2023年05月15日

【翻訳脳】日本語の乱れから推理する言語間ニュアンスの壁

2)記稿.2023/05/15

> 先にお断りしておきますが、著生は、今や横文字学習には懐疑的で興味がございません
> (こちらはその程度の英語力ですのでお間違いなく)


 ‥そげな著生は洞察力はそこそこ達者なので、日本語の乱れから
 (今どきの漫画からして、校正端折ってるみたいな舌足らず感が目立ってしょうがねぇ)
 日本語のニュアンス変換には、これこれこんな感じの壁があるだろうと思うに至ったわけです

 (日本語の乱れには関心がある)


 ‥一番に感じたのは
 主体+助詞(は、が)‥というパターンの変換に置き換えるのが当然だ脳に陥っていることですね

 日本語には(に、を、の)という助詞を付けた方が綺麗なニュアンスに仕上がる場合もあるのに
 外国帰りのおてんてんには、それが分からないらしい
 で、いつの間にか、そちらがスタンダード認識されてしまってるみたいな
 というのが著生の感想だ


> では‥「敵を追い込め」を英語風に並べ直してみよう


 助詞「を」使った命令形の場合、そのまんまに命令形体にすれば良いので
 「追い込め、敵」で済む話ですが

 「連勝を重ねた」では、どうでしょう?
 「私たちは勝ち進んだ」という風なニュアンスに出来上がるらしい

 (外国帰りのおつむは「WIN」大好きみたいな)


 ‥まぁ確かに意味は通じますけど、漢語から来た日本語表記からすると格好悪くあります


 「連勝を重ねた軍隊は次の目標を○○に定めた」
 「私たちは勝ち進んだので次は○○を攻略する勢いだ」

 主体+「は、が」とした文体に置き換えると逐一接続詞を噛ませる用向きになってきます

 (日本語としては、圧倒的に見苦しく見えてしまうどえむ‥横文字でどうかなど知らんがな)


> 外国帰りが、この漢語(熟語)を格好良いと思い出してやりだすのが和製英語‥
> さらには、知らない日本語の領域を埋めるのに、得体の知れない独創性を噛ますことにも
> (そのスイッチは、やはり駄洒落でしょう)
> (「シックス」と「セックス」の違いを嗤い合う連中と付き合ってきたわけですからね)



1-2)1

> 「私にお任せあれ」‥これはどうでしょう?


 ‥まず日本人の脳内では、言語的に三つの選択肢がはためきます

 ・了承
 ・依頼要求もしくは願望
 ・応答(前向きとした気持ち表現)


 ‥単に「了承」なら、ポピュラーな表現に「イエス、○○」があります
 丁寧な日本語なら「はい、承りました」でしょう

 ‥でも、命令形に判定されると
 「仕事を回して下さい」「仕事を寄こせ」と解釈されかねないわけですが
 日本人同士でそんなニュアンスは1ミリもねぇ(心の声としては、あるかもだけど)


 ‥どう考えたって「応答」なんですよ
 だがしかし、其を主体+「は、が」とした文体に置き換えようとすると
 当然として思考停止に陥るわけですね

 そもそも自信たっぷりに使うと、誤解されかねないし、失敗した時の閥が悪いので
 大抵は「了承」の意を込めざるを得ないわけですが
 なぜか「応答」したい日常会話になると、どのように横文字に並べるべきか?
 という脳内停止が発生するわけです


 ‥単純に「任せろ」「任せとけ」が思い浮かぶにしても
 それ程に自信が有るわけでは無い

 丁寧な言い方として「お任せ下さい」が思い浮かぶにせよ
 途端に「Please」にどハマリするわけで、そしたら、依頼要求にしか見え出さない

 依頼を受けた直後なら尚更に‥「こいつ馬鹿なのか?」「今更こちらの要求に異論が有るのか?」
 という印象になってしまうわけでーす



1-2)2

> で渋々、ニュアンス折れやらかしてたら、日本人は皆イエスマンと言われるようになり
> あれこれ前向きに検討してみたいと言いだせば、先方は了承されたのだと思い込む


 ‥ならば、ネイティブの現場だと
 直接的に「私はこう思うので、こうするべきに考えます」を主張するのでしょう
 そこでは、了承したと勘違いされるような言い方をまずしないということでしょう

 ぶっちゃけそれは、「NO」から始まったりするのでしょう(知らんがな)

 ‥ところが日本人の多くは、即興で具体案・代案・意見を挙げずに
 前向きに検討したい風にやらかすわけですね
 「持ち帰って検討させて頂きたい」と表現しても、その多くが「YES」「OK」前提されて来た‥


> 日本人のニュアンスで翻訳しようとしたくても
> 横文字の世界では、それが成り立たず若しくは無用でしょう


 ‥伊達に、日本の技術をガラパゴス呼ばわりに揶揄していたわけではない
 (「お前らのその手の感情表現は国内だけでやってろ」‥言われて来たみたいな)

 ‥あちらの文化で通したいのは、自分ちの都合だけ
 (折れたら奴隷、勝ちゃ主人だと思い込んできた遺伝子が、チラホラしちゃってるわけである)
 (仲良くやるのは奴隷同士の変わり者ぐらいにしか思っていない草‥とくにエリート層)


> 「どうして残念な下っ端言語を学ばにゃならんのや」と思っていては‥学習など捗るわけが無い


 ‥まぁ科学表記ともなると、日本語よりずっと利便性が高いんだけど
 (そもそものラテン語が、科学ニュアンスの理解の為に降ろされた話でーす)
 ({科学}={白黒ハッキリさせないと気が済まない世界}‥という所の鏡似性に思われます)


 ‥多霊族親睦用途とした日本語のそれとは真逆なので
 曖昧になりがちな部分の白黒ハッキリ変換を心掛けないと、逆に足元を掬われるのでーす
 (それを国内向けにやらかすと、角が立つわけどえす)

 ‥哲学でやらかす分には、全然OK‥「ひろゆき」なんてまさにそれ草
 でも、日常で角を立てまくっても気にせずは、哲学テーマも其れ同然としていて、お子様草さ込み
 (というのが多霊族親睦用途の日本語立場からの見方になるわけどえす)


> 言語には歴史が付きまとって形作られてあるのだから、歴史を学習させないAIでは糞でしょう
> だが、それを織り込ませようとすると、とても恐ろしくてできないのが現代翻訳の壁なのでーす



posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:50 | Comment(0) | 日記/2023 | 更新情報をチェックする
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