2023年03月14日

【宇宙な?】遺伝子とは我を宇宙に繋げる為の門であり水であり、我とはその鍵にあり魚にあり

↓6)記稿.2023/03/14

> 宇宙人情報を集めていると、とある謎にぶつかるものだ
> それは、宇宙人側の語る遺伝子が、肉体を超えてどこを指して居るのか不明になる点である
> そのように捉えざるを得ない表現が、散らばっているのである


 ‥ライトボディを形作るそれにしたって遺伝子云々で語られるべき所だろう
 すると、肉体と異なる次元に収容されてあるだろう想像を喚起する所となるにせよ
 ライトボディの座標軸が、束なって重なっているのだろうと‥そう思い込むにせよ

 其れについての説明は一切出てこないというか‥明らかに伏せられている


 ‥そのくせ、宇宙に散らばる様々な遺伝子情報を統合し得たのが
 パーフェクトマン計画の成果だったらしく

 私たちの脳もとい遺伝子が、それの入口として機能するらしい事ぐらいは想像に難くないにせよ

 ‥お気楽に一部を変容・改ざんした場合
 パーフェクトマンとした辻褄を‥どれほどに冒してしまうのかは不明にしても
 劣性遺伝しようと先祖返りを果たす機能性を有するわけだから

 バックアップがどこか別空間にあって、そこからダウンロードしてくる想定に及ぶだろう
 (だがしかし、突然変異諸々含みで考えても、誰かが操作しているとしか思えない)

 ‥其を地球大神の側でチョイチョイとやらかすのか?
 ‥それとも、魂を地上に送り込む側に復元ノウハウがあればできるのか?
 ‥それとも、特定のカウントが貯まることでの私にスキル発動許可ありきなのか?

 そこは摩訶不思議なわけだが、肉体云々とした遺伝子規模を指して居ないのは容易に丸わかりだ
 (宇宙人情報を集めてそこに注視が及ばないなら、まぁ馬耳東風で遠い道ッスよ)


> まぁ其を掻い摘まみに考えても
> 私たちの遺伝子からして、まんま宇宙と繋がるように作られてある予想になる‥だが‥


 (チャクラとして繋がっているとの説明はされてるが)
 (遺伝子として繋がっているとの説明はされていない)
 (すべてのチャクラを開くと、宇宙レベルに繋がるとは説明されているが)
 (チャクラが開くと突然変異するとは表現されていない)
 (代わりに、段階的にチャクラが開くと、サイキックな能力が段階的に解放される設計だという)

 (ちなみに、チャクラの数とて、肉体位置観としての七つだけではない)
 (惑星、太陽系、銀河系、銀河団‥としたコネクションとして繋げる対応と機能性を兼ねる)
 (まぁそれも無限では無く、人間として認知し得る限度なのか‥十三段階ぐらいだったか‥)

 (地球と交信できるだけでもかなりのチートだけど)
 (SF興味としては、平行宇宙を知るにはどの段階を得れば良いですか?‥だろう)
 (UFOがあればそれなりに観測できるだろうから、まずはUFOを操縦できる境涯ありきだ)
 (それでも外面を観測できたとて、近づいて垣間見て無事に帰ってこれるかは、別スキルくさい)


> 我が遺伝子を想定レベルで作動させたくとも、理解と実感に及ばないのでは、未だ門前だ



1-6)1

> 「私と宇宙は、遺伝子を介して宇宙にまで繋がっている」


 ‥まぁそんなことを言われてもピンと来ないわけだが
 繋がっているんだと実感が湧く状況を想像するに

 それは、要するに、実現速度の違い(引き寄せ)として反応を見せる事になるのだろう

 但しそれには、その前段階の反応として
 肉体に魔力を介在したかのような感覚を得るだろうと予想される

 肉体の方が近いのだから、反応とした余韻を真っ先に得ないのでは
 操作のしようがないし、コントロールできない力など暴走と変わらないのだから
 そんな中途では、遺伝子を介して宇宙と繋がったとは言えないのだから

 (そういう順序であるべきが理解だ)

 ‥なので
 ラッキーなどと‥どや顔で語るような無詠唱感覚な引き寄せを
 運とか、たまたまとか、日々の行いの結果などと‥言っている口上は、似非ばかりだろう


> 其は、確かな自分の意思の反映として、手足を動かすに等しき流れとして在るべきたらん



1-6)2

> では、どうやると宇宙と繋がるようになるのか?(まぁそこが悩ましい)


