2023年06月20日

【哲学】「私とは何か?」を問う以前に「私はまだ無い」だった

↓4)記稿.2023/06/20

> 地上の側で「私とは何か?」を真面目に哲学やらかそうと
> 地上が実験場で、私たちは実験体としてのサンプルで、まだまだ未成熟品とした扱いになると
> 何をどう意識しようと‥「私はまだ無い」‥と返答すべきが潔い


 ‥まぁそんなことを言い始めると

 私なんてまだまだ無いわけですから、自立した存在としては扱えないので
 法で裁くにしても裁く意味なんて有るのでしょうか!?

 てなツッコミをしたくなるものだz
 でも、未成熟品の調整とした枠内での扱いはされるので
 それはそれだが‥私たちの知る善悪観(閻魔大王観)で‥裁かれる意味とは随分と異なってくる


 (つまり死んだらどうなるかは、実験側の奇妙な判定に基づくのみ)
 (私の悪業はまだまだセーフでしょうか?)
 (私の頑張りは失態分を上回っているでしょうか?‥などと訊いても‥答えるわけが無い)
 (そんな質問しか思いつかない時点で鼻嗤い扱いだろうz)


 ‥実験中のサンプル体に求められているのは
 「完成を目指して大いにやり給え」という本当にそれだけらしい

 ‥この完成(完全覚醒)とやらが曲者で


> 自分自身の手で、私たる塩加減・火加減とした仕上げをするべし
> それこそが、実験側の大いなる慈悲と言わんばかりだ


 つまり、仏陀が語るような慈愛とは性質が根本的に異なっている
 (ならば大乗仏教自体、弟子のやらかしだし、予定外の亜種の部類の扱いかも知れないz)
 (そこまで必要になるなんて、実験側も想定していなかったって所だろう‥)

 (それにしたって、完成とした実感までは、その判定を‥私がしているようには見えてこない)

 (ゆえに目の黒い内になんてせっかちが、天国内定を欲しいとばかりに宗教に奔るのだろう‥)


 ※ 真我入りと天国入りは全くの別物でーす
 天国入りは、その都度に転生義務ありき
 真我入りは、それこそ免許皆伝‥ご自由に‥(だが実態は‥じゃ遠慮しておくよ‥みたいな)

 (これを「進撃の巨人」に例えると、優秀な奴ほど中央配属で実配備されず終いな)
 (まさに天国入りは、「自由の翼」上等で、地獄に向かう戦力扱いなわけどえす)
 (いやぁなかなかどうして‥坐って御座いますシステム‥っすよねぇ)



1-4)1

 ‥なので目指すべきはそれこそ
 善でも悪でもなく、只単に私らしいとした気まぐれだらけの日々だって上等に違いない
 其れを天上の上から「詰まらない」と一蹴されようと
 とくにお咎めが無いなら、「それはそれ」‥と思えばそれだけだろう

 だがしかし、地上地獄(戦場)での楽しみを優先にするばかりの大抵の多くは

 ‥あの世なんてあるわけねぇ
 ‥死んだらそれまでなんだから、好き勝手勝ちだ
 ‥誰も裁かねえんだったら、奪い盗ってでも勝ち抜かなきゃ損損
 と思う無慈悲屁理屈に成り下がる口だろうから‥それはそれで、見透かされてあるのだろう


> そもそもにおいて、仏陀は突き抜けていたとの評価だ
> 仏陀までを求められていないにせよ、お手本とした方向性はそちら側に在る


 だが、お手本以上になれないからとして諦めた姿勢は
 どうしたって、不合格な気持ちを背負っているのに近しい感じがしてなんか悔しい

 この悔しいとした感覚は、実験査定側にもそれなりに付きまとって有り
 そういう所も新たにチェックされてしまうだろう‥なんという悶絶‥

 ‥だからだろう
 いつのまにやら嫉妬遺伝子やらと新機軸を盛り込んで、さらに人間の様子を観るに至った
 (実験側自身のその辺りの反応を、人間を代替して予想するわけどえす)

 (そう言う話が湧いてくると、宗教不要どころか、哲学も無駄に相違なし)
 (そりゃもう、真っ直ぐに生きるのが手頃になる)


> ぶっちゃけた云い方をすれば
> 完成への道、真我への道、つまるところの手前の関もとい宿の「神道」でしょう



1-4)2

> 日本人には哲学が無いのではなく、八百万の神の末席に付くことこそがテーマだった‥みたいな


 ‥この地上的に「どうそそのかして名声を集め、好い思いをするべきか?」という
 洗脳的西洋宗教、洗脳的西洋哲学とした諸々は、始めから無用の長物だった

 八百万の神とした協力体制ありきに比べたら
 それこそ「私などまだ無い程遠い」としてへりくだるばかりの寄り合い上等だった


 ‥だがどっちも未完成とした有り様のままだった
 だから両方をぶつけて凌がせるようにしたのが「科学」だろう

 だが、八百万から学んだお膝元とて、意外や意外、科学万能にかぶれた(列強追随→G7追随)

