2023年08月23日

【卒論ネタ】日本語は誰がその主語を用いるかで、動詞から助動詞の意図までセットで変化する

↓3)記稿.2023/08/23

> 日本語は、擬人化・擬態語表現が豊富なのに
> その古典はなぜか、貴族中心なものだから、助動詞の使われ方が偏って解釈されてきた
> ‥とまぁ定義してみよう


 ‥曲者は
 「り」…完了・存続の意味をもち、ラ変型の活用で、サ変動詞の未然形、四段動詞の命令形につく。
  ら/り/り/る/れ/れ

 「ぬ」…完了・強意・並列の意味をもち、ナ変型の活用で、活用語の連用形につく。
  な/に/ぬ/ぬる/ぬれ/ね

 「む(ん)」…推量・意志・適当・勧誘・婉曲・仮定の意味をもち
     四段型の活用で、活用語の未然形につく。
  ○/○/む(ん)/む(ん)/め/○


 この辺りが、貴族と庶民で違っていたくさい
 文語と口語でなくても、音が被りやすい事から、地域差が生じやすく異なる癖が出るっぽい

 それで、煽りを受けるのが

 「ず」…打消しの意味をもち、特殊型の活用で、活用語の未然形につく。
  (ず)ざら/ず・ざり/ず/ぬ・ざる/ね・ざれ/ざれ


> なんで、「ず」が二種類に変化してるのかってえと、そういうことでやんしょ‥



1-3)1

 例えば‥‥走(る):ら/り/る/る/れ/れ

 「走りぬ」→「走った」、「走らぬ」→「走らない」
 間違えやすいので「走らざる」を使っていたくさいと‥

 「走りき」が、突然として廃れ
 「走りたり」「走りけり」を常用する様になると
 「走りぬ」が特定地域に追いやられ、「走らぬ」が好まれ出したみたいな

 そしたら今度は、「走らむ」が怪しくなった
 いつの間にやら、どっちも「走らん」で押し通す始末で糞っ

 結果的に、「走らむ」が追いやられて、古典扱いの都落ちッス
 (ATOKよ、古典変換機能はまだなのか?)


> そして


 「走れり」→「走っている」様を語っていたとなると「ら抜き」ではないのだ
 走れ(命令形)+り(助動詞)
 

 「早う、走れ、走れ」
 「我、今、走れり」(‥ああ、面倒くせぇ‥今、走ってるでやんすよ)


> 起(く):き/き/く/くる/くれ/きよ(上二段)


 「早う、起きれ、起きれ」(り助動詞の命令形口調から派生した「きよ」の訛で「きれ」方言?)
 「我、今、起きれり」(‥ああ、もう‥今、起きましたとも)


 ※ 明治の学者が意図的に「きれ」に該当する全部を排除した可能性が高い
 「きよ」で十分だろう‥みたいな(文豪のやらかしかも知れねぇッスよね)


> もしくは、上一段と上二段の違いがそこに隠れているのかも?


 ‥まさに卒論に相応しき仮説でしょう
 (今なら江戸期庶民の崩し字文献を漁ってみるのも有りでしょう)



1-3)2

 庶民は、昔から、「走った」「起きた」行為にわざわざ敬語表現を用いず
 敬語表現を使うのは、専ら公家・武士の格上に対する言葉使いだった‥

 だがそれとて

 「走られた」「起きられた」なんて使うわけが無い
 それこそ階級社会風に‥思い込んでいるだけかも知れないz


 「殿は、まったく動かれぬのう」
 「殿の馬は、まったく走らぬのう」

 「儂がちょっくら走って行ってくる」
 「おめえの馬を走らせて行って来いよ」


> ようやく起きれるようになったか(単発ら抜き表現→り助動詞の連体形
> やっとお目覚めになられましたな(階級社会風表現)


 ‥↑の二つはどちらも間違ってなどいない
 庶民が日常から使いこなしてきた表現と貴族社会との差を思わせるに十分な違いがあるだけだ

 ‥逆に述べると、貴族社会の方でこそ
 「ようやくに起きられる様になりましたな」‥などと風に用いていたかどうかの方が怪しい
 「ようやくに起きられる様になりましたな」‥などと風に用いていたかどうかの方が怪しい


> そもそもに、用いる動詞そのものが、庶民と貴族で異なっていたくさっ


 ‥なので
 「ようやくに起きなさったか」(なんか偉そう、でも丁寧、其が庶民のもてなし調だった)
 「ようやくに起きよったか」(庶民の日用調‥あくまで命令形流れにあるのがくさい‥)



1-3)3

> とまぁ敬語は、文語偏りで、口語で用いぬ謎言葉だらけなのだから
> 貴族文語こそ正解で、確実で、絶対的に正しいのだ‥とする根拠にわりと乏しい


 ‥貴族と庶民の比率なんて昔から1対99なんだからな
 民主社会でもそれが通じると思ったら大間違いだ!!

 とかなんとか言いだせば‥神界がこぞって機嫌を損ねるに違いない!!
 そこの所の気配りをこなす気概に疎くなっているのも現代社会ですもんね


> 本質において乱れているのは、神前への敬いと呼応すべき言葉遣い
> 国語の基本が、そこの礼節に始まるというのに、其を知らんとしたそもそもが危うい


 ‥お上からして、ザイニチすり替えで、欧米追随で、一神教ポチで
 礼節を欠くが如き無能ぶり‥と腐ってるんっすから、乱れて当然っすよね♪

 (まさに、お上から民衆まで、どっちもどっちの‥どうにも鏡似性にござい)
 (国替えで殿様が変わると、方言にも影響したと考えるべき現象がそこにある
 (宮城県や秋田県あたりどうよ)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 02:24 | Comment(0) | 日記/2023 | 更新情報をチェックする
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