 まず、肉体としての感覚を磨かざるしては及ばず
 なんて感じなので、運動もとい修行レベルまでを要求している気配有り有りです
 (デスクワークだらけの未来に「覚醒無し」と申し付けられてる話でーす)


 次に、宇宙と繋がることでの情報管理を正しく担うべしとして責任感を要求するのだから
 遺伝子との正しいつき合い・向き合いとした蓄積が求められてくるのだから
 「正しい暮らし」=「八正道」とした正しい生活習慣が必然になるらしい

 まぁそこは、体調管理とした意味合いとしても当然でしょう

 何しろ私たちの身体は、生体細胞群の破壊と再生とした流れにあるのだから
 調子の良い時もあれば悪い時もあるので、それの違いを推し量る為にも
 正しい暮らしぶりとした基準を得ていないのでは判断に遠くなるわけです

 (宇宙との接続の際の負荷に、耐えられないのではお話にならないわけです)
 (まぁそれにしたとて、許容内で良いように思われます)
 (人の生き方・役割・目標・向き不向き諸々様々‥ですから)


> 「繋がる上でのセキュリティ」=「正しき繋がり方の心構え」が在るとの認知こそ大事でしょう


 (一説には‥とある何かを口にするだけでも覚醒に至るとの御説もあります‥)
 (但し、呑んだ後の即効性や経過、負荷についてまでは述べられていない‥謎)

 (そんなもんまで用意してるって、なんらかの値を計算して、満たせば覚醒可能みたいっすよね)
 (所謂、検証用アイテムみたいな‥それはそれで科学でもあるわけです‥)
 (そうじゃ無いとUFO操縦中に求められる精神波維持とした要求説明が成り立たなくなる)
 (ぶっちゃけた話、精神波増幅装置が無いと、安全にUFO航行できないとかなんとか)


> ここにおいて遺伝子とは
> 諸々としたエネルギー波の方向性を変えられるスイッチング機能と仮定できそうです


 肉体を動かすにしても、思考をするにしても、感情を揺さぶるにしても
 エネルギー波のベクトルを変更する必要があり、変更するにも一度の変更には許容が伴い
 継続的な力の加減たる繰り返しを要求するばかりでしょう

 つまり

 ‥脳とは、肉体全体としての機能を見せはじめ
 宇宙そのものがエネルギーとした塊としての鏡似し相似し同調しだし

 そこから思惟としたベクトルの変容若しくは保持する規則性を現したりするのだから
 それの裏返したるそれの束なりとした個の単位を「私」として思い込むような話なのだから

 それにしたって、まずは命存ありきの話なのだから

 スイッチング機能からしてエネルギーで形作られているのだから
 スイッチング機能の保全としたエネルギーの確保が求められるのだから
 新しきスイッチング操作を纏った個体を、突然変異と表現していそうです


> 宇宙側にしてもそれがユニーク個体であるなら、宇宙の創造は始まったばかりで完成版に非ず
> そこには、スイッチング(遺伝子)を創造した側と操縦する側との認識の差がでるわけです


 ‥ならば、宇宙にしても、早々簡単に繋がって貰ってもバツが悪いのでしょう
 (ネットゲーム運営側のゲームバランスやら使い勝手におけるアップデートありきみたいな)
 (私たちの宇宙は、まだまだそういう段階での最終チェック中なんだそうですよ)



1-6)3

> では問題です
> 特定遺伝子を使いこなすエキスパート覚者存在の登場が先か?、特定遺伝子の創造が先か?


 ‥なにやら、誰もに面白たのしめるスキルの発見と提案にも思えますが
 まさに「鶏と卵どっちが先?」問答にも似てますが

 ‥零戦開発者が「左捻り込み」とした妙技を想定していたかというと
 とても無理な話なので、特定遺伝子を思いついたからと言っても実用に足るかは謎なので
 作用の検証と集団発動とした実験が求められ
 蓄積し得た情報からの改善とさらなる実験が求められ
 改善点が増えたり解決に結びつかないならさらなる探究が求められ

 そんなクソッタレな実験に借り出されまくった結果の癖の叩き直し等精神ケアも求められ
 「ふざけんじゃねー」と思いつつも、素の状態に戻りたいとしたプレイヤーもいれば
 そのままに酔っ払ったままをし続けたいプレイヤーも発生してしまうわけです

