2024年04月30日

【創造原理】完全性と永遠性の獲得は、自覚せる意思表示の積み重ねこそが産み落とす

記稿.2024/04/30

> 真理に入っていくには、まず純粋な観照状態を自覚しなければならない。
> 条件づけに気づくことが、あなたを無条件な状態に連れていくのだ。
> (by「I am that」No.39‥p.193‥だそうです)


 ‥自覚だそうです
 理解や認識止まりでは駄目という御説どえす

 つまり、てめえを無条件に導くには、自覚して正しく生きるしかねぇという御説どえす
 (てめえの行動×想念がすべて鍵‥みたいな)


 ‥観照状態を用意する云々を含めて、てめえで準備しろって御説どえす
 誰も手を貸さないぞという御説どえす

 (ここでの「純粋」とは、シンプルにそういう解釈になるかと‥)

  ‥今日はたまたま調子が良かったというようなあるある程度では不合格ッ
   そのような日常あるあるとの差に非ず
   たまたまを超えて自覚できるとしたその都度その都度の違いを俯瞰せるなり
  ‥手順やら道筋やら組み立てやら有効タイミングが、スッと解っちゃう状態の
   さらに我なき段階みたいな


> この宇宙におけるひとつの大原則をお教えしておきましょう。
> それは、「存在するものはすべて完全ではない」というものです。
> わかりやすくいいますと
> 「宇宙には不完全なもの・部分的なものしか存在できない」という理(ことわり)があります。
> (こちらは、宇宙全史??‥まぁどっちでもいいか‥)


 ‥存在するものはすべて完全ではない
 ‥認識できうる何かはすべて不完全??

 「じゃなにを信じて生きれば善いんだよ!?」


> あ、違った‥何を信じてラブ囁けば好いんだよ!?(要らねぇ‥無駄‥言ってる話だz)


 ‥まぁ本のタイトルが、「私は在る」なんだから、すでに答えを示してあるわけだが

 「何が在るの?」「何が私なの?」「完全性の側の私が在るって事なの?」
 「そいつって‥無口上等なんだけど、まさにそのままのそれっきりなの?」

 ‥とまぁそんなツッコミになるどえす
 「真我とした私は在るとは言っているけれど、私は知らないどうして?」

 「だってそいつ、いつも無口だし‥」


> ふむふむ、私としたアイデンティティーですら不完全くせぇのだから
> 私としたアイデンティティーを創造せしめる為の積み重ねをし続ける姿こそが完全性みたいな


 ‥まぁ確かに、そのように正しい生活をして生きれば、「私は在る」に近づける!?
 其を逆から見ると

 斯様なる善処せぬ世界‥もとい、意欲脆弱なてめえなんか偽物ですからと言いたげどえす

 まぁそうですよね、真我とはまさしく、積み重ねて行く姿勢に宿るべきどえす
 (依存でしかアイデンティティーを主張できないなんてダサいだけどえす)


> だがしかし、人間は個として生きているわけでは無い
> 存在する何かはすべて不完全‥つまり、どんなお付き合いも不完全‥
> 不完全燃焼せる情勢を完全燃焼やらかすには、貫かなきゃならんどえす
> (さらに、たまには‥善意としての褒美やら囁きが欠かせないとか何とか‥超面倒、無駄ッ)


 ‥それはその都度
 ‥それは依存なのか?、アイデンティティーなのか?を思い悩む所でも在るので、とても意味不明
 ‥それには裏があるのか?、ナチュラルなのか?‥とても謎

 (正しく歩けているのか?、踏み外しているのか?、人生塞翁が馬とはいえ‥誰にも解んねぇ)
 (それが自覚の積み重ね次第で、スッと解っちゃう段階が在る‥という話だな)


> つまりは、創造たる心得になるどえす
> つまりは、創造たる意図が解る‥もとい、我こそが創造なり‥みたいな


 ‥いやいやいや、どんだけの視界想定からそれ述べてんの?
 平行宇宙とか、ねじりんぼう宇宙とか‥(ほんとマジ‥その辺に需要なんか誰も気にしてねぇ)
 だがしかし、真我に至るには、知らずに素通りなんてあり得ないみたいな‥orz



posted by 木田舎滝ゆる里 at 00:22 | Comment(0) | 黙示録 | 更新情報をチェックする
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