 そしていつのまにやら神前観も一変し
 お願いするだけの神頼みだけの都合の良い便利屋か何かに据える程度にまで及んだ(儀式&御輿屋)

 (其の儀式&御輿屋とした感覚こそ、西洋貴族特有の利権主義だったくさっ)
 (もはやそこには、神々への敬意など微塵もねぇ‥現に民族とした血もすり替わってるくせぇし‥)


 ‥国会劇場にしたって、政痴屋だし
 ‥なんにせよ、やらかしているのは、国債云々が大なんだからなあ
 ‥借金が前提で、返済のための市場演出であって、貸し手への忖度なんだからな

 (その貸し手側の大元が実は借金まみれで、終に通貨信用ありません‥なので重税要求へ‥)


> そこでは、確かに、何にも学んでいなかったのに等しかった
> それこそ人には無限の可能性があるのに、否定して、洗脳ありき債権ありきだったわけである


 ‥信教の選択の自由などむしろ亜種(結局は財務教なんだからな)
 人として保つべきは‥完成までの道のりへの選択の自由とした信仰精神だったはず‥
 (てめえの描いた信念に、てめえが信じて突き進む日常生活だった)
 (それは別に幸福になくったって良い、極々平凡にいい人をやらかすのも有りなのだ)

 (もっとも、オリジナリティにいい人を考える向きは少ないようだけど)

 (地上のインチキ国家体制としては、単に納税の義務一択だけどな)
 (だがそれは、あの世の派閥体制になぞらえられる政争だったりする)
 (得られるエネルギーは大いに越したことは無い、じゃ、吸い上げようみたいな)


> まぁ調子の良いことを言い出す輩の口癖こそ「皆で一緒にやりましょう」だった
> で、そこを債権ありきにすり替えてやらかしてきたというだけのノリだった



1-4)3

 ‥世の中は派閥ありきで、学校の教育からして其を当然のようにしてある
 それでは、個々に信仰精神など培えるわけが無い

 培えるとしたら、忠誠心とした派閥洗脳、お家洗脳、ブランド洗脳とした洗脳教育だけだ

 成績に忠実、拝金に忠実、名誉に忠実、その為だけの能力査定
 それ以外に活力を湧かしてはいけないとした‥お互いに思い込もう忖度教だった

 (本当の意味で優れていなくても、継続的に貢献する意欲が高ければ評価は高くなる)
 (それは派閥以外の者らの人権を破壊することでも値する)
 (敵対状勢とはそうした流れを指す‥市場競争とてまた然り‥)


 ‥実験側からして競争しているから、秘守義務からして、相似形でだまくらかしありきだ
 派閥が駄目とは、天上界の上からして、口が曲がっても言えないわけどえす

 (但しこちらは、ニッチな用途でどハマりすれば、そつなく優秀扱いをしてくる)
 (この世の側でやらかしている規模云々なんかとくに不用)

 ‥但し、当人の運気を上げるに至るには、実績にたる経験数をこなす必要は伴ってある
 (単に実験側から「奴は好いですからね」と‥気分だけで推す仕組みには無いのだ)


> あくまで完成させていくのは、当の本人のやる気任せという次第だ
> 善だろうと悪だろうとそれこそ公平に、神々とて、ユニークな視点で観察している


 たまーに見せるあいつの仁義は、あれは一体何だろう?
 どこにツボがあるのかな?‥みたいな
 そんなどうにもアバウトな要素に対して、八百万の神の誰かが無駄に共感したりもするわけである

 (ゴキブリを見たら100%殺虫剤で殺してやる‥なんて単純さには誰も興味をそそられない)
 (そんなのは、それこそ人工知能くささの一つでしかない扱いだ)

 (それをいつの間にやら、用立てた緩急の差すらも、差別と罵るようになったのが現代社会だろう)

 (そうなると世の中に緩急は生じ得ない)
 (徹底的に排斥するか、全面的に平に容認するかの白か黒かでしかない)

 (翻してみれば、その手の緩急に大いに注目して多様性を得てきたのが神の理屈だった)


 ‥だがそれとて、実験評価云々とした見方や可愛がりようであって、それ以上でも以下でも無い
 だからだろう、私たちの世界とてお得・お気に入りにならないようなら無関心である事が多い
 (その上で、蛙の子は蛙みたいな事情をカルマ見立てとして‥?な先の完成を目指すのだ)


