2023年08月25日

【宇宙全史】植物にだってエゴはあるのだから‥まぁそうなりますよね‥

↓5)記稿.2023/08/25

> ‥ぼつぼつと‥エゴについての話が登場してきておりますが
> 五感を通した反応が脳に上がってくる際の「好き・嫌い」の取捨
> 詰まる所の記憶の取捨??


 ‥無責任にも、忘却の彼方に去ってしまった件についてはエゴでは無いと
 言わんばかりの茶化しも見られますが、否否、忘却にも質の差があるでしょうに

 ‥思い出せないからってね
 思い出したくねぇからのすり替え脳だってやらかすでしょう
 そんなの心理学的に有り有りッスよ
 (てめえの都合の良いことしか覚えちゃいねぇ奴はいくらでも居る‥みたいな)

 (欲のツラ凡人ほど、てめえの負けを想定した思考を含めてねぇからな)
 (負けべそになってから‥即行でやらかすのが、枝切りとした切り捨てどえす)
 (それは、忘れちまうんじゃ無くて、始めから脳内に蓄積せずなだけ)

 (仮にそういう風に魂がカスタマイズされていても気にしない根性なだけ)
 (「どこも同じでしょう」を理由に、そこから先の諸々を回避してるだけ)

 (レベルとして高尚さを見せると、無駄に一つ一つを覚えていたりするみたいだけど‥)
 (でもまぁ、記憶力としての強み止まりでしょう)
 (記憶力は高くとも、判断力も独創力も湧いてこない‥だって祈りもねぇし慮ってもいねぇし‥)


> まぁそんなこんなで
> 今ここでは、五感とした反応を示すのは人間ばかりじゃねぇとした所の着目をしましょう


 ‥例えば、植物です
 植物にだって意思があり、エゴが付きまとうわけです
 ならば、エゴが濃いと、美味しく育ってくれないみたいでしょう

 なので、「植物のエゴを薄くしてあげよう」‥農業としたテーマが立ち上がるわけです


 ‥そう考えるとまぁありましたよね
 音楽を聴かせてやると、それとなく美味しくなるみたいな話

 (昭和と平成の間辺りに、それとなくソニーCDxカラヤン時代の余波だったかも)

 当時としても、物質とエネルギーな科学で観察してると「?」なお話でしたん
 信じる方にしても「どんな音楽が良いんだよ?」‥悩ましいみたいな

 (でもいつの間にか下火になり、そんな話は聞こえなくなりました)
 (その頃から葬り去る方向に‥日本の農政を締め上げ始めたくさいと‥)
 (野菜にまで音楽を聴かせるなんざ、日本の農家は調子に乗りすぎだッ‥みたいな)


> 其を‥エゴが薄くなるから‥として捉えると「なるほど!」‥目から鱗に切り替わるお話


 ‥例えば、連作障害です
 人間にしたって、毎日毎日同じ食事ばかりを口にしたくない我が儘があります

 (交易量がほとんど無かった時代は、それこそ地場の食材のみの毎日同じ食事内容だった)
 (異世界の貧乏暮らしそのまんまのやつ)

 まぁ連作の場合には、どうにも土中のエンドファイトたちにもそういう欲求が有る予想になります

 (科学的には栄養成分の偏りだろうと言われているのだろうけれど)
 (でもそれだと、肥料の与えられず終いの土手辺りの草の繁茂を説明できてねぇんすよね)


 ‥荒れ地だからって、草刈りしてやるだけでも、結構な下克上を展開しまくるのが草地です
 そりゃまぁ、ヒトの植えたい種ばかりの世界以上のそれらが居るのですから当然です

 エンドファイトらだって奴隷か何かじゃ無いんだから
 農家の専属になっただなんて‥思っているはずが無いので、色々とした変化上等なのでしょう


> そう考えると、エゴを薄くしてあげる創意工夫が欠かせない世界こそ農業になってきます
> なんという青天の霹靂なのでしょう



1-5)1

> でも、何がリラックスとした方向性にあるかは
> 何がリラックスの引き金になるかについては、ケースバイケースでどうにも不明どえむ


 ‥トマトの根元に負荷を与えた方が甘くなるにしたって
 それでやる気スイッチの入るリラックス状態なんだとしても
 カンカン照りとした負荷とは又違うわけでして

 すべて人情やらかしな思いこみ解釈だけでは、どうにも通用しない世界でしょう


> 子育てにしたって似た話でしょう


 てめえの育ち方一つを眺めて、振り返ったとて
 もっとああすれば可能だったろう‥選択支からして怪しいですからね

 それでも概ねの傾向はさして変わらず、変えられるとしたら
 てめえのものの見方をどうやったら変わっただろうかという端境ポイントの移動ぐらいでしょう


 ‥相対性理論と聞いて、漸くに、相対的な思考をするべき何だなあと
 言葉の綾からのスイッチが入るぐらいなもので
 それまで、隣の人のことなんて、てんで頭に無い競争脳の後の祭り性格に育ってたわけですよ