 そんな中に、突然変異としたプレイヤーが存在したりすると

 これ幸いとばかりに、実験管理側からの注目が集まるわけですが
 それを解析したいとの解釈や発想自体が、すでに新しい遺伝子の登場を切望示唆するわけです


> つまり、シン遺伝子の登場には
> 其を求め得るに適った環境負荷が先で、次に願い続けた魂とした順番で
> 確率とした予想は何の意味も持っちゃいない‥諦めの悪さこそが鍵‥になってきます


 (なんかこう、マンガ・アニメの演出と差が無いみたいな)
 (ヒーローになりたかったら、トコトンてめえに負荷を求めましょうみたいな)
 (いやぁでもそれでいじめスタートとか、それはそれで、どうにも共感寒々としたパターンでせう)



1-6)4

> では、そこを踏まえて
> 嫉妬遺伝子はどのように宇宙との繋がりを見せてきたのだろうか?


 ‥仏陀は八正道を語るに辺り、まず反省の必要を説いている
 それは、遺伝子はスイッチのようなものだと語ったに等しい

 つまり、人間としてほぼ同じ遺伝子が備わっていようと
 使用するか否かは自分の判断だと主張したに等しい
 (まぁこれは性格遺伝子に限った話になりますが‥)

 (遺伝子をフル稼働しないと覚醒できないのではない、一つ一つの理解が大事だ)
 (使ってはいけない遺伝子など無いとした意味でも、用い方が大事だ)
 (まぁもっともらしく投げやりに‥正しく使いましょう‥それしか残ってないけど)


> だがそれにしたって、得手不得手とした部分は拭えない
> 結果としての、嫉妬遺伝子に見られるスイッチの入りの差にもなっていた‥
> (まぁ競争社会どころか下克上でしたからねぇ)


 ‥時に、嫉妬遺伝子スイッチが甚だしく入ってしまい、針が振り切れた場合など

 「殺したいぐらいに愛おしい」
 「一緒に死んで一つになりましょう」
 「自分の物にならぬなら殺してしまえば良い」
 「憎らしい、殺したい、滅ぼしたい、さすれば余がナンバーワンだ」

 などなど、人に非ざる方向性を向くわけですが

 それってつまり、神を怨んでも、宇宙を呪っても
 つまりは自分自身へのシンクロとして持て余しもするので
 嫉妬対象が時として、自分にすり替わって向けられもするわけです(鬱、ノイローゼ、焦燥感)

 (まぁ所謂‥なんという反物質感もとい‥量子ゆらぎみたいな)ここ重要


 ‥一方で、嫉妬遺伝子の効きには、感染としたシンクロも見られます
 (質や傾向もそうですが)
 指導者が居るのと居ないのとでも違うし
 親が居るのと居ないのとでも違うし
 環境が清いのと薄汚いのとでも違うわけです
 (いやぁまぁそれのどれも‥幻覚やら依存とした形でのスイッチングにしかないわけですけどね)


 ‥なので、仏陀の反省云々にしても
 流されるのでは無く、自らの判断で思いを止めたり、欲を捨てたりする事が大事と説いたのです
 まぁ哲学臭く述べれば‥「すべてを主体的に置き換えて正しき心で俯瞰せよ」でしょう
 (まさに悟りたる頂点からの創造主観みたいな)


> そのぐらいの考えは、今や普通に有り体にありますが
> 当時は、そんなことすら考える余裕が無かったという不思議があったわけです
> (インドの地に根付いていたカースト制度の真っ只中っすから‥尚更だったわけでーす)



1-6)5

> そんなこんなで、嫉妬遺伝子とした角度から有史を俯瞰すると
> その辺の違いが、スローモーションを見るように理解できるでしょう


 ‥でも、「正しさ」を誰も知っちゃいないに等しかった
 もとい、「正しさ」を行うべきだとした意思が脆弱だったわけですね

 まぁだからこそ、仏陀の慈悲論が眩しくも見えちゃうわけですが
 仏陀を以てしても、正しさを語るに喩え不十分で、時を得ていなかった処でしょう

 (布施にしたって一種の搾取ですからね、語るに恥ていたのかも知れません)
 (それのケジメくささ有り有りに、食中毒死を選んでるんですから‥相当だったでしょう‥)


> 其もまた嫉妬遺伝子ゆえの反応だったとしたら(奥深いわけでーす)


 ‥何はともあれ、他人からどう見られているかという視点を抜きに嫉妬は語れないわけですし
 (必要以上を気にする必要は無いにしても)
 それの不穏な空気をそのままにして、自らの安全など確保できませんし
 黒服が犠牲になれば好いとばかりに、お金を掛ければ良いと考えても
 それはそれでお金の使い方もとい配分先を誤っているわけでして

