2024年02月23日

【詩】宇宙はいつでも飢えている

向宜詠吟.2024/02/23


宇宙はどうしていつも腹を空かせてあるのだろう?
それはまるで、創造に飢えているかのようだ。

「ああ、うまく行かないこれではダメだ」
「ああ、今度はうまく行った、この素晴らしさを誰かと共有したい」
「ああ、なんてことだ‥上には上が在るのだなあ‥もっと精進しないと」


宇宙を見上げて素晴らしいと思おうとも
果てしなく考え尽くされているように感心してみようとも、実は本当に空っぽなんだ。

まだまだ未完成の建造艦なんだ、建造艦労働者ばかりで市民なんていないんだ。
市民管理っぽいことを吹聴していても、実のところの労働者管理なんだ。
労働者として対価を貰えるならまだ良い、奴隷だったとしたらどうしよう‥

いやいや、奴隷ならまだ良い。
実は未完成破棄された墓場艦に棲んでいるのかも知れない。
ただ呆然と宇宙の広がりをうろうろするばかりのゾンビ群だったらどうしよう‥
そんなだったら、まだまだ、奴隷の方がエリートに見えてくるよ。


「どうしてそうなった?」


創造に飢えているどころか、何に飢えているかすら分からずに彷徨っているのだ。
創造の見落としに填まり込んで、放置されてあるのだろう。

「いやいやいや、それは、助けて貰いたいとした創造の形なのだろうか?」

でも、見落としであるかのように放置なんだったら、誰も助けになんて来やしない。
エリートに見える奴隷にしたって、そこを離れられないし
その更に雲の上の正規労働者にしたって、未完成の艦船を動かして来ることもできやしない。
現場監督にしたって同じなのだ。

そもそも、ゾンビ扱われのままでしかないのなら、利用価値が無いとして見放されてあるのだろう。
どうにも宇宙の空っぽと同じに見えてくるばかりだな‥
飢えているにしたって朧気で、どうしたいかなんて虚ろのままなのだ。


まるで宇宙の創造力不足とした放置状態そのものじゃないか‥其をゾンビと呼ぶのだろう。


広大な宇宙の広がりからしてみたら、平均値がまだまだゾンビなのだろう。
失敗作ばかりの墓場なのだろう。

失敗作のガラクタを拾い上げて家畜再利用する輩にしたって、創造のボット作業みたいじゃないか‥
お互いに腹を空かせあっているのなら、どうしようもない関係なんだろうなあ。


ゾンビから抜け出して、飢えから抜け出しても、その先にも飢えしかない‥

創造に飢えているからこそ、あっちにもこっちにも悩ましさとした形から抜け出せていない。
創造に不自由しているからこそ、ゾンビとした影を落とすのだ。

あなたが、永遠で退屈な日々に何をしたら良いか分からなかったら、それこそゾンビ症候群だよ。

日向ぼっこにしたって、日向ぼっこがしたいという目的がある。
ゾンビ症候群からしたら、とても素晴らしいことなのだ。
でも、日向ぼっこができないと途端にゾンビ症候群に逆戻りだからね。

そういう意味では、色々なことができた方が良いにこしたことはなさそうなんだけどね。
行き詰まってしまえばガラクタだよ、どんなに画期的だったはずでも五十歩百歩だよ。

ガラクタに仕上がってしまう程度の根気やら愛情では、ゾンビ生産機とあだ名されてしまうのさ。
もとい、空腹製造世界だよね。




> うた詠み終わります、ありがとうございました。



posted by 木田舎滝ゆる里 at 02:14 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする
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