 (てめえのその恥ずかしさを、他人のスゲーに置き換えて、思考が停止する癖があるのみ)
 (そこに一体感を思い込んで希望を得たつもりでも‥現実は‥)
 (行政が何とかすべきだろうVS民間に丸投げしてしまえば良い‥「やってる感バトル」どえす)


> エゴが薄い方が良いにしたって、視野が狭くても良いとまでは語っていません
> 逆に、エゴが薄くなると勝手に視野が広くなるとも言い切っていません


 ‥どのぐらいにまでエゴを薄めると
 どのぐらいのお得(能力開眼)になります的な物言いを断言したところで無意味どえむ

 (兎にも角にも、自惚れの濃さを薄めるにも、一にも二にも経験値ありきでしょう)

 そういう意味では、人付き合いほど恐ろしいものはありません
 もとい、ありがたい次第もありません

 (何はともあれ、騙し合いの世界に放り込まれてしまってあったのですから)


 ‥そんなこんなで‥「失敗ありき」で一皮二皮向けたなあ自分‥と思えば
 始めから「失敗ありき上等」とした視点をお子様の段階から有していたなら
 相当に聡い人生を選択できたに違いないなんて思う所にありますが(そこがまた謎になります)

 (世の中には、根っからのポチ上司が配属されてくると言う不思議があるどえむ)

 (ポチ上司の常は事なかれ拝金主義で、その上にはお家ブラック経営が立ち聳えていたりと‥)
 (そうなると、誰だって‥前向きに嗤い飛ばすお花畑脳になるしかねぇみたいなオチでしょう)


> 「お得が乏しいのでは無理ッ脳」とした‥濃い目に同調やらかすエゴ連鎖がそこに座して来た



1-5)2

> はい、植物に話を戻します


 植物にある特定のエゴが反応して、四季の好みが発生していると仮定すると
 其を薄くしてあげると、四季を問わずに、育てることが可能なんて説にも成りますよね

 (異世界植物あるある脳天気ドリアード・パワーみたいな)

 まぁだからといって、それで野性味の強い味を引き出せるのか?
 という人の側のエゴをぶつけてやると、途端に、特定のエゴありき上等のままにハマります

 (異世界あるある土魔法が使えないご苦労様みたいな)


> その裏を返せば、その手のエゴをぶつけあって来たのが、有史の戦争文化だったでしょう


 (野性味の強い人間性の方が大好きと言わんばかりのそれ)
 (恋愛観じゃなくて、自衛観・戦争観に結びついてくるそれ)


 ‥まぁだからといって、其を更にひっくり返すと

 四季を問わずに育つともなれば
 環境差をものともせずに、どの種も大きく育つのと同義になるでしょう

 (現代社会の上から目線&格差あるある)

 ‥それが「当たり前でしょう」に陥っている脳内ともなると付け上がるどえす
 で、「何が目的で、何をやらかすの?」てな流れでの混乱あるあるに‥

 (そんな社会を「平和ですねぇ」とはとても言い難い)


 お気楽すぎての好き嫌い放題あるあるなんてエゴ盛りですから
 社会全体でそれなら、そりゃ「巡り合わせの不一致」が甚だしくなるばかりパターンでしょう


> エゴが薄くなったのなら、それら巡り合わせの不一致が薄れる方向に無いのでは困ります!(喝)


 ‥社会現象諸々と‥困ったままにあるとしたらエゴが濃いままでしょう
 若しくは「エゴの濃いところと縁が濃い(欧米化)」‥若しくは「好みがそれ」な何かでしょう


> ‥というところで、作物側に選択肢の得られ様が無いのですから
> 栽培者側のエゴも又薄くしないと、植物のパフォーマンスも上がらない話になってきます



1-5)3

> ならば、時代の空気もとい地球の指針が変わってしまったのなら
> 昔ながらの農法に裏付けなど無きに等しい状勢も予想の内と言うことでしょう


 (なんで同じ土地柄なのに、天気の湿り気が全然違うの?‥みたいな)
 (数キロ程度しか離れてないのに‥うちの畑はカンカン照りなんですけど‥みたいな)

 ‥例えばそれは、ラウンドアップ×遺伝子改良=低コスト‥方針とか
 ‥種も苗も輸入しろ!それ以外は認められない‥真面目にやらかしてますとか

 (実は生態系にまずいのに、鵜呑みで、それらでも儲かれば其れでいいとだけに思っていると)
 (植えた作物全部を、もはや天気に殺されるみたいな)


> 栽培者側のエゴが強いと、育ち難くなる‥みたいな


 でも、エゴだなんて説を理解できないともあれば、他の理由を引き寄せるばかりでしょう
 昔に容赦なき人達はこう叫んでいました‥「神様の依怙贔屓や」と‥


 ‥「それ、どんな定義での神様やねん?」
 「それ、あなたの知ってる神様の名前を挙げてるだけですよね?」
 「あなたの願いやら祈りが、どこに届いたかまでは精査してませんよね?」みたいな


