2023年12月01日

【ツッコミ隊】加害者側意識VS被害者側意識のすれ違い

↓2)記稿.2023/12/01

 ・加害者の想定は、幅が広く何を定義しているのかで語弊を伴うが
  大抵は、被害者側への謝罪意識に低いとした傾向を見せる
 ・一方、被害者側の意識は、その手の態度に謝罪の念が見られないことを残念だ空気を見せる


> この二つの心理の間には、特定な平行線があるのだが
> 奇妙にも‥誰も歩み寄ろうとしていないというか‥把握しようとしていない
> (その点は、心理学も脳科学も思いやりも糞もねぇ)


 ‥加害者の心理には
 頭からの殺人鬼と、切羽詰まった生活からのヤケクソに二分して、募らせている澱が伴う
 (それはもう、手を染め出して慣れだすと手が付けられない方向へと向かうだろう)
 (野生の本能重視というかなんというか‥世の中の本質だってそこだろう‥みたいな)


 ‥ところが、被害者側の心理では
 その手の挫折感諸々に対して、頑張れば好いとか人に頼れば好いとか
 中には、長い物に巻かれるのも仕方なしとした(ネームバリュー上等)
 かなり前向きに構えているものだ

 ‥そこに、未体験の沙汰に巻き込まれて動揺しまくるのだ
 (とくに謝罪の言葉が無いとかで)
 (何かの手違いか・間違いかのその程度を‥想定しているようにも感じられるのだ‥)


 それに対して、「謝罪の言葉が欲しい」などとは‥加害者からしたら意味不明だ
 なぜなら、そもそもにして犯行に及んだそこが「弱肉強食」の果てなんだからな
 謝罪を要求され経た時点で、すでに噛み合っていないのである


> それこそ、加害者からしたら、謝罪要求などとは
> お前ら側のやらかす、弱肉強食とした上から目線で吠えてるようにしか聞こえて来ないのだ
> (無論、動揺気味の被害者側にそこまでの思考もとい俯瞰なんか有るはずも無し)


 加害者が、殺人鬼に染まり上がっているならともかく
 近年に多発している生活のヤケクソから及んだケースともなると
 その手の謝罪要求としたお言葉を吐ける暮らしに対して‥根深い怒りを秘めている
 (それはもう、誰彼と構わずにだ‥だからこそ「寄りつかれる所がない」とも言える‥)


 (そもそもが競争社会独特の孤独で、相談できる拠り所も無かったなら尚更だろう)


 ‥だが述べるまでも無い
 加害者側は、その手の慮りをほとんど知らないのだ(その手の経験値が圧倒的に浅いのだ)
 競争社会(偏見社会)だったし‥したから、縁が無いとして生きてきた心理を抱えたままだ
 その上で、取るか取られるかの選択に迫られてしたと理解していれば
 謝れば済むとも思ってはいない

 謝って済むなら、どうして弱肉強食とした競争社会が成り立っているのかという
 質問を浴びせたい口にあるはずだ


> 然れど、被害者側には、その手の疑問の欠如にあるかのように見えるのが
> その手の「即応に慢性化している謝罪の言葉要求」なのだ


 ‥代弁するならば
 社会セキュリティが諸々脆いのに、それを改善しようともしない世の中に安穏としやがって
 それでほったらかされてきてどうしよもないのに
 それの全部がこちらのせいなのか、ふざけるな!

 お前らだってしていることは、競争社会のずるい上層のやらかしていることと何も変わらねぇ
 そんな‥なんでもありのルール無用ありきだったら
 こちらが少しばかりイキがって見せたって、仕方あるまい
 どうせ負け組の不器用なんだから、それしか思いつかねぇんだからよぉ



1-2)1

> とはいえ、犯罪は犯罪です、迷惑は迷惑です
> やらかす前に相談できるなんらかのガス抜き要素のあるなしの差は歴然です
> 怒りに任せて謝罪云々問う前に、相談できたのかできなかったのかのそこん所を問うべきでせう


 ‥糞の殺人鬼ならともかく、相談できれば防げた犯罪は、社会の責任でもあるのですから
 私たちの世界はそういう方向ですと、しっかりとしたメッセージを送れないのでは無意味です


> どこら辺が民主社会なの?、其処をスルーしていてどうして胸を張れるんですか?
> それでなくても、お互いに「貧すれば鈍す」なのに‥‥


 ‥なにに鈍していくのかというと、恨み辛みを抱え込んでいるという事自体に鈍します
 (結果、あの世の守護&指導からも外れるので、何も手に付かなくなります)
 やりたいことが思い浮かばないというか、世の為人の為なんて糞食らえというか
 そういう社会行動通念から外れたぼっちを抱え込んだままにのたうち回ります
 それに慣れてしまうと、勝手にぼっちをやりまくります
 そちらの方が‥らしく思えるからです

