2024年05月11日

【ボケて痛っ】天動説バイアスvs地動説バイアス‥からの心理学論法

↓2)記稿.2024/05/11

> 天動説バイアスとは‥


 ‥まず、天動説とは何かの印象を述べるなら
 神と人間を、太陽と地球の関係に見立てて思い込ませた天文学説だった‥見解になる


 ‥天動説から見た天体の動きがどんなだったかというと
 太陽は地球を中心として、唯一円運動を描く趣だったのに対して
 其れ其れの星々は
 地球に対して螺旋を描きながら波間の動きのように近づいたり遠のいたりに描かれる

 参考:火星の動きとした一例

  ‥この火星を参考にした動きからだと
  火星が地球に及ぼすだろう大きな影響時が八回ありそう‥みたいな占星術をやらかせそう

  そんなこんなで‥貴方の生涯においてときめくような恋のチャンスは八回です‥とかなんとか
  でもご覧なさい、付かず離れずとした動きを見せる存在こそが貴方の太陽です‥とかなんとか

 ‥「ん?」‥なんだか天動説占星術の方が説得力がある‥みたいな趣ッスよね


  だが、それにしたとて、当時は夜にしか天文観測できませんでした
  なので、天動説の弱点だった昼と夜とした現象の説明に踏み込めていませんでした


> ‥其を例えにして‥自分を中心にしたモノの見方にハマっているとした場合(エゴ視界)


  こちらに、付かず離れずとした動きを見せる者こそ、中心として看破する事はできるにせよ
  所詮は、夜とした観測でしか得られない偏りだったことからも
  なかなかこう、自分の立ち位置を凌駕するような斬新な見方に対して素直になれず
  懐疑的なライバル視なり、敵視とした憤りありきだったに違いねぇ‥

 「他の奴らは‥犬のように媚びへつらうというのに
  なぜ、あやつはこの我に従わないんだッ」‥みたいな御仁のやらかす心の内の闇‥とかなんとか

  ‥まぁ、ぶっちゃけ、夜に太陽を観測しませんからね
  心の闇こそ、我が世の中心とした見方が成立してしまうどえす(井の中の蛙)


 ‥是をここでの「天動説バイアス」と定義するとしよう‥



1-2)1

> 地動説バイアスとは‥


 ‥衛星が惑星を、惑星が恒星を回るのが宇宙の摂理
 と俯瞰して考え始めたのは良かったけれど

 太陽系とした束なりがさらに銀河系を回るのだとか
 その銀河系とした束なりがまたまた銀河団を回るのだとか
 どんどん拡大し始めたがもう無限大、宇宙がどこまで広がれるのかが悩ましくなっちゃった‥


> 宇宙は無限大なのか?それとも有限なのか?


 そこで、拡大しても分かんねぇなら分解してみよう‥とやらかしたところ‥
 そちらも益々、どこまで分解できるのか不明に陥った
 (ここでは仮に、宇宙の最小単位を「宇宙子」として仮称するとしよう)


> 調べれば調べるほどに、宇宙は、宇宙子とした点の塊にあるらしい
> 宇宙子と宇宙子の間は隙間だらけ、隙間だらけとした中身なのに俯瞰すると形を為して見える
> 大きさがどう有るにせよ、団子塊とした構造にこそ意味があるっぽい


 ‥ここに、隙間だらけを以て、宇宙は全部同じに見えるのだから統一して扱えるはず vs
 否否否、特定の俯瞰から形を為してあるように見える団子塊にこそ意味がある

 とした派閥争いをやらかすようになった‥

 前者は、天動説バイアスの延長線で
 後者は、地動説の際に生じた朝昼夕夜の差まで説明可能に習っている
 ここで、地動説バイアスとして皮肉った言い方を当てるなら、当てはまるのは前者だ


 ‥だが、後者の立ち位置とて
 「宇宙は全部おなじ法則として扱えるはず」とした思いこみを抱えたままだ

 ここまでを地動説バイアスとして扱うとしよう



1-2)2

> 「宇宙は全部同じ法則に有るはずだ」とした見解を証明できていないのに
> なぜそれを推すことができるのか意味不明なままだ


 ‥同じだというのなら、人間とした構造は
 環境さえ整えば、どこでも一緒だと言わんばかりだ(それを誰が証明したというのか?)

 そこにある思いこみの結果、{動物実験}={人間にも有効}とした錯覚をもたらしている
 回答としては、それは必ずしも真ではない

 (そもそも、食生活からして個体差ありまくりだろうがッ)
 (それの主体になっているのも免疫特性だ)


> 宇宙の側で排除対象とした概念を持ち合わせていたのなら(なんらかの反発特性)
> 人間が思い抱くような宇宙の法則とした物理概念からして崩壊だ


 ‥すると、団子塊とした俯瞰単位で以て構成されており
 時として同じに見えても、同じ物理比やら想定値が適応×順応するとは限らないぐらいの警戒が必要だ

 同じ地球上の生物だったにせよ
 巨大昆虫に巨大恐竜に見られる体重比に違和感があったなら
 そりゃ何かが異なるとして考えざるを得ないのだから、「郷に入りては郷に従え」を宗とすべきだ

 (巨大昆虫時代や巨大恐竜時代の大気に、現代人類が即座に適応するとは限らない)


> ならば、そこの焦点を始めから合わせる気が無いなら
> 物理的にも干渉する意思なしとした見方にもなるだろう
> (それが二重スリットとした感触に足るに違いねぇ)


 ‥知りたいけれど、知るには及ばずとした事象を選択するばかりどえす‥

 それがそっくりそのままに、日常とした理解に及ぶのだ
 そこに差があるとすれば、好奇心とした焦点の合わせ方の違いだけ‥みたいな


 ‥天動説バイアス風にして並べると
 中心とした実情(太陽)は、あなたの視界には入らないので、自分勝手がまかり通るように見える

 ‥地動説バイアス風にして並べると
 より奥行きとした中心を予想できるにせよ、生活の中心としては扱えないのだから
 自分らの世界観こそがすべて(ルール)であって、それ以上でも以下でもある必要が無い

  (真実なんか知らずとも、想定内なら何とかなる‥あとは丸投げ×諦め‥みたいな)
  (結局それは、差別×偏見としたスリット選択の間を彷徨う‥のだ)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:49 | Comment(0) | 日記/2024 | 更新情報をチェックする
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