> 地球の指針が、もう戦争史も略奪史も要らない‥
> 「お前らいい加減にエゴを薄くしろ、この星は人間だけのものに非ず」に切り替えてあると


 頑張ろうと思っていてもエゴが濃いままでは
 命運的に狙い撃ちされて、「燃え尽き症候群」オチにもされていそうです

 なにはともあれ、誰だろうと

 地球に落ちてる何かを拾って売るんでやんしょ
 其を「乞食」とは申さずに‥「利権」と偉そうに申しております
 それでいて、土地土地に挨拶が無いと「泥棒」呼ばわりッスよね

 地球のボスは地球なのに
 てめえらからして、てめえのルールに違反して盗んドルどえす

 其をキチガイにも「いいやボスは俺たちだ」と言わんばかりに
 「なら、地球をやっちまえばいい‥」とばかりに環境破壊まっしぐらどえす
 「なら、火星に脱出だ」とばかりに次代のトレンドを持ち上げる始末どえす

 (道理の通し方が、どうにも糞野郎そのまんまゲス)



1-5)4

> 今やエゴを薄くするだけで、天上性同調を得られるとしたら、薄くするっきゃありませんよね


 ‥その為にもまず、何がエゴであるかを理解するところから始めるべき
 としているのが宇宙全史どえす

 そしてそれは、エゴを薄めたという状態の実現に非ず

 ‥「エゴを薄めるとした継続」にあるどえす
 「平和の祈りに終わり無し」‥まぁそういう空気でやんすよ
 「私にも終わりなきお役に立てる何かが有るはずです、よろしくお願いします」‥意気込みでーす


> 正確を記せば、「真我への道」と「平和の祈り」とでは、到達想定の趣が異なります


 「真我への道」は、ぼっち上等でも‥「平和の祈り」は、ぼっちのままではあかんのどえす
 そういう違いがクッキリとして在る

 (どんな神だって、新しい思考・着眼に出会う為には、そこからの出発みたいな)
 (宇宙の側に、エゴを薄める思考を続けられない脆弱性とした克服すべき課題がそこに有るどえむ)
 (それが、自我を纏った上での宇宙ゲーム&人生ゲームだからどえむ)


> ゆえに


 人間、誰だろうと、腹が減ったら襲って喰らう本能に晒されます
 腹がくちくなったら、ごろんとして過ごすのもまた本能に晒されます
 (そこはまぁ神とて同じ様相らしい)


 ‥なので、とくに人間の自我が、本能に晒されるままに身を委ねてしまえば
 まぁ怠惰に生きたいと思うわけでして、「力こそ正義」止まりの思考オチやらかします

 (難しく考えるなんて「無駄」と思ってやり過ごしてるぐらいのそれですもん)


 ‥それで今どきに行き着くのが
 毎日毎晩と職人的きわみ作業なんてしんどくって向いてないしするので結構ですから
 手っ取り早く、週休二日の管理職下さいと思ってるぐらいでしょう

 「命令すれば良いだけのなんて素敵なお仕事かしら」類がブラック経営の本質だったりでしょう


 ‥支配側が、自分が一番に強いままで居たいなんて思ったが最後
 「下々にこちらを思考させないことこそ一番だ!」大作戦を仕掛けるのが日課どえす


> そんな世界でも頑張ってみるのもあり‥と思ってきたのが
> ちょっと前までの「地球」だったどえむ



1-5)5

> 地球が、急に方向転換した細かきを述べると‥それこそヤバイ世界だった話になりますが
> その世界では、「天上性同調」なんて、ほとんど機能してなかった


 ‥努力してもほとんど報われない世界だった
 ちょっと前までそういう縛りのある世界だった

 でも、エゴを薄くすることに慮っていると、積み重なって見違えてくるのが今よりの世界どえす


 ‥まぁ地球の性格上、アレもしたいコレもしたい、でも、止められない
 とした空気を醸しつつ、「エゴを薄くしましょう」音頭にあるわけです(いやぁ無いわ)


> それはまるで、チートな異世界主人公を得て
> 水を得た魚状態に頑張る人たちの謎をそこに垣間見るみたいな(不可解しいでしょそれ)


 ‥あれほどに怠惰上等だったのに‥あれな連中どこ行ったん?
 地球にスイッチが入るとは‥そういう時代の幕開けみたいな

 (まぁ実際のところは、てめえにスイッチを入れる為のコツが「エゴを薄くすべし」‥どえす)


> 従来の我慢ドM→やる気ドSのチェンジ原動力は「カネの多寡」でした
> これからの我慢ドM→やる気ドSのチェンジ原動力は「地球感の多寡」でしょう


 ‥「それがやりたいというのなら、どこか他の世界でも良いのでは?」
 肯定されるのでも無く、否定されるのでも無し(斯様にも奇妙な感覚を裏付ける技術ありでせう)

 (初期の異世界ファンタジー群は、それの先駆け感とした流れくさいでしょう)
 (諸々戦闘狂バトルしたければ、もはや余所に行ってやってくださいみたいな)


> ゆっくらとそうなるのが望ましいのか、一気に来るのが望ましいのかなんて‥知らんがな‥
> (其は、植物を見ていれば推し量れるかも知れませんけどね)
> (気象の変動も激しいので、地球全体とした俯瞰が大事でしょう)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:11 | Comment(0) | 黙示録 | 更新情報をチェックする
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