 (其をリセットするには、恨み辛みを抱え込んできた自分を理解することです=孤独感)
 (各々で理解の仕方は異なりますが、そこの自覚が必要です)
 (自覚することで自分で自分を許せる段階に突入します‥とはいえスタートしたかも程度ですが‥)


> そういう意味では、被害者側だって
> 自分たちが抱え込んできた不十分に対する怒りをお持ちだったどえす(自覚が無かった草)


 ‥なのに被害者であることを武器に、賠償を勝ち取ろうとしているかのような
 (なんでもあり競争社会の空気観まんまや)

 (お前死刑やろ、さっさと逝ねや‥みたいな)
 (まずは謝れ→誤りを認めろ→言質とったるz‥みたいな)

  どちらかのノリにしか見えてこねぇ


 ‥加害者側に弁護が付くと、なんだか尚更に‥そうにしか見えません

  ‥だが、加害者側の弁護には、個々の責任能力を問う通念があるのみで
  社会全体とした不備を問うことはない、そこを語るべき場所に居るわけでは無い

  (これを逆に見ると、不備があるからこそ不満も募り犯罪をしでかしている‥)
  (しでかした時点でもはや自己管理能力を超えたのだから、すべての犯罪には酌量の余地がある)


  ‥裁判所にしても同じで、社会の不備に蓋をして目の前の事案だけを問うのだ

   社会の不備で犯罪の半分は起きているかも知れないのに、そこは裁判中の話題にはのぼらない
   そのような俯瞰からの情状酌量を裁判所側が示したなどとは、聞いた例しもねぇ
   (逆にそれだと、化学や科学の未熟こそが犯罪性を醸すのに、全部無罪になっちまうz)

  (裁判所の本意にしても、問われた事案の悪意性を裁くのみなのだ‥)


> そんなこんなで、そこから先のツッコミは立法で‥という次第になっている



1-2)2

> ところがその立法の場が、犯罪ボケの巣窟なら話は別だ
> 民衆の怒りも怒髪天に及ぶだろう(そのエネルギーはどうすれば良い?)


 ‥まず、自公連立とは何か?
 どちらも半島繋がりとした宗教勢をバックに抱えた集団性だ

 旧統一教会(自民党)×創価学会(公明党)

 なのだから、信教分離とした概要からすると違法行為そのものだ
 グレーゾーン扱いされてきたけれど、今や度が過ぎている
 明らかに立法が、そちら側の集金装置と化している(大衆への再配分とした理想も糞もねぇ)

 ‥そちら側の宗教の中身からして集金装置だ(それ以外の良い方の噂を聞いた例し無し)


> 例えば、テレビ局の番組で使われる食事処のほとんどが
> てめえらの知り合い関係でしかないズブズブだったら報道の自由こそあれ公平なんかねぇ


 ‥紹介するにアポ取って確認してからなんだという実際な番組を組みつつ
 断られたりした結果、特定の%で知り合い率の方が高いです
 なんて言い分けもあると思うけど、ズブズブやりだしたらアウトだ(それと同じ)


> 「自由だからと自由にやっとります」それだけだと民主社会とは言わねぇ
> なぜか、豊かになるともとい競争過剰×競争過敏になるとそこに鈍するようになる(不思議だ)


 ‥リーマンバブル辺りが境だったのだろう
 民衆の大半にしたって、自分たちはまだまだ負け組では無いzバイアスだったのだろう

 ところが、大半が負け組からの脱出が困難どころか、明日は我が身になってきたので
 危機感がそれなりに募っている

 (今や毒接種への怒りの方がデカいだろうけど)
 (お注射接種に関しては野党も賛意を示していたので、政権交代とした基盤ゼロ)

 そこが尚更に、自公連立与党に対する不平不満の膨張だ(そのエネルギーはどうすれば良い?)


> それこそ昔ながらの主君らがやらかしてきた一族郎党皆殺しを国民主権でやらかすのか?
> それこそ、謝ればさえ済ませられる問題沙汰では無いのだ


 ‥そう思ったら、加害者に謝罪要求なんて無意味
 生活事情こそをよく鑑みて聴いてやれ‥と言う処なんだろうけど

 立法に勤めてあるような罪人候補らに、その手順は不用だろう
 (その際のエネルギーはどうすれば良い?)


> ‥上から目線で‥聡い奴ほど言い逃れから、開き直りを口にする
> 逆に、罪に自覚のある奴ほど口を噤むのだ


 ‥とはいえ、上から下までどいつもこいつも
 公平性への理解より、自由上等で人生を渉ってきた時間の方が長いのだから
 その際には、どちらの側に立って傍聴するんだろうね?(だからこそ未だに裁けず‥みたいな)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:28 | Comment(0) | 日記/2023 | 更新情報をチェックする
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