> 実験だったから‥尚更にその辺の偏った可愛がりように誰もツッコまなかったけど
> 始めてツッコんだのが仏陀あたりだったのだろう‥「もっと慈悲を」だそうです


 (と言うことで、仏陀以降、完成の意味する度合いがまったく別物になったくさいでしょう)
 (ただのユニークさ上等から‥随分と意味が遠のいたみたいな)



1-4)4

> そんなわけで、誰かにお願いするには「礼」に始まり「礼」に終わるのが筋になっている
> これこそが神道の神道たる基本中の基本だ


 (アイコンタクトが素敵‥などとお花畑をやらかしたかろうと無理、無駄、無能)
 (其は、アイコンタクトが来るのを待つ以前の姿勢としての問題だよ)
 (神託待ちなんざもってのほか‥みたいな)
 (サッカーに例えたってそうだ、てめえも一緒に動けていないとアイコンタクトも糞もねぇ)

 (でも恋愛事情は、顔云々だから‥明らかな中身期待ハズレでも)
 (どうにか認めようとばかりに、アイコンタクトしてからの反応を許容にする謎が絡む)
 (そんなのは、どんなに甘く見積もったって、ポンコツ関係のままですから)

 (そこで、きちんと向き合って「お願いします」というカタチが理想になるわけどえす)

 (失敗する夫婦関係ほど、その手の基本がまるでスルーだったりするわけです)
 (アイコンタクトし合えてこそ「愛」なのよ‥みたいに思い込んどるどえむ)


> その有り様を哲学せずに、矜持を欠きつつある日本国など堕ちてよし‥みたいな勢いだろうz
> (支配側で教えるのは、挨拶の正しい行い方・カタチ程度なんだから糞)


 (いやぁまぁ、天上界でもカタチに煩い所はありますけどね)
 (そこをどんなに叩き込まれても覚醒には程遠いわけですよ)

 ‥でもまぁカタチから入るのも神道でござい
 ‥だったら格差要らねぇだろう、真っ先に何とかしろよでござい
 ‥カタチからすら、公平に入れないという実勢ほど、国家としての恥は無いんだz(ここ重要)

 (自由が良いとか抜かしているのは、公平の意味する質の悪さから来る不満尽くだから)
 (自由に借りたカネで勝ち抜けしてる側の資本社会絶賛でしかないから‥お間違えなく)


> はい、もう一度唱えましょう
> 「礼に始まり、礼に終わる」‥それが神道である


 ‥黒船以降の悪辣な科学導入で、「礼」としての適切な度合いやら間合いを保てず崩壊しそう
 崩壊が続くようなので、「自由」を取り入れて、ヒトの勝手任せに委ねた‥みたいな

 (まぁそういう風に頭を巡らせてこそ「哲学ありき」と言えそうですが)

 (八百万の神からしたら「妥協」なんですが、「試錬」と‥すりかえもありそうどえす)
 (頭からなんでもかんでも有り難がっているだけだと、それすら理解に届かないどえむ)


> すると、耐えれば済むはずだった「妥協」も、終わりなき「惰性」に様変わりどえす
> (ハイ、令和の日本状勢がまさにそれ)


 ‥まず、てめえからして「礼に非ず」にも関わらず、始まる前から有り難がってるとか糞
 (ぶっちゃけそれが出来レースっちゅう格差だから)

 (てめえから礼に始まろうとも、周りが礼に終わるまで有り難がってはいけません‥みたいな)
 (なら、自分の信じる礼にて始められないと思ったら、丸々全部ぶん投げたくもなるわけどえす)


 ‥礼儀に欠く輩を見ては、正義の鉄槌を喰らわせたくなるなんざまさにそれ
 (だがしかし、「機会を待つのも礼」だったりするわけどえむ)
 (お互いに理解の得られる事案を得られないままは、同じ失敗を繰り返すだけですからね)
 (だがしかし、誰もそこまで悠長になんざ待って居らん)

 (そういう意味では、「私にこそ集中しなさい」と言わんばかりだろう)
 (だが大抵の多くは、横並びにポチぃ洗脳のモブに成り下がってある)
 (その手のストレスはとても無駄なのに、モチベーションだからとしていたりする)


> そもそものストレスと化するのも
> 折角手に入れたのに、別角度からの頑張りで、途端に無価値に成り下がるから
> (それって、つくづく礼で終われる状況には無いわけで、どうしたって糞屈辱でしかない)


 ‥つまり、てめえの好奇心の抱き方からして、礼にて終われるように
 私を誘導できないのではとても「私は在る」をやりきれないのである(対人関係はとくにそれだ)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:11 | Comment(0) | 日記/2023 | 更新情報をチェックする
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