 こちらの稼いだ金の自由に文句を付けられる謂われは無しとしたとて
 方々の嫉妬から募る不平不満を退ける力たり得ないわけです


 それこそ‥嫉妬を宜しくないとして教義として高らかに述べ立てる側が
 嫉妬されるような態度の有り様では、矛盾甚だしいだけですからね

 なので、時として度肝を抜くような正論展開を示さないと駄目で
 不思議と敵が仏陀を試しにやって来るんですから、願ったり叶ったりだったでしょう

 退ける力たり得たのなら、それはそれで代替たるお説とした慈悲が伴っていたとも言えますが
 それはそれで仏陀としての釈迦が居た頃は
 正しさとした解釈が、そこそこ阿吽に伝播し、強化されていたのかも知れませんね
 (まぁ信徒限定だったかも知れませんけど)
 (仏陀の一睨みで魔が立ち退いたとか‥まぁそんな感じだったのでしょう‥)



1-6)6

> でもまぁ仏陀依存でしたからね
> 仏陀にほめられては悦に入り、教えのダシにされては鬱に入り
> いろんな性格遺伝子があるにもかかわらず、悟りたいがゆえの嫉妬も大きかったと


 ‥嫉妬遺伝子をユニークな遺伝子として解釈して、地球での採用を推した側って
 多様性を得る為とは言え、こいつが多様性の導き手だったとなると
 そりゃまぁゾッとするとしか申せません

 そもそもの人間としてのこちら側からして
 多様性の拡大に追いつかないのでは、多様性としたメリットには成り得ません

 そもそもの多様性の原動力が嫉妬だったとあっては
 自由を掲げるだけでは、只只ズボラになるばかりで、整然とした安定を望めるわけがありません

 そもそもにして、なぜ嫉妬するのかと言えば、不公平にあるからです
 でも公平しすぎても嫉妬するが如く逆ギレやらかすのも、嫉妬遺伝子の面倒くさいところでしょう
 (まぁそこは、私こそが優遇されるべきだとした妬みからの反応になりますけどね‥)
 (さらには、貶めたくて誹りだすと‥)


> その昔、仏陀が日本の地に転生するような予言をしておりましたとさ
> でも予言された時代に仏陀は下生せずに、別の若者が名乗りを上げたとさ


 ‥どうしてそうなった?(そんなの識らんがな)

 ただ当時の仏教こそが、新興宗教の元祖モデルになったわけです
 その最たる呪文が「仏陀に帰依するか?」にありました

 師弟の関係を得る上での、師匠の言葉をよく聞くべきは、お約束と言えばお約束ですが
 仏陀の存在感からすると
 一神教然とした角度からの「間違いなんか有るわけが無い」全知全能にも見えたでしょう

 (‥当時の世界は、多神教だけだったので)
 (新興宗教の神をやりたい連中からしたら、一神教上等にも見え、画期的だったとかなんとか)
 (まぁでも唯一無二まではなかなか望まないでしょうから)

 (で、教祖が亡くなると、「俺が後継ぎだ真偽合戦」も又宗教上のお約束になりました)

 (まぁ、布施やら寄付で暮らせちゃうのも仏教発みたいなもんですからね)
 (今時代なら‥授業料とした見立ても可能ではありますが、明らかに違いますからね)
 (まさに王子として生まれた税収感覚とした遺伝子活用にも見えてきます)


> いやいやいや、まさに嫉妬遺伝子ビッグバン状態でーす
> まぁ「嫉妬はあかん」述べてるのは、仏教だけかも知れませんけどね


 ‥で、その若者のやらかしたのが、「俺が一番だけど帰依するか?」
 という類の宗教オタクそのまんまの勢い余ったかのような傲慢な呪文を唱え始めたわけですね
 (嫉妬はあかんと言ってる仏教観をぶっ飛ばして、嫉妬ビッグバンを担ぎ出しちゃったと)

 (まぁその若者は若者で、ユニークな嫉妬遺伝子としたスイッチが入っちまったわけですね)
 (或る意味で、誰しもがやらかしたかった糞ッタレ感ありありだったわけでーす)


> ここまでが仏陀の思い描いたというよりは
> 実験側が仕込んだ‥嫉妬遺伝子反応度テスト劇場‥だったとしたら
> おもろい教材を仕込んであったんだなぁと笑うしかありませんよね(wwwww)
> (どういう査定になるのかなんて知らんがな)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:58 | Comment(0) | 宇宙な? | 更新情報をチェックする
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