2024年04月14日

【創作観】糞みたいな世界を見てみたいor糞みたいな世界を生きてみたい

記稿.2024/04/14

> 作家が創作に取り組む意図は様々だ
> 糞みたいなテーマを噛まして、糞みたいな世界を見たくなるのも一興だろう


 ‥正義を求めるにしてもそういう展開だし、それ以上でもそれ以下でも無い
 悪と見なす側に好奇心を抱いたか、それとも正義と見なす側に好奇心を抱いたか

 始まりがそのどちらだったにせよ

 そうやって我々は糞な社会をも‥曖昧に評価しつつ、ごった煮だろうと寛ごうとするらしい
 其をここでは「マンガ脳」とでも呼んでおこう


 ‥誰しもマンガ脳においては
 それの影響から、糞みたいな世界でも生きられるかも‥などと思い込んでいるのやも知れん
 作家の創作なんざ、そもそもがそのスタートだ(とくに異世界魔王退治モノ)

 だが読む側、影響を受ける側は違う
 悪が蔓延ろうとも、誰かがやっつけてくれるんだろうと‥待ち構えているものだ
 でもだからといって、糞みたいな世界を生きてみたいなどとは1ミリも望んでは居まい


> だがしかし、糞みたいな世界しか見かけぬのなら、その手の創作力こそがそそのかすことになる
> 作家が糞みたいな悪を描いて儲けられるなら、俺たちだって掴み盗れるに違いない
> 影響を受けた腐れ半分が、バレなきゃ良い上等に思い始めれば、糞みたいな世界は降りて来よう
> (結果の特殊詐欺とかヘンタイ行為事案みたいな)


 ‥その証拠に、糞みたいな好奇心に溢れた作品群とて、ファンが付く
 上手なほどに狡いまとめ方をしている作品群とて、ファンが付く

 結果的に、狡いまとめ方をしてある作品群の影響とてパネェ
 気が付けば、現実社会もすっかりそげなノリに陥った

 (実に、割れ窓理論とはそういうものであってそれ以上でも以下でも無い)


> だが誰しもが思っている‥表現は自由だと
> 未熟だと発表しちゃいけないなんて誰が決められるんだとっ
> そもそも完成なんてありゃしねぇ、どんぐりの背比べだろうがッ


 ‥なら創作の中身の多くは、法律の外にあるような話になってくる
 そもそもが、あり得ない想定を描くのだから
 大概は、その世界の法律観を‥私たちと同列以下に想起して始めてしまうのだ

 つまりは、後手に回った世界を描くことを、多くの作家が前提にしてしまうのだ
 (そこから始まる妄想自由みたいな)

 あり得ない世界だろうと、対処を提示しないのでは悪ノリ上等を推奨したようなものだ
 (それこそが、作家脳としての未熟たる由縁である)

 ‥だがしかし、描きたいのが後手に回った世界であるのなら
 その作家の脳内では、後手に回ろうとも頑張っている姿を正義と語るオチになろう


> ところが‥現実社会では、其を無能や役立たずとして罵り、正義とは見なさないどえす
> ところが‥現実社会では、其を無能や役立たずとして罵り、正義とは見なさないどえす
> ところが‥現実社会では、其を無能や役立たずとして罵り、正義とは見なさないどえす


 残念な事に、作家の脳内ではそこにある正義を噛み合わせて表現して見せているつもりでも
 実は、悪の推奨とした表現にしか及んでいないという片寄った結果に落ちている

  (業界全体としても、無知でスルーにハマってたりと、やらかすどえむ)
  (もとい、お金を落とせる作品こそ正義みたいな)


 ‥まぁもっとも、対処を思いついちまったら、後手に描く興味も削がれることになる
 だからといって、先手に描きすぎても読者には伝わらねぇ雲行きどえす

 だがしかし、それはそれで、闇にどっぷり浸かり込む意味が薄くなっているのだから
 描き方としての視界は、まったく別のものになろう
 (表現として必要な骨と肉を残し、味付けし直すのみ‥脳内リメイクの繰り返しどえす‥)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:44 | Comment(0) | 日記/2024 | 更新情報をチェックする
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