビニ業界とした競合をし続けようとしたくも
 自治体の○○都市宣言町とした結果
 町としての個性がバラバラになるなら、マッチングし得ないケースも有り有りとなり
 各社毎に配送車両を持ち抱えた流通を繰り返す方が負担になりかねない

 ならば業界を挙げて、地方ブロック毎に、ある程度まとまった物流拠点を集約して共有し

 お弁当の類を‥地元調達とした独自性容認するしかない
 (工場側に依頼して作って貰うというスタイルは想定内だろうけど)
 (其れが嫌なら国鉄民営化宜しくに、ブロック圏で分社化も提案されるだろう)


> デパート群とした形態を残したければ
> それこそ、貴族街のような様式を展開して見せるのも有りだろう


 すると、四つ足タイプの空飛ぶ車VS高速道路網利用の四輪空飛ぶ車
 なんて趣でバトるようになったりするかも知れん

 馬車としたスタイルでの‥馬を取るか籠を取るかみたいな張り合いだ
 それはそれで、技術の需要とした牽引になるのかもしれないz


> 空を自由に往き来できる様にもなると、ドラッグストアなんか
> それこそ漫画のネタのようなメディスンシティーが登場して集約されるかも知れないな


 ‥当然そこには、薬草もとい漢方の畑が設けられ、薬師が多く住まい
 それこそ魔女の村みたいになるのかどうかは知らないが

 ゲームに出てくるとある街並みとした様相をしているのも有りだろう

 そうだ、ゲームとした街並みで、宣言するのも有りだろう
 住人は、ゲームに出てくる家に住み、格好もゲームに出てくるスタイルが推奨され
 (無論、それのゲーム制作会社が貴族の館に居を構えないのでは興醒めだろう)
 (住人の多くはゲーム狂もとい、ゲームのプレイからバグの洗い出し要員としても活躍するのだ)


> そげにも生涯で入れ込めるゲームタイトルが、あるのかどうかなど知らんがな
>(マイクラな街並みやらかしちゃいましたという方向性の方が可能性が高いだろうけど‥)
>(それこそ3Dプリンターの世界観なんで、実験した結果を是非見てみたいわけだけど‥)


 ‥まぁ職を担う側が一体として住んでいるというのが重要なわけで
 アートの町で村おこしだか知らねぇけど
 創作物を置いた側が、誰も住んでねぇのにアートの町宣言はあり得ない

 そんなのをここではアートとは呼ばん、或る意味で粗大ゴミの掃き溜めだ

 自治体が手掛けると、途端に箱物としての置き場扱いなんだからそうになる
 自治体が手掛けると、途端に箱物と化するのは世界共通なんだから
 都市ごと職業の核を抱え込んで、宣言してしまった方が高効率だったというだけの話だ


> それは国家の中が、都市国家群とした共同体群と化するような空気だろう
> 予算と人が「人財」と化する戻資構造ともなると‥そうならざるを得ない



1-5)5

> 従来の自治体は、それこそ税金徴収とした単位だった
> 税金徴収とした選別をしつつ、諸々出店にて優遇を迫られると
> インフラを丸ごと用意しないと成らなくなり、結果的に20年後に死ぬ構造だった


 ‥インフラを用意してやっても赤字撤退ありきなんだから、にべもなし
 ‥おまけに住人は都市部に逃げくさるし、にべもなし
 ‥それで税金徴収を続けるのは、詐欺に等しい空気で、にべもなし
 ‥車と住宅で、景気を牽引しようと、空き家が増えても、にべもなし
 ‥再開発の用有りと、赤字を注ぎ込むばかりで、にべもなし

 ‥最終的に、都市部に林立するタワマンからして
 転売目的の財産所有な鬼城上等なわけで、まともに住もうとした夢持ちにしてみれば、にべもなし


> 是の基幹になってきたのが駅だったわけだが
> わざわざどうにも長長い距離を通勤する意味とは何じゃらほい?


 ‥其れこそ時間の無駄でしょ
 ○○都市宣言町なら、想定内での移動距離で住む(それこそエコに適ったスタイルに違いない)

 ‥まぁ大抵の資本社会脳には、工場と自宅は別地域上等なんだけど
 それにしてもそれは
 曽ての工場からの排気に廃水にと、まともな浄化対策予算が無かった時代の流れを帯びており
 なぜかそれが、公害上等→郊外上等とした常識にすり替わただけだった
 そのまんま土地バブルとした流れと相まって、継ぎ接ぎだらけの街上等だった、にべもなし


> さらに述べるなら、お役所には管轄意識が付きまとうのだから
> 陳情陳情と、従来のようなどこどこ企業の土地優遇とした諸々をあちこちに詣でては
> なんだかんだで、法改正が立て続くことになり

> デジタル継貨としたやり取りでシステムを組む場合などとくに
> あちこちで、毎年改正なんてやって貰ってちゃ、セキュリティが甘くなるわけです
> その点、○○都市宣言としてでんと構えてしまえば、それ程に弄らずに済ましておけるでしょう


 ‥議会乗っ取りで、この市町村(都市国家)を頭から作り替えます
 なんて騒動は、200年置きぐらいで十分に思われます(日本史からしてそんな感じだし)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:17 | Comment(0) | 是論 | 更新情報